No.287 4月号編集後記

 7月、センター開設25周年を迎えるにあたり、今と未来を見据え、そのルーツを簡潔に検証したいと思います。
 1949年、諸先輩の願いが叶い大学進学は認められましたが、亡くなった永井昌彦さんが受験した同志社のように点字入試から学内の支援活動に便宜を図り部屋を設けるなどは例外で、点字による入試はもとより学習環境も60年代まで皆無に等しかったです。「視覚障害者だからといって要求や要望は一切しない」といった誓約書を出させられたり「迷惑をかけるような事があって後に続く者に影響を与えては困る」と自助努力で卒業に漕ぎ着けた人たちが大多数でした。「何人以上は入れない」と公然と発言する大学もあり、そのような所では要求活動も活発でした。

 そんなこんなの苦労を重ねて卒業しても就職先が無く「大学は出たけれど」「盲大生よどこへ行く」と揶揄される中で先輩たちは職業自立に努力しました。その先輩たちが職域開拓で教員採用、司法試験、地方公務員、国家公務員、各種資格試験などに点字を取り入れるよう、汗して結実させたのです。
 いわゆる点字による公的試験の幕開けは71年大阪府市の教員採用試験です。当時、盲学校普通教科の教師は多数いましたが、多分「面接選考採用」だったと思います。両手両眼の二重障害を持つ藤野高明さんは「面接選考採用でだめなら点字試験を」と訴え、高校世界史を特例で認めさせ受験、上位でパスしましたが教委は時間講師や非常勤講師でしか対応せず、挙句の果ては「もう1度合格したら」という事で、73年再挑戦してトップで合格して大阪市盲の正職を勝ち取りました。以後、大阪府市教委は一般教員採用に点字を取り入れ、82年一般中英語教師として病死した高田剛さんを採用した他、大阪府盲から有本圭希さんを普通高校に異動させるなど画期的でした。(編集長 高橋 実)

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