No.278 7月号編集後記

 墨字表紙写真でも取り上げました「4しょく会発足10周年記念イベント」に招待され参加しました。
 今も時折耳にします「文月会」の解散を受け同会は発足しましたので、往時を思い起こしました。
 私は1954年進学して日本盲大学生会に入会。同会は毎年東京と関西交互に全国大会を開いて情報交換などをしたもので、私はその年全国委員に選ばれました。迅速を理解する点訳者は皆無で今の対面朗読で学習していた学生の努力は報われず、巷では「大学は出たけれど」「盲大生よどこへいく」と揶揄されました。私は就職浪人を2年経験、進学者も激減しました。私の卒業した58年、スポンサーが「気迫も意欲もない学生に力は貸せない」と大会を取り止めたと同時に会も自然消滅。先輩は「君らが中心になり対応を模索しなければ大学の門は狭められ盲界の将来はない」。60年に点毎に入るやいなや「早く会を立ち上げる準備を」とせっつかれ、駆け出しの私が動けたのは翌年の7月末。現状と未来に危機感を持っていた先輩諸氏や数少ない在学生27人に集まってもらい「相互扶助と信頼関係を土壌に進学促進・門戸開放・学習の環境作り・職域拡大・啓発のための出版を目的に文月会を立ち上げ、後は必要に応じて対応しよう」と決め、私が代表委員と事務局を引き受けました。

 以後40年間、教育・職業・福祉・文化面で歴史に残る活動をしましたが、センターの運営に専念したいことと要求の強い西部地区の若手に取り仕切りを委ねたい。会の使命は終わったので栄光ある解散をと提案しましたが「役職は無理。やることはまだある。解散は反対」という西部地区。自然消滅だけは避けたいと思い、解散を選択しました。

 その後、西部地区委員を中心に「4しょく会」が誕生し、今日に至っています。広瀬さんは「今も職業問題は厚いバリア。力を合わせて解決に進もう」と挨拶していました。私も同感です。(編集長 高橋 実)

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