No.329 10月号編集後記

 

 私は今年も鳥居篤治郎先生の命日にあたる9月11日、京都ライトハウスで行なわれた鳥居賞と伊都賞の贈呈式に出掛けました。鳥居賞の藤野克己さんと伊都賞の土屋美寧子さんについては本誌9月号の表紙写真で紹介しましたが、改めて、お二人にお慶び申し上げます。当センターが実施しているチャレンジ賞やサフラン賞は若い男女を選び、その背中を押すための賞ですが、鳥居賞などは諸先輩の業績と人となりを現在に知らしめ、未来に継承していく賞です。関係者はもっと先覚者の偉業を伝える責務があると思います。鳥居先生には、私が進学した1954年からお亡くなりになるまで、奥様とはその24年後の1994年まで公私ともにお世話になりました。その間で、先生の毅然とした厳しさに遭遇し、びっくりしたことがあります。点毎入社半年前のことです。その頃はあはき擁護の動きが激しかったと思います。日盲連、全鍼連(全鍼師会)、理教連などが、それぞれの立場から盲人の生活の安定と理療の地位向上を目指して会合を開き、点毎も取材をし、報道していたと思います。私の入社が内定していた1959年11月7日、都内で日盲連、全鍼連、理教連の第三次三者会談が開かれ、按摩専業を含めた理療師法制定促進同盟の結成が決まりました。取材で、編集長と先輩と私も、座っていました。開会と同時に日盲連の鳥居会長は、「点毎は我々が検討している内容を曲げて評論している。抗議に聞く耳も持っていない。傍聴を断る」と発言されました。編集長は反論し、席を立ちました。学生時代、毎年開催の全国盲大学生大会で、鳥居先生とも随分議論しましたが、あれほど怒った声はお別れする時まで、聞きませんでした。先生は、大卒者の職域開拓にも理解と支援をして下さいましたが、よく「高橋さん、大卒の理療者もうんと育てなくちゃいけないよ」と言われたほど理療の現状を憂い、未来に大きな期待を寄せ、関係団体と知恵を絞っておられたのです。先生が日盲委理事長であった頃、「盲大生奨学金制度を創設して欲しい」という要望書を出した時も、「高橋さん、私の力量不足でエリート集団を援助するゆとりがないという理事さんらの理解が得られなかった。ただ、少ないが『視覚障害』に寄付することは決まった」と言われました。ただ「エリート」と呼ばれることに反発はしましたが、何よりも盲人の職域開拓が進めば理療の世界も良くなることを願って、形振り構わず行動しました。それから半世紀経って、世の中も大きく変わっているにもかかわらず、盲人あはきの置かれている環境は、いっそう険しくなっていると思います。10年ほど前に本欄で、あはきのことを書いて関係団体から抗議を受けましたが、盲人イコール按摩という私の時代よりはマシかもしれませんが、昨年センターが行なった、あはき業実態調査でも、盲人あはきの状況は悪化していることが再確認されました。晴盲共に生活安定を阻んでいる者に無免許者の横行と接骨院の増加があり、さらに盲人は晴眼者の多さを訴えています。加えて、高齢で廃業したり、国家試験挑戦者の減少があります。戦後間もなくのマッカーサー旋風以来、あはきは営業法から身分法に代わり、盲人のあん摩専業ないしは優先促進運動などで、三団体協調ムードは1964年3月17日に事実上解散してからも、うねりはありました。しかし、今は!理療は盲学校のセンター化構想の中に埋没していくのではないでしょうね。   (編集長 高橋 実)

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