No.340 9月号編集後記

 

 編集後記
  前号でも取り上げましたように、センターは関係者を迎え「セ ンター創設30年・法人認可20周年記念式典」を行ないました。 センターは1961年発足の文月会(日本盲人福祉研究会)を母 体に開設されましたが、2001年、文月会の40周年を節目に、「栄 光ある発展的解散」をしました。この文月会のルーツは1958年、 自然消滅した日本盲大学生会です。1949年、盲人に大学の門戸 が開放され、3大学に6人が進学、その後、進学生は増え、1951 年に日本盲大学生会が組織されました。発会式には、文相ら3 大臣が出席するほどの華々しさだったそうです。「大学の門戸拡 大」 、 「学習環境の整備」 、 「卒業後の職域開拓」を目的にしまし たが、学生運動には限界があり、職域はまったく広がらず、就 職浪人やUターンする人が増え、1955年の進学15人をピークに 激減し、1958年夏、会は自然消滅。私も就職浪人になりました。 2年後、私は毎日新聞点字毎日に入ることができ、浪人時代 に考えた「盲人の職域を開拓するにも、解放されつつある大学 の門は狭めてはならない。大学生を増やす努力をすべきだ」と 仲間に訴え、1961年7月、大阪の大融寺に27人が集まり、夜を 徹して話し合いました。学生会の3つの柱に、「社会啓発のため の図書出版、研修会や講演会の開催」を加え、中部・関東でも 話し合いを重ね、7月にちなみ、文月会としてスタートしまし た。会員の大半が、進路・進学・学習・就職で苦汁をなめてい ますから、問題解決には学習即実践、そのうえ雇用など共通す る課題では足腰の強い、全視協と共闘し、ときには、なりふり かまわず行動しましたから、成果は目を見張るものがありまし た。その好例が、1978年6月16日、衆参両院本会議で「視覚障 害者の雇用を国に求める請願6項目」が全会派一致の採択です。 あとにも先にもこの種の請願採択はありません。法的効力はな くても、行政、立法、司法関係者の姿勢も変わり、社会の関心 は深まり、当事者の意識も高まりました。そして1991年、何回 目かの総理大臣の答弁で、歴史に残る、国家公務員試験に点字 を認めさせることができました。 なお、「拠点づくり」と「法人取得」の経緯については、あら ためて報告しますが、時代の趨勢と少子化で、大学の門戸拡大 は一定の成果を収め、学内での学習環境も整備されつつあるよ うです。ただ、卒業後の職業自立の準備をどうしているのかが、 一日の先輩として気になります。センターは発足時から、専門 点訳者を養成して、教員採用、地方公務員、国家公務員などの 試験、社会福祉士など資格取得のための問題集を点字化してき ましたが、2000年以降、ほとんど需要がありませんので製作は やめました。いまは、私たちの学生時代と違って、自助努力と 社会の理解と支援が得られれば、社会自立はしやすいのかもし れません。 センターが毎年、分野別の「視覚障害者就業実態調査」を行 ない、社会に問題提起しております。視覚障害者にもっとも適 しているといわれている理療は厳しい状況に置かれっ放しで す。障害者雇用率も予想をはるかに上回っていると言われてい ますが、それは他の障害者であって、視覚障害者のそれは減少 の一途をたどっています。また「視覚障害音楽家(演奏・教授) リスト」も1995年、2005年に続き、作成して全国にばらまき、 音楽家の活躍に力を入れています。 (編集長 高橋 實)  
340号目次に戻る

[ホームページへ戻る]