「サフラン賞」と「チャレンジ賞」制定までの経緯


社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター  創立者 高橋 実


 私がサフランホームの閉鎖と財団法人東京サフランホームの解散を知ったのは2003年2月頃のことでした。

 サフランホームは、日本盲人キリスト教伝道協議会の婦人部が「毎日献金」として不断の祈りと努力によって寄せられた浄財で1958年に発足しました。以来45年間、全寮制による、盲学校卒業の失明女子に対しての生活指導と鍼灸・あんま・マッサージ技術の向上を目的に、生活と職業自立のための実践を続けてきました。その間、100人に及ぶ人たちを職業人として、また家庭人として、社会に送り出し、高い評価を受けてきました。しかし、近年の医学医療の目覚ましい進歩と時代の趨勢により、その援助を必要とする対象者が激減したことなどから、2003年3月31日、サフランホームを閉鎖して財団法人も解散しました。

 さっそく法人に対して「ホームの建物を貸していただきたい」というお願いをしました。やはり何カ所からかそのような申し出があったようです。地主は「借地契約の変更は認めない。代替地なら提供しても」という意向だとの返事をもらいました。そして、その代替地は現在地からは離れている住宅地のようです、ということも付け加えられていましたので、そのお願いは取り下げました。といいますのは、この地(杉並区宮前4-18-11)は知る人ぞ知るで、1933年から1958年まで東京光の家(今は都下日野市)、1944年から1952年まで東京点字出版所(今は都下三鷹市)の拠点でしたし、サフランホームも1958年から2003年までここでした。約70年間、視覚障害者が地域住民として苦楽を共にしていた地域ですから、差別も偏見も存在しない名実共にバリアフリー化された地域だと考えます。そのようなところでセンターの仕事ができるとすれば、活動の拡大するどころか地域に根ざしたセンターになれると思ったからです。

 財団は残余資産を法律によって関連法人5ヵ所に寄付することを決めていました。私は駄目元を承知の上で、次のような文書を財団を送りました。

 「ひも付きでない高額のご寄付をいただけることはどこの施設にとってもありがたいことですが、いずれサフランホームの実績と伝統と関係者の汗したことなどは薄らいでいくのではないでしょうか。45年という歴史と100人近い卒業生の努力と社会に対する貢献、善意から寄せられた浄財と関係者の熱意を、何らかの形でいついつまでも継承することが大切ではないかと思うのは、私の単なる郷愁なのでしょうか。許されるならば、その事業を当法人にさせていただきたい」という思いと提案です。

 財団では大所高所から検討され、満場一致で私の願いが叶えられてサフラン賞が日の目を見ました。この賞と同時にその男性版を創設したいと考え、資金源探しで賛同者を求める訴えを始めました。

 実は私が2001年に鳥居篤治郎賞を受賞しました折、その祝賀会を関西でも開いていただきました。席上、若い人から「功なり名を遂げた人たちにはいろいろな賞が贈られる。しかし、若い人にこれからもっと努力しろというような励ましの賞はない。先輩、ぜひ作ってください」といわれたことをずっと心にかけていました。視覚障害コミュニケーション機器メーカーKGS株式会社の榑松社長が「男性とか女性とかいうことではなく、いわゆる若い視覚障害者が、努力すれば報われるような環境作りに心しなければならない。その人たちを励まし支えていくことは大賛成です。弊社は去る6月11日に創立50周年を迎えることができました。皆様に感謝の気持ちを込めて、基金をださせていただきましょう」ということで男性版が結実しました。名称は、センターに併設している「チャレンジ」で、明日の社会参加を夢見て努力している通所者の目標にもなってくれるであろうことを願って「チャレンジ賞」と命名しました。(2003年6月)


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