No.346 3月号編集後記

 まず嬉しいニュースから。昨年秋、点字毎日に京都府視覚障害者協会と西宮市視覚障害者図書館の職員募集の記事が出ていました。何れも元文月会会員がいますので関心がありました。結果は、両方とも4月1日付で採用が決まったとかでホッとしたと同時に、受験者全員が点字使用者だったと聞いて、喜びは倍加しました。京都府は6人、西宮市は5人が受験したそうです。このような情報は、発信する側、知る側にとってビッグニュースです。個人情報保護と騒がれる2000年頃までは本誌や点毎関係メディアは大学進学者や就職者などを競い合うようにして報じたものです。これは、社会の啓発や若い人達の奮起とやる気を盛り上げられると思うからです。
 話は変わって、昨年センターは「開設30年と法人取得20周年」を迎えました。当センターの前身である日本初の盲学生情報センターを立ち上げたのが文月会(日本盲人福祉研究会)です。その文月会は、発足40周年を迎えた2001年7月「発展的解散」を行い、本誌『視覚障害』など一切の事業をセンターに譲渡しました。文月会も昨年で解散15周年になりましたので、「元文月会会員による講演会と交流会」の開催を提案して実現しました。対象は比較的住所などが確認しやすい解散時の会員約150人に呼びかけました。東京は11月26日、大阪は新年の1月14日それぞれ開きましたが、なんと東京は40人、大阪は30人が一堂に会しました。高齢者は、阿佐先生が来る4月で94歳、本間先生が2月で88歳、福岡市の藤井牧師と私が85歳で大半は50歳以上。解散時新社会人だったり学生だったりした人も10人前後の参加で、本当に楽しい一時でした。点毎(1月29日)によると、「あはき業の活性化を目指し一枝のゆめ財団設立」の記事が出ていましたが、「新職域開拓をバックアップするような組織」を元文月会の若い仲間を中心に誕生させる気運ができればと願ったものです。
 講演のテーマは、東京・大阪共通で「視覚障害者の生活に対する当事者組織の過去・現在・未来の取り組み方」。東京の講師は四天王寺大学大学院教授愼英弘さん(大阪)で、日本盲人会連合と文月会の活動を比較しながらの話で「終わりに」で愼さんは「過去を知り、現在を直視し、未来をどのようにして切り開いて行くかを、今後も定期的に検討する場を設けるべきである。それを中心的に為しえるのは日盲連しかないのではないだろうか。また、高齢化が一層進む視覚障害者の状況にあって、若い人材を掘り起こすことも必要である。その情報を日盲連(あるいは前述の新たな協議会)に集約し、その人材をどのようにして育成して行くかをも前向きに検討する必要がある」と指摘。また、大阪の講師は全日本視覚障害者協議会代表理事田中章治さん(埼玉)で、全視協の活動を中心に話されました。田中さんは「まとめ」で、「国連・障害者権利条約は批准(2014年)され、障害者差別解消法、改正障害者雇用促進法は昨年施行されたが、共生社会の実現はまだまだの感がある。視覚障害者の平等な暮らしと社会参加の実現は道半ばである」と結びました。
 その文月会は、日本盲大学生会を継承した会で、本誌『視覚障害』も同様です。1949年、諸先輩のひたむきな努力で盲人に大学の門戸が開放されました。しかし、10数年間は個々人が大学と交渉し願書が受理されるというのが当たり前でした。入試も、点字は同志社大学と日本大学ぐらいで口頭試問が圧倒的でした。そのような状況を緩和したり孤立感を防ぐために、1951年日本盲大学生会が組織され、2年後に機関誌『新時代』が創刊されました。『新時代』の命名者は日本ライトハウス創設者の岩橋武夫氏で、門戸解放や組織作りにも指導的役割を果たされました。
 先生は巻頭言で「英米のような社会的理解と制度の徹底を期するために、まず我等は盲大学生の一人一人が立ち上がる必要があると言いたい。そして、それらの人々の個人的感性が横に発展して、全盲大学生の協力となり、相互扶助となって、団体そのものの存在が、社会から評価され、尊重されるに、到らねばならない。特に我が国のごとく、鍼灸マッサージ一本槍で職域を伝統付けてきた盲界にあっては、個々の盲大学生が選ぶ、新たなる研究の場所と、それを軸として展開さるべき新職業の部門において、並々ならぬ努力と苦心の要ることは、それが種蒔きの仕事であり、開拓者の事業であることにおいて、間違いは無い。故に私は『新時代』が意味するものは、甘い青春の夢ではなく、汗と涙を持って築き上げねばならない、新しい日の生活の根拠であることを力説したい」(1953年9月1日 創刊号より抜粋)。
 私は、翌年進学してこれを何回となく読み、会の活動にのめり込みました。先生にはその夏京都で開催の全国大会の席上、私がモジモジしているのを知ってか傍に来られ「君のことは岩手盲の大堂校長から聞いている。君等若者がこれからの盲界を背負って立つのだから頑張りたまえ」と強く握手してくださったことで決意を新たにしました。先生は、その秋亡くなられました。
 また、進学後から亡くなられるまで公私共にお世話になった、日盲連会長(当時)鳥居篤治郎先生の「感ずるままに」という1文が廃刊になる『新時代』6号(1958年7月)に掲載されています。「諸君等が日本盲界の指導者として活躍される日を心から待ち望んでいる。盲学生の主体性を確立した上で、他から援助を要請すべきだと思う。それにはまずOBとの連絡を密にし、その協力にこそ期待してもいいはずである。OBはその責任を取って後輩のためにより安らかな道を備えてやってほしい」(抜粋)。盲大学生会は就職浪人が増える一方、新学生の減少でその年に自然消滅しました。
 私は、浪人2年を経て、1960年やっと待望の点毎記者になることができ、諸先輩の意思を盾に文月会作りに奔走して、1961年7月実現しました。そして2年後『新時代』を復刊できました。文月会の成果については、1984年「拠点と法人取得」を決議して、3年後の1987年センターを、12年後の96年に街頭募金や善意の寄付で一億円を集め法人を取得したことからもお分かりと思います。『新時代』は年1回から2回、27(1975年10月)で点字・墨字同価格同時発行を実現して、「点字は高くて遅い」という慣習を払拭しました。31(1976年10月)誌名を『視覚障害ーーその研究と情報』に改名、41(1979年3月)から隔月刊に、そして191(2004年4月)から今日の月刊誌になりました。
 1945年「盲人=理療一辺倒の職業教育はおかしい」と反発して以来、今日までの70余年私の「無謀と執念」にご支援、ご協力を頂き、本当にありがとうございました。来る決算役員会を期に大役を退かせていただくことにしました。したがって編集長も本号でお終いです。内容もさることながら「編集後記」では当事者目線で「思い」と「期待」を本音で書かせていただきました。いわゆる盲界マスコミは年々読者の意にそぐわないと思われることに論評しない流れを残念に思っております。本当にながーいお付き合いありがとうございました。(編集長 高橋 実)

 

 編集後記
  
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