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2001年4月9日発行 第27号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

 IT時代の到来と新世紀の幕開けと、声高らかに迎えた2001年も、はや4月を迎えてしまいました。今年も相変わらず寒暖の差が激しいようで3月末の東京は冬に舞いもどったかのような寒さでしたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。例年になく今年は花粉症に罹る人が多いようでご同情申しあげます。
 センターも新年度を迎え、これまでの事業の充実強化のために少ない職員で協力しあって発展させていかなければと、てんやわんやしております。また「チャレンジ」も2人が巣立ち、2人が利用生として仲間入りしました。1日も早く自信を身につけ、夢に向かってマイペースで歩んで貰いたいと願っております。今、区外で2人が待機しているので、出来るだけ早く迎え入れられるように努力したいと思っております。
 3月31日午後、市ヶ谷の私学会館で日本障害者高等教育支援センター設立記念研究集会があり、お招きをいただきました。同センターの活動についてはこれからだと思いますが、私はこの誕生に驚きと大きな期待を寄せています。NPOで社会福祉法人を立ちあげたそうですが、その呼びかけ人が70代半ばの元文部省特殊教育課長の寒川秀希さんだということです。私が学生時代の課長さんだったと思います。普通ですと悠々自適とか晴耕雨読とかいった年代で、特に官僚のOBになりますと、なおさら天下りでのんびりしておられるのが常識です。それが何と、お知り合いの人たちに呼びかけて支援センターを立ちあげるなど素晴らしいことだと思うのです。失礼な言葉になるのかもしれませんが、老人パワーに私は感激し、力づけられました。チャレンジの読み合わせに来て下さっている方も比較的高齢の方が多く、私は感謝の言葉もないほどの気持ちでおります。私はよく仲間が「定年になったので」とか、「年金生活者になったので」と言って活動から去っていかれることを淋しく思うのです。そんな方たちこそ経験を活かして社会貢献して下さるか、それが不可能な人は年金の一部を活動費に充てて下さるかしていただきたいと願ってきたのですが、なかなか実現しませんでした。今回産声をあげました支援センターの影響力と波及効果は想像以上と思っています。 私は今まで「学習と雇用支援」を軸に取り組んできました。ですが、これからは職業自立と生活自立支援にも力を入れていかなければ視覚障害者に年金生活者が増えてきて「社会の損失」だと思います。そんなことで私は3年前に「チャレンジ」を創設し、実績を作り、区の認可を得て今日に至っていますが、今度は小規模作業所として国や都の認可を得て杉並区と共に「自立支援」に力を入れて行きたいと思っております。そのような事業に忘れてはならないことが、毎日読み合わせで来て下さっているボランティアさんのご好意です。この支援なくして利用生の夢は実現しないと思います。センターの将来を決定するこの時期に、私がセンターの仕事に専念出来ないのは気がかりです。日盲社協の命運を賭けていると言ってもいい点字技能検定試験の運営委員長、就労対策委員長、点字出版部会長と、他の役員の3倍も肩書を貰っています。これもこの2年間で辞めさせていただき、最後はセンターの仕事に専念したいと考えております。新年度にあたり、あらためてめて皆さまのご協力をお願い致します。

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福島さんにセンターの記念事業で講演依頼

 私たちの仮住まいはセンターから2、3分のところです。予定が入らない平日は朝7時半までNHKのニュースを見て出勤し、夜の7時のニュースに間に合うよう帰ります。去る2月19日の夜のニュースを聞きながら着替えをしていますと、福島さんのことが報じられました。以前、そんな話を耳にしましたが正直言ってまさかと思っていましたから、ニュースを聞いたときには驚きと喜びで思わず手を叩きました。
 福島智さん38歳。金沢大教育学部の助教授から福祉やバリアフリーの専門家として東大尖端科学技術センター助教授に4月から就任することが決まったという記者会見の模様でした。福島さんとは都立大の学生の頃からの付き合いで、かれこれ20年になるのでしょうか。その福島さんに、来る9月29日(土)杉並公会堂で開催予定のセンター記念で講演をしていただくというお願いをしたわけです。彼も4月以降のことは全く見当がつかないので取りあえず予定に入れておきますという返事をしてくれました。福島さんについては皆様よくご承知だと思いますので詳しくは紹介しませんが、9歳の時失明、18歳で聴力も失ったという二重障害者です。都立大の助手から金沢大の助教授に、そして東大の助教授へと実力は当然のことながら彼の不断の努力は私たちの想像以上だと思います。どんな話にもユーモアが溢れ面白く聞かれます。どうぞ楽しみにしていて下さい。
 福島さんと奥様の光成さんのなり染めは知りませんが、福島さんの指点字が取り持つ縁で結婚した後輩が結構おります。私も指点字で福島さんと何回か話したことがありますが、普段使っている点字タイプライターのようにはいかず、結局どなたかに通訳を頼んでしまう結果になっています。何回かお話していますが、点字毎日時代の執筆者、松本聾弁護士はずっと口述で話してきましたが、福島さんはそれに見えないのですからどう考えても素晴らしい努力家なのだと思います。

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あるチャレンジ通所希望者からの手紙

 私はよく「チャレンジ」への通所を希望される人から電話や手紙をいただき、その都度考えさせられています。時には5、60代の人からも電話があり非常に辛い判断ですが「チャレンジ」から2、3年後社会復帰するには難しいように思い、ご遠慮いただいています。「働きたい」という強い思いを持ちながら、家庭や個人の事情で悶々とした日々を送っておられる人も沢山いるでしょう。本来そういう人たちに私たちは力を注ぐべきだと思うのですが財政的な事情で適任者を配置することが出来ず歯がゆい思いをしております。新年早々いただいた若い女性からの手紙は何か現実を如実に物語っていると思い、ご本人の了解を得てその一部をご紹介し、皆さまと共に考えてみたいと思います。
 彼女は地方の家族のもとに戻り、頼りにしていた就職先からの連絡を待っていましたが、期待に反した連絡で落ち込みました。もちろん家族も期待していたことから「高いお金を出して遠くの盲学校や短大へも行ったのに形にならなかった。あんたは駄目な子だ」と言われ続け、無理矢理に三療の道に進むよう説得されました。彼女いわく「私は視覚障害者=三療という考えは嫌で、それ以外の領域を選びました。家族と小1から離れて寮生活をしていたために家族との間に溝ができ、お互いの気持が通じ合わなくなってきたのだと思います。地方でしかも父の仕事がおもわしくないうえに小さい妹もおり、これからまだまだお金がかかる家で自立をするための就職活動はそうは出来ません。家族に迷惑をかけないようにするためにはどうしたらよいのかをずっと考えて来ました。その結果、チャレンジにお世話になりながら工賃と年金で生活し、自立する道を見いだしていくしかないという結論に達しました。母は先の見通しもはっきりしないところへ行ったってどうにもならないと言いますが、この決断が私の心身にとって、家族に対して、ご心配をかけた皆さまに対して、精一杯の努力だと思いますので・・・」
 前述しましたようにチャレンジへの通所希望者が増えています。ただ視覚障害者の場合、限られた地域で十数人という希望者は出ません。それで法に合った小規模授産が生まれないのだと思います。今後いろいろなところで広域的な働く場が出来るよう協力を呼びかけていかなければならないと思っています。

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44年ぶりに全国盲大学生ミニ会議開催

 センターでは21世紀における視覚障害大学生の学習条件整備や就職相談、特に資格ばやりの今日、テキストなどが皆無に等しい中で若者がどう考え、私たちがどうサポートして行くべきかを決めるための方策として、去る3月3、4の両日、全国視覚障害大学生ミニ会議を開きました。「ミニ会議」としましたのは例年開いてきました文月会夏の例会に学生が殆ど参加されず、決まり文句のように「魅力のある会づくり」と「会の活性化」が言われてきましたものですから「2、3人でも格好がつくように」という単純な発想から命名したものです。そして私は「強要しない」ということをモットーとしているものですから全く催促もせずに締切日を迎えました。参加の人数を聞いて余りの多さに吃驚しました。九州や関西からが圧倒的で、関東からは4、5人だったと思います。2日目の4日、会議室がとれず止むを得ず杉並区の障害者福祉会館に移動しました。開会と閉会の挨拶だけは私が受け持ち、進行はこの春就職が決まり京大に10年余りお世話になった広瀬浩二郎さんにお願いしました。講演は「視覚障害者の雇用促進と労働権補償」について日障協障害者職業総合センター研究員の指田忠司さん。「視覚障害者の学習権の補償」について筑波技短助教授の長岡英司さん。「これからの就職と職業生活」について厚生労働省障害者雇用対策課専門官の吉泉豊晴さんの3人でした。
 学内における学習条件については以前のように「皆無」というところは少なくなりましたが、未だに「盲学生任せ」という大学の多いのには驚きました。以前と変わっていると感じましたのは盲学生の主張が強ければそれなりの対応をしてくれるということです。それにしても2、3の国公立大を除いてはお粗末そのもので、サポートしているのはセンターの支える会であったり、地元のボランティアグループであり感謝に堪えません。大学によっては「年間30万円の富士奨学金を使い切ったあとのテキスト代などは一切大学が補償」するということで奨学金の何倍かの支出をしているところもあります。試験についても口述筆記、口頭試問などまちまちですが2、3の大学が学内試験の点訳・墨訳などをセンターと契約して実施しております。そうかと思いますと、キャンパスを2つ使っている盲学生のために2ヶ所に高額のパソコン機器などを揃えて後はご自由にといったところもあります。何れにせよ学生間といいますか大学間での話し合いや連帯感などはあまり感じられず、一層学習環境を悪くしているのではないかとさえ思いました。
 就職については以前と違って国家公務員や地方公務員・教員採用など点字で受験出来る職種は拡がっていますが「狭き門」であることには間違いありません。ただ私たちの時代のように奨学金が育英会だけではなく幾つかの奨学金や年金もあることなどから就職に対する悲壮感はなくなり、ゆとりさえ感じられるように思いました。よく言えば大学で楽しく学習をしているといった感じです。ただ「声」として出て来ませんでしたが、「就職」の厳しさは予想以上に持っているのではないかと思い、ここら辺をもっともっと「声」に出すべきではないかと思いました。
 この会は公益信託村石久二障害者福祉基金の助成をいただき、学生の旅費・宿泊費・移動のためのバス代などを助成していただき、主催者としては少額の負担ですみました。有り難く感謝しております。

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第1回点字技能試験に思う

点字検定試験運営委員長 高橋実

相田恭子・埼玉県・墨字、青木こずえ・東京都・点字、大澤 剛・三重県・点字、加藤三保子・福島県・墨字、高坂みゆき・埼玉県・墨字、
児玉佳代子・京都府・墨字、坂巻明子・東京都・点字、佐賀善司・岩手県・点字、佐々木庸子・北海道・墨字、高橋由紀子・千葉県・墨字、
出口雅弘・東京都・点字、長江まゆみ・愛知県・墨字、長尾 博・滋賀県・点字、広瀬浩二郎・京都府・点字、福井哲也・埼玉県・点字、
本田知恵子・福岡県・墨字、三上洋・大阪府・点字、矢口貴子・宮崎県・墨字、山田恒子・長野県・墨字、吉川たか子・長野県・墨字、渡辺昭一・京都府・点字(五十音順)

 これは去る3月8日、日本盲人社会福祉施設協議会が主催している点字技能検定試験運営委員会が発表した点字技能師第1号となる合格者である。心よりお慶びを申しあげたい。また、一方で武運つたなく不合格になられた556人の皆様と、前日の雪などの影響で、交通機関などが乱れたりして心ならずも挑戦できなかった皆様には、「努力は必ず報われる」ということを申しあげ、次のチャンスをつかまえていただくことをお願いしたい。
 今回の合格率は3.64パーセントで、「これほど厳しい試験は他にないだろう」という声もあった。委員の中には、「少々アンバランスでも、点訳ができていれば、他の科目が少々できていなくても、合格にすべきではないか」という強い意見もあったが、最終的には「3科目とも合格点をクリアしていなければ技能師として認めるべきではない」という申し合わせが再確認された。そして受験番号にしたがって氏名が明らかにされた。名前を聞いた委員全体の雰囲気としては、「合格する人は努力している」と納得したようであった。点訳者に精通している委員からは、「やっぱりなあ」という驚きともつかぬ溜息が洩れていた。また、私は点字使用者のほとんどを知っているので、「さすがは」と感心させられた次第である。
 例えは悪いかも知れないが、野球ではよく「走る・守る・打つの三拍子がそろっているのが一流選手である」と言われている。確かに、理想はそうであるべきだし、それを求めていくべきであると思う。委員の1人が「職員採用でこの資格を持った人が来たら、文句なく採用する」と言っていたが、私はそれでこそ「点字技能師で飯が食える」ということになるのだと思い、その日の早からんことを心の中で願ったのである。
 試験は、視覚障害を含む障害福祉全般に関わる基礎的知識を問う学科と、技能(点訳及び校正)の3つからなっている。ある委員は、「点訳をみんな楽しみながらやっているのだから、それを奪い取ってしまうのはどうなのだろうか?」と、優秀な点訳者を例にして話していた。想像するところ、そのような人は学科の点字を目読みするのに時間をとられ、成績が悪かったのではないかと分析していた。
合格発表の後、何人もの方からご意見をいただいた。その1人が「視覚障害児が触読している傍らで、晴眼者も目で点字を追っていかれれば、どれ程その子どもにとって力になるかわかりませんからね」と言っていた。
 一方、この試験実施を発表して以来、点字使用者からは「正確さを重視し、採点でゆるぎのないようにしてほしい」という厳しい声もあった。判定会議では、前述したように、受験番号だけで3科目の点数を判定したので、公明正大であったことは自信を持って言えるし、今後も点数配分についてはゆるぎないものとして守っていきたい。また、点訳者からは、「この試験に合格しないと、今後点訳はしても読んで貰えなくなるのだろうか」とか、点訳グループのリーダー格からは公然と、「ボランティアを区別する試験だ」と言われたが、そのようなことは考えてもいなかった。それよりも私は将来、点訳グループの指導者や学校などからの派遣依頼があったときには、一番にこの人達を紹介できるほど、全国で多くの点字技能師が誕生すればと願っている。視覚障害者を含めて、点字は量から質へ転換していく取っ掛かりに、この試験が役立つことを夢見ながら、皆様の建設的な意見を前向きに聞いて、11月18日、東京と大阪で実施される予定の第2回試験準備に取り組んでいきたいと思っている。そして1日も早く「手話通訳士」のように公的な試験になるよう関係方面に働きかけを一層強めていきたいと思う。幸い、全国団体である日本盲人会連合、全国盲学校校長会、日本点字委員会などの協力を得ているだけに、この実現は早いのではないかと思っている1人である。 (これは日点発行の『日点フォーラム』から転載したものです)

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「点字技能師」にセンターの坂巻とチャレンジの出口が合格

 前項のように、同試験にセンター職員の坂巻明子とチャレンジ利用生の出口雅弘が見事合格しました。合格率3.64%という「狭き門」をクリアした2人には心より慶びの意を表します。しかし、センターに関わる沢山の人が今回「感激を味わえなかった」ということに対しては、ご本人はもとよりですが私としてもとても残念なことで、これに懲りず次回に向けて努力して下さいとしか申しあげられないことを心苦しく思っております。
 心ならずも私が以前から提案していたということで運営委員長という重責をお引き受けし、何とか第1回試験を済ませましたが、その合格認定証の発行のことや問い合わせで、心身ともにこれほど疲れたことはありませんでした。その上、あらたに2年間大役から解放されないことになり、なおさら心は重いわけです。ですが、日本盲人会連合の笹川会長、全国盲学校校長会の皆川会長、日本点字委員会の阿佐会長ら、全国組織の団体のトップが運営委員会委員に参加して下さっていますので、私は見てくれだけでも重責を果たし得たように思います。
 そんな私にして、第1回という記念すべきときに合格者がたったの21人というのは本当に驚きました。決定過程のなかで「2科目まで合格点をクリアしていれば」という意見も結構出ましたし、「点訳に使命感と喜びを感じ実績をもっているボランティアが大半受験しているのだから、正確な点訳であれば認めるべきではないか」「こんなに合格者が少ないと今後受験者が減るのではないか」といった意見も出ましたが、この試験実施の主旨を貫こうということで21人になってしまいました。私は、晴盲に関係なく皆さんに「客観的確認を受けるためにも受験をするように」と勧めました。その責任は感じなければいけないと思うのですが、私のように点字を生活文字として生活している者を含めて全ての点字関係者が1度や2度の試験でパスするというのは余りに試験を甘く見ているのではないかと思います。チャレンジの出口にしても、黙々と点字に取り組んでおり、「点字の技能ほどではなくても良いから、もっと無駄話をしてくれれば」と思うほどの誠実な彼です。以前、「専門学校で短期間点字の講義を頼まれましたので、何時間か休ませて下さい」という申し出を受け、内心吃驚したことを思いだし、失礼なことを考えた私を責めています。坂巻にしても、点字校正職員ですから当然だと思いますが、まだまだ勉強が足りないとハッパをかけています。
 13年度の試験は11月18日(日)前回同様、東京と大阪で実施することが内定しています。今後は試験の周知徹底と出来るだけ会場を増やしていく方向で検討しなければならないと思います。また問題の公開についても大所高所から検討し、皆さまに誤解を受けないようにしなければならないと思っております。

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点字技能試験で2会場に感謝

 第1回点字技能検定試験が去る1月28日東京と大阪で一斉に行われました。東京会場はJR中央線のお茶の水駅から徒歩数分の明治大学リバティタワー、大阪は住之江区のトレードセンター駅から徒歩2、3分のATCホール6階のコンベンションホールで行いました。
 東京会場はJRからも地下鉄からも交通の便が良く、1998年に建てられたこともあって、エレベーターには音声も点字サインもついており、誘導ブロックも敷設されていて視覚障害者にとっては到れり尽くせりの会場です。ただ今回は昔々の学生紛争の尾を引いていて、当分の間教職員や学生の出入りにチェックが行われているため受験者やその関係者も受験票などのチェックがあり鬱陶しい思いをされご迷惑をお掛けしたことと思います。しかし地の利としても抜群ですので今後とも利用させて貰いたいとお願いした次第です。それに会場使用料も割引してくれました。たまたま当センターの支える会に明大理工学部の教授がおられ、以前数学科の点字入試問題でお目にかかったことがあったことと、奥様はセンターの点訳者であることが幸いしたわけです。
 大阪会場は交通の便は悪くないのですが、大阪駅から遠いのが難点でした。東京もそうでしたが、大阪も土壇場まで人数が確定せず日本ライトハウスの加藤さんに応援をいただきました。ここは担当者の気配りが素晴らしく、会場ごとに温度調節をして下さるなど受験者には十分な配慮をしてくれました。重ねて2会場の関係者にお礼を申しあげる次第です。

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『点字技能ハンドブック』を座右の書に

 『点字技能ハンドブック−−視覚障害者に関わる基礎的知識』を当法人の後援会が発行しています。本書の発行は、技能試験にあわせ特に製作したものではありません。「ちょっとした拠り所にでもなる虎の巻」という軽い気持でお読み頂ければ幸いです。この本を読みこなせば、試験に必ず合格するというものではありません。点字に関わる人たちがこの程度の知識を持って頂ければということで、晴盲に関係なくお奨めしたい本です。特に視覚障害の方から、タイミングが良かったし、こんなコンパクトな物知り帳はないと、評価して頂いています。ご希望の方はセンターの図書係までお申し出下さい。

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雑誌『視覚障害』をセンターが継続発行

 皆さまの中でもご愛読下さっている方が多数おられると思います雑誌『視覚障害−その研究と情報』は、13年5月(173号)からセンターが編集発行を引き継ぐことになりました。これを機に、皆さまの中でご購読下さっていない方がおられましたら事情の許される限りお読み頂きたく、切にお願い申しあげます。
 雑誌は年6回(5、7、9、11、1、3の奇数月)発行で、墨字・点字・テープ・フロッピィの4種類が価格、内容、発行などすべて同一になっており、購読料は年間4200円です。創刊号から、この3月(172号)までは日本盲人福祉研究会(文月会)が編集と発行を続けてきました。その文月会が3月末で解散することから、「雑誌だけはどこかで継続発行して欲しい」という強い要望が出てこのようになった次第です。皆さまの中で編集・校正でお手伝い頂ける方がおられましたら、是非お申し出頂きたいと思います。何卒宜しくお願い致します。

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小山田さん保育士に

 今春、京都の華頂短大を卒業した大阪市住之江区の小山田みきさん(23歳、全盲)が4月に開園する社会福祉法人乳児保育園紫苑学園(大阪市住之江区)に就職することが決まりました。全盲の保育士は全国でも例が無く、多くの期待が寄せられています。

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菊地さん宮城盲小学部に

 宮城県小学校教員採用試験に合格していた東京学芸大4年の菊地理一郎さん(22歳、全盲)が、4月から宮城盲小学部に勤務します。菊地さんは、小学部は宮城盲でした。

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広瀬さん民族学博物館に

 京都大学大学院修了の広瀬浩二郎さん(33歳、全盲)が4月から大阪府吹田市にある国立民族学博物館民族文化研究部助手に就任します。広瀬さんは、京都大学で宗教に現れる日本民衆の福祉意識の研究で博士号を取得しています。

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田中さん久留米大から筑波大大学院に

 福岡県久留米市の久留米大人間科学科で心理学を専攻していた田中智成さん(22歳、全盲)は、4月から筑波大学大学院で障害児教育を専攻することになりました。

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でたらめな点字物の氾濫に手を貸さないよう

 2月20日前後に、ある大手点字出版所から月刊誌が送られて来ました。その1頁をめくると折り畳みの点字物が出て来ました。「これは」と広げて見ますと、樹脂製で透明の点字のカレンダーです。私は1年1枚もののカレンダーが便利なので以前から利用していましたが最近は送られて来ません。ですから「これはしめた」と思ったのも束の間、点字が薄くマスあけは全くでたらめ、そのうえ晴眼者にはあまり感じられないようですが点が薄いうえに、その周辺も点消しが下手で埃がついたようなものです。マスあけのひとつを例にしますと「しぜんのゆうび」「ぜつめつききのむしたち」という具合です。
 このカレンダーがどこで作られたかは知る由もありませんが、何れにせよ点字に無縁の印刷業者だと思います。このような印刷会社が増えることを私たちは一番恐れています。大手点字出版施設に相談にきて、いろいろ教えたけれどその後音沙汰がないと思っていたら既に商品に貼付されていた。それが間違いであったりしてもこれはどこどこの指導を受けたと言われ困ってしまうというようなことをよく聞きます。私も結構相談を受けますが、責任の持てないようなことには始めから関わらず、その専門筋へ紹介しています。私が受けた相談の場合は必ずプロセスを連絡して欲しいと注文を付けた上で話し合いに入っています。
 多分、この挟み込みも点字を知らない部署で、機械的に行われたのだと思います。大手出版施設だけに影響力は予想以上だと思います。私が部会長を勤めています日盲社協の点字出版部会でもこのような点字印刷物が作られないようにしようと「点字サイン問題」についてプロジェクトチームを作り検討しています。何れ皆さまの参考になるような報告書ができるのではないかと期待しております。読み辛い、分かり難い、間違った不鮮明な点字物をまき散らすようなことに点字出版施設が手を貸さないように注意したいものです。

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東京都身障センターの対応に思う

 「お役所仕事は遅いもの」ということを先入感として持っていました。しかし都の身障センターだけはそんなことはないと思い、先頃も「チャレンジ」に通所する利用生が予定より早く地方から出て来るということで1日でも早く仕事が出来ればと思い、都に歩行訓練のお願いをしました。「1週間後に本人が来ますのでその頃から始めていただき、事故の無いように訓練して頂きたい」とお願いしました。ところが電話の対応は問題無かったのですが何回かのやりとりではっきりしたことは「1週間後に登録をして、その後1週間後くらいに判定をして、順調に行けば翌日から訓練に入れるかどうか、出来るだけ希望に添うように予定を入れておきます」ということでした。結局2週間後でないと運が良くても訓練が出来ないということは、こちらサイドで言えば、貴重な1週間を棒に振ることになるわけです。その気になって上京する若者を2、3年前までは東京の学校にいたとは言え、やはり責任もありますからきちっと歩行訓練だけはして貰いたいと思いお願いしていたわけです。それでは困りますので丁寧にお断りし、知り合いの人に無理を言って、1週間後に上京した翌日から歩行訓練をして貰い通所し始めました。身障センターは昔から知り合いも沢山おり、「チャレンジ」の卒業生も職員として努力しています。そのようなところが「命に関わる歩行訓練」で実施を決めるまで2週間もかかるというのは些か問題だと思います。もっと迅速な対応をお願いしたいものだと思いますがそれは私の身勝手というものなのでしょうか。

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携帯電話の功罪

 私は2001年1月25日、携帯電話を持ちました。これは1月28日、東京と大阪で同時に行われた「第1回点字技能検定試験」のためです。私が出られなかった会議の後に「委員長は携帯電話を所持し全体の流れを理解し、事故のないよう努力されたい」というFAXを受け取り、「それもありなん」と内心思っていたものですから早速職員に同行して貰い、携帯電話を買い求めました。取りあえず試験当日、東京会場の責任者や案内係で街頭に立っている人たちと連絡を取り、結構便利に使いました。確かに便利で大阪会場にいながら前述のように東京の動きが手に取るようでした。視覚障害者の「必需品」と言われるのも当然だろうと思います。私の場合、携帯はセンターからの急用以外には使わないことにしていますし、使用済みテレホンカードの提供をお願いしていることなどもあって、近くに公衆電話がある限りカードを使うようにしていますから、私にとって文明の利器はあまり通用しません。
 先日、家内が買い物をしていて抽選をし「お客様携帯電話が当たりました」と、如何にも「凄〜い」という感じで店員から言われた折も「結構です」と断り、相手は呆気にとられていたようです。出張の多い娘も、子どもが6歳と3歳ですから携帯電話は持っていてもと思うのですが、未だに買っていませんし、息子も全く手にしていませんから家族でやっと私だけが携帯の恩恵に浴しているということになるのかも知れません。
 人に対する迷惑はよく分かるのですが、もし乗り物のなかで携帯がふんだんに使えるものでしたら、私などイの1番に求めていたと思います。電車・バス・新幹線を利用する者としては、それが出来ないとなればあまり利用価値はありません。ただ点字技能の会議で土・日に一緒になる副委員長の藤野さんは岐阜の点字図書館長ですが、休日は図書館の代表電話だけ携帯に転送できるようにしているとかで、読者などの対応に応じているのには感心しています。土曜・日曜休みだということは皆さん知っておられるのだと思いますが、多分「万が一」ということでかけてこられるのだと思います。私も会議などで出かけない限りは土曜出勤していますが結構電話がかかってきます。電話に限らず、私たちのようにボランティアなど善意の人たちに支えられている施設として土・日・祝祭日の対応にはどう対処すべきかいつも頭を痛めていることの一つです。

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2世代に亙っての出会い

 この社会、特に私たちが関わっている施設では、世襲制といいますと些かオーバーですが親子何代ということがあまり珍しくありません。私が尊敬しお力添えを頂いている東京点字出版所は今3代目です。創設者の肥後喜一さんは、私が大阪にいる頃に、狭い我が家にまで来て頂き「先生お風呂を」と、暑い時ですからお勧めしますと、「風呂は何時でも入れる。今は高橋さんと話しすることが大切だ」と言われ、点字の話をみっちりうかがったことを、いつになっても忘れることは出来ません。大学時代は夜遅くまでお宅にお邪魔したものです。先生はアルコールを一切口にされず、点字の「肥後論」を滔々と話されるものですから随分勉強になりました。
 去る2月24日、株式会社大活字社長、市橋正光さんの結婚式に招かれました。26歳の社会事業大出身の青年社長の結婚式とあって、披露宴は若い歌声で華やかさが伝わってきました。そもそも大活字は彼の親父さんである正春さんが起こした会社で、発足当初は弱視者を対象に活字を大きくした図書を出版することが主でした。今は業務を拡大し啓発図書の取次や販売、弱視者用のグッズも展示しているようです。正光さんとはセンター発行の図書の販売や活字出版などをお願いすることで、2、3年前からお付き合いしているわけです。彼は兄弟4人の長男で、親父さんが不慮の事故で亡くなったあとを引き継ぎました。親父さんの正春さんは弱視で、事故死されなければ50代後半だろうと思います。私が彼と出会ったのは明治学院在学中で文月会に入会してからです。彼は、学生時代視覚障害学生の学習環境整備で活動していました。多分、視覚障害学生が明学に一番多かった頃で、大学の関係者が「視覚障害学生がこのように私大に集まり、いろいろ設備を要望されると経営に影響してくる」というようなことを、公然とコメントされていたことを覚えています。
 最近は少なくなりましたが、以前はどういうわけか東と西でそれぞれ特定の大学に視覚障害学生が集まる傾向があって、門戸開放当初は、西の同志社・東の日大といわれましたし、次には東の明学・西の竜谷、その後は西の花園・東の和光などといった具合に変わってきています。その都度、私は「出来るだけ特定の大学に偏らず、全国に散らばってほしい」とお願いしたような気もします。
 話は横道に入りましたが、正春さんは卒業後、川崎市の公務員に採用され、盲人図書館を皮切りに何カ所か移動していたように思います。仕事の傍ら彼は視覚障害者読書権協議会を作り、一貫してその事務局長として事務所を自宅におき、雑誌の編集から活動のスケジュールまですべて取り仕切っていたほどの熱の入れようで、彼の功績は盲界史に残るものです。残念ながら彼の死後、視読協は解散しました。公共図書館における視覚障害者サービスなど画期的な取組みが今日の公共図書館の在り方を変えつつあるのだと思います。彼との最後は1996年の夏頃だったと思います。センターに来られて「先輩もとうとうここまでもってきましたね。さすがです。ご苦労さまでした。これからも頑張って下さい」と励まされた次第です。前述しましたように、彼とは学生時代からの付き合いですから、結婚され、奥様も一時期、盲人関係施設に勤めていましたので存じ上げております。奥様は生前も事故死後もご苦労されてこられたのではないでしょうか。公務員を中途で退職し大活字を設立したのですから、借金も結構作ったのではないかと思います。株式会社の場合、当時は500万円か1000万円かの資本金でOKでしたが、今、世間を騒がせている「ものづくり大学」のようにはいかないものです。私たちも国家公務員試験、点字導入については随分、国会質問もして貰いましたが、一度として議員に頼んだ覚えはありません。折角の良いことも政治家と官僚が結託して台無しにしてしまうことも多いのですから、腹立たしさだけが残るばかりです。そのうえ厚生労働省が絡んでいるのですから何をかいわんやです。少なくても私が存じ上げている厚生労働省、文部科学省、東京都、杉並区の役人は善意に満ちた人ばかりでよく話を聞いて下さいます。
 ただ先日、社会参加室の補佐が「だから高橋さんは嫌われるんですよ」と言われました。話題を変えられ、深く聞くことが出来ずに残念だったのですが、私はどんな人にも好かれているとか、好かれようという努力は爪の垢ほどもしたことがありません。自分で責任が持てることだけは、どんなことがあってもやり抜かなければならないと思っていますから、ご迷惑をおかけしている方は多数おられると思いますがお許しください。出版は厳しい時代が続いていますが、若い2代目社長の発想とお母様のサゼッションで益々発展することを願っております。
 もうお一人は、中村浩文さんという青年でコロニー印刷の営業マンです。彼は昨年の暮れからセンターの担当になりました。営業マンによって取引が増えたり減ったりすることがよくあると聞きます。営業妨害になると困りますので詳しくは申しあげませんが、コロニーでも営業マンによって評判が違います。少なくともセンターが取引を始めた10数年前から本当に良い人ばかりで、よく他地域の人に羨ましがられているほどです。ですから中村さんも大いに期待しているのです。その中村さんがいつかボソッと「私事ですが父も視覚障害者でした。母は最近、亡くなりました」と話されたのを聞いて吃驚しました。東京光の家の今の点字出版を中心にやっている栄光園の園長だった中村しげるさんだったのです。彼は大分から明学に進み、一時期どこかに勤めていましたが光の家に転職しました。それからは点字出版の仲間としてまた文月会員としてお付合していたのですが、私が点毎に在籍中、病死され、お葬式で家内と一緒に光の家に行ったことを覚えています。その後、奥様はお元気でおられると風の便りで聞いていたのですが、まさか息子さんと巡り会うとは吃驚しました。彼がコロニーの営業マンとして立派になるよう期待しています。本当に不思議な出会いがあるものです。これからもどんな出会いがあるのか楽しみにしながら仕事をしてまいります。

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航空会社のサービスに感謝しながらも

 私は以前に本誌で、航空会社のサービスほど徹底していると障害のある人たちでも、あまり不服はないのだろうと思うということを書きました。飛行機が庶民の足になってきたのがいつ頃なのか覚えていませんが、私が初めて飛行機を利用したのは1975年頃だったと思います。交通費の節約か勤めの関係かは忘れましたが、子ども達2人が小学校に入った当時だったと思います。大阪から東京までは往復新幹線で、羽田から札幌までが飛行機でした。羽田から札幌に向かった折、千歳空港が霧で降りられず、何回か旋回していましたがやはり駄目で羽田に戻り、1泊して出直しました。家族揃ってがっくりしたことを覚えています。それに当時は離陸1時間前には遅くとも空港に行っていなくてはならないということで、それ以来あまり利用しませんでした。最近は離陸30分前位でも乗れるようになりましたし、東京から家内の実家、大分とか私の実家、旭川となるとやはり飛行機を利用することになります。今年も新年早々の北海道行きを入れてあと2回、福岡へも6月に2回いかなければなりません。
 私が利用する飛行機は利用客が少ないせいか、羽田では搭乗口までバスを使うことが多いのです。その時間が無駄ですし、何か他に理由があるのかと思い、先日、羽田国際空港の旅客サービス課に電話で聞きましたところ、「旅客の少ない便は滑走路が少ないため送迎バスを使わざるを得ない。2005年には新ターミナルが出来るので幾分バスは減るだろうが、それにしても無理でしょう」と、ごく当然のことのように担当者は答えていました。
 私のように2人で飛行機を利用していても、必ず「お手伝いは」と言われたり「お荷物を」と言われたりして恐縮しながらお断りしています。その申し出が板についているのですから大したもので、「わが福祉施設の職員はここまで行っているのだろうか」と思うことしきりです。事情はともあれ、職員のそのような思いやりや優しさがバスで帳消しになるような気がしてなりません。

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社会福祉法人視覚障害支援総合センター平成13年度事業計画

1.keiビル4Fの賃貸借について
 事後承認になりましたが、keiビルの2Fの「チャレンジ」と3Fの法人本部だけでは事業の充実強化によって、場所が狭くなってきましたのでいろいろ検討してきました。一時期、社福の基本金が1億円から1千万円に緩和されると言う話もあり、「基本金を1千万円とし、残り9千万円を軸に新たに建設募金をして自社ビルを」という構想もありました。しかし、都に確認しましたところ「それはNPOに限られたもので既存の法人が認可当時決められた基本金は崩すことは認められない」ということでした。そこで、とりあえずkeiビルでの賃貸借を計画していましたところ、たまたま4Fが2月末、テナントを公募しているということで、財政的には無理なことは承知の上で3月6日に契約しました。4Fも2,3Fと同様の広さです。とりあえずの使用は3Fの活字書の在庫と2FのCDデジタルテープ2600本などを収納すると共に2,30人の会議室と応接セット、障害者情報バリアフリーのパソコンなどを設置したいと考えております。
 これまで3Fにあった応接セットも作業台に代わり、会議室もなかったために10人以上の見学者があったときには公会堂の会議室を借りていました。これからは役員会などもそこで開催できると思いますので、ご了承いただきたいと思います。

2.「チャレンジ」を法内施設に切り替え
 昨年、社会福祉法の改正で10人から20人まで「法内小規模授産施設」として認められることとなりました。「チャレンジ」は平成10年4月からセンターの事業として利用生3人でスタートしました。11年7月からは定員8人以上の授産施設として杉並区の認可を受け現在に至っています。国・都・区が今のところ法内施設に対する施設設置運営基準などを示していませんので、法人にとって財政や運営でどうなるのか判断は出来ません。しかし「入所生の6,7割までは出来るだけ区民でなければならないという現状からすれば、「法内授産」によってその割合が幾分緩和され区外の待機者が減少することになるだけでも視覚障害者にとってプラスなのではないかと私は考え、昨年から国に認可の内定を13年度から出してくれるように要望しています。ただ国は、初年度で全国で120ヶ所程度を既設の法人より新設法人(基本金1000万)から認可していきたいという意向です。認可内定は4月末になるようですが、その後、都と区の手続きを踏まなければなりませんので、早くても7月、遅くなれば10月からということになると思います。念願が叶ったとしても作業量と力量を考え、当分の間、現状の10人から12人程度でいきたいと思います。
 3月で利用生も2人が巣立っていき、2人の利用生が通所し始めました。

3.「障害者情報バリアフリー設備整備事業」について
 これも国の施策ですが、「地域の在宅障害者が利用する目的で上記のような事業が補正予算で組まれ、国が240万、都が120万、区市町村が120万を支出し、パソコンなどを情報提供施設など障害者が利用しやすい施設などに整備するというもので、当センター4Fの一角に3月21日、区の指導で設置しました。私は、国で「目的に沿った機器を網羅して区と都を通して申請するように」と言われ、指示通りに区に申し出ました。何れ運営要綱が示されるのだと思いますが、このような区が業者に発注し区を経由してセンターに整備するなどということは初めてです。これを手がかりにして地域を中心に社会資源を掘り起こし、それを養成して障害者の社会自立に役立つような働きかけをしたいと思っております。たとえば、電話やFAXによる代筆や代読などをしていきたいと思います。

4.センター記念事業の開催
 本年はセンター創立15年、センター法人認可5周年、「チャレンジ」開設3周年を迎えます。これを記念して、来る9月29日(土)杉並区と区社協の後援を得て、センターチャリィティーコンサートと記念講演を区立公会堂大ホールで行いたいと思っています。コンサートは視覚障害音楽家3人の演奏。講演は東大助教授に4月から就任する福島智さんの「バリアフリーと障害者」を予定しています。5時頃から荻窪駅周辺で150人規模のパーティーを考えております。

5.中募からの助成で音楽辞典製作と配布
 視覚障害音楽家のコンサート開催や音楽家リストの作成など、かねてより視覚障害音楽家の支援をしているセンターに、中央共同募金会の計らいで「音楽家支援のため」に助成がつきました。対象となったのは「視覚障害音楽家支援事業−音楽書の点訳製作・配布」です。音楽を志す人には必携の『新訂 標準音楽辞典(音楽の友社)』の点字書を作成。点字とフロッピーで関係団体、施設へ配布することになっています。点字版約95巻で12月事業完了の予定です。

6.学生のセンター登録でサービス提供
 視覚障害大学生を含む、各種資格試験などにチャレンジしようとしている若者に対し、学習や就職支援などを出来るだけ行っていきたいと思っています。ただ、文月会が解散することからこれまでの文月会入会をセンターへの登録制として、初回のみ5000円を登録料として納めていただきます。またこれまでもそうでしたがこの人達の家族には強要ではありませんが支える会への入会をお願いしていきたいと思っています。さらに富士記念財団と聖明朝日の奨学生を公募し、その推薦をしていきます。また富士点訳事業の運営を行っていきます。

7.雑誌『視覚障害』の発行継続
 前述しましたように文月会の解散により、172号まで文月会が発行してきました『視覚障害−その研究と情報』を引き受け、5月から継続発行することにします。これまでも編集以外の作業は全てセンターが行っていましたが、年6回(5.7.9.11.1.3)が定期的に発行できなかったことなどから読者が激減しています。折角、墨字・点字・テープ・フロッピーの4種同時発行でユニーク誌として評価されているだけに、この際センターから離れ、編集の一新を図ることも躍進の一つかと思い、日点と日本ライトハウスに依頼しましたが、いづれも断られ止むなく編集から発行までセンターが責任を負うことになりました。情報提供として広告の協賛・校正や編集で是非お力添えいただきたいと思います。

8.センターと文月会の記念誌発行について
 センターの15年記念誌については5年前に浦口さんが中心になって「10年誌」の編集に取りかかってくれましたので、それを今回の「記念事業」に発想を変えて編集し直して貰えればと思います。編集委員は浦口さんと相談したいと思います。また、文月会の「40周年誌」については谷合さんに30年誌も中心になってして貰いましたので、今回もお願いしあらたに金沢・田中徹二・茂木氏ら3人と私の5人で編集することに決めていますが、残金が20万円前後しかありませんので、来る4月14日開く予定の理事会に諮り、捻出方法を決めたいと思っています。センターが一部負担せざるを得ないかも知れません。

9.センターを支える会の充実強化について
 当法人理事の河井会長が中心に会員強化運動を行っています。法人に対し公的な助成がない現状では不特定多数の皆さまのご協力はもとよりですが支える会の存在がなければセンターの事業は成り立ちません。

10.職員の待遇改善について
 職員の身分保障がセンターの安定した事業運営につながります。賃金については高額とは思いませんが、他に比べてそう低くはありません。ただ賞与が11年度から実現し、11年度1月、12年度2月というのは余りに少ないと思います。何とか増やせるよう共に努力したいと思います。残業費は労務管理上無理であり、今は退職共済など福利厚生の充実に努力したいと思います。

11.第2回全国視覚障害大学生ミニ会議の開催について・その他
 去る3月3,4日の両日、同ミニ会議を一泊二日で開き、20人近い学生が参加しました。文月会の例会では集まらなかった若者が、たった一通の手紙で集まってくれたことの分析を行い、引き続き継続開催の可能性について検討したいと思っています。その他、民間団体に対し、ユニークな事業を申請し、助成金を得るための努力などをしていきたいと思います。

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