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2001年8月5日発行 第29号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

 「苦熱」という言葉がありますが、7月はそんな日と、北海道の8月の朝夕を思わせるような気温の日があったりで、皆様体調を整えられるのにご苦労されているのではないでしょうか。くれぐれもお身体に十分ご注意のうえ、猛暑を乗りきって下さい。前号でもご案内しましたように、来る9月29日(土)は、皆様のご支援とご協力を頂いてセンターの記念事業を予定しております。講演とコンサートは、杉並公会堂で行います。首都圏の方は、是非お出かけいただきたいと思います。また、遠隔地の方は東京にお知り合いの方がおられましたらお勧め頂けたら幸いです。お力添え頂ける場合は、担当の大関か、尾田にご指示下さい。チケットと振替用紙をお送りします。またご宣伝下さる方には、チラシをお送りしますのでご面倒でもお申し出下さい。お願いいたします。

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杉並区が区役所ロビーに展示即売コーナー

 杉並区は8月20日から、区役所西棟1階ロビーに、区内で開設している障害施設とシルバー人材センターなどで製作ないしは取り扱っている品物の展示即売を行うことになり、その打ち合わせ会が開かれました。「チャレンジ」も加えていただくことになり、とりあえずは毎月第2火曜と第3水曜の一日中、墨字の啓発図書や絵はがき等を展示即売することになりました。区内の方はご承知でしょうが、区役所は地下鉄丸の内線南阿佐ヶ谷駅からすぐの所ですからお出かけ下さい。ロビーの一角2メートル四方に、区がパンフレットスタンド、机、椅子、掲示板などを揃えて、施設に活用して貰おうという企画です。これまでも9階食堂横で、生協が福利厚生を目的に行っており、「チャレンジ」も参加しておりました。ただ、9階食堂横は限られた人が対象になりますので、「1階のロビーの一部を開放して欲しい」と私は書いたり訴えたりしていました。聞くところに依りますと、議会でも「この厳しい時代、障害者や高齢者に対し、厚い配慮をするように」との意見もあって区が踏み切ったそうです。

 私の所が狭いからなおさらなのかも知れませんし、防災という観点から広いのでしょうが、都庁を始め、私がお尋ねする役所は、大半贅沢な程にロビーが広くいつも「こんなところをセンターに貸してくれれば」なんて思っていました。そんなことで、今回の区の決断は素晴らしいことで、他区や都庁等公的機関は取り入れるべく検討していただきたいものだと思います。「聖域なき構造改革」とか「規制緩和」などと声を荒げるのではなく、このようなやさしい発想の話題が聞こえてきても良いのではないかと思います。

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高額のご寄付にあらためて感謝を

 センターだよりに毎回ご寄付やご寄贈下さった方のお名前を記し、お礼の気持ちに代えかえさせていただいていますが、いつものことながら感謝の一語に尽きます。
 今回ちょっと書かせていただきます。星先生が指導しておられるトゥインクルスター、コーロルーメス、コーロアミーゴの3グループから、毎年先生を通じて高額のご寄付を頂いています。そもそもセンターがチャリティーコンサートを始めたきっかけは、コーラスグループの物心両面に渡るお力添えがあったからこそです。最近虎ノ門に出かけた折、虎ノ門ホールを見て懐かしく思いました。1987年6月、虎ノ門ホールで第1回センターチャリティーコンサートを開いたのです。来る9月29日センター記念行事のチラシご挨拶にも書いたのですが、私の人生は「執念」と「無謀」の2語で占められているということで、正にその第1回目は「無謀」の1言だったと思います。池袋の東京芸術劇場で1度行いましたが、虎ノ門ホールとは違った不安に襲われました。それを解消して下さったのが、コーラスの皆さんであり、来場された1000人前後の皆さんと、出演者の方だと思います。

 次に、私の大家さんである青柳すみ子さんは、支える会に入会して下さり、毎年高額のご寄付を頂いております。去る6月「母は喜寿を迎えて亡くなりましたが、私は喜寿を元気に越えましたので、その記念に」と言って50万円をご寄付下さいました。

 最近はまた浦安から暑い中、金澤達子さんが法人認可感謝の集いでお上げした500円玉貯金箱をもってこられました。多分汗びっしょりだったのだろうと思いました。ずしっと詰まった貯金箱を壊して数えてみますと、12万4000円でした。「一人で生活していますと、500円は意識して集めなければなかなかたまりません」ということでした。それを私の手に乗せて下さり、「80近くなりますと、注意していても見落としたりして入力ミスが出ます。皆さんに、迷惑をかけることが多くなりましたので、リタイアさせて下さい」というお話で「それは」といって、二の句が出ませんでした。私のモットーは「去るものは追わず、来るものは拒まず」なのですが、支える会の戦力になっておられる人たちに、それは通用させられません。ですが、「高齢である」とか「私の姿勢に賛同できない」といった方は、涙をのんで我慢します。専門点訳者としてセンターの講習を受けられ、点字を生きがいとしてこられた金澤さん、本当に長いことありがとうございました。

 最後は、私事になるかも知れませんが、姉である岡田ヨシエが喜寿を目前にして6月亡くなりました。7人姉弟の長女で、母が亡くなった9歳の時から母代わりで人一倍面倒をかけました。成田のセンター時代は上京しては長期間手伝ってもらったものですから、当時の支える会の皆さんはよくお話下さったり、旧職員にもお世話になりました。息子が海外協力隊でケニアに行っていた頃、家内が娘らと一緒に10日ほど出かけた折も、姉が上京して、世話をしてくれました。昨年は、息子がジャイカで南アフリカのマラウイにいっていた時も姉に留守番を頼んで、娘らと一緒に家内も行く予定でしたが「東京の夏は暑くてその上体調が悪いようなので」といって、家内は遠慮しました。それを知った姉が、亡くなるまで、「遠慮しなければ良かったのに。何としてでも行ってあげたのに」と悔やんでいました。家内に「あなたは姉弟離れができていない」と言われます。その甥が「母はセンターの支える会に入っていたし、おじさんに恩返しもしなくちゃいけないので」といって香典返しの一部として70万円を寄付してくれました。 青柳さんにしても金澤さんにしても姉にしても、熱い思いをセンターに寄せてくれていることに頭が下がる思いで、紙上を通じてお礼を申しあげます。

 私の母は40代、父は60代、長男は50代前半にそれぞれ亡くなり、妹と弟は50代半ばで亡くなり、残されたのは姉2人と私だけです。私が社会人になるまで叔父や叔母によくいわれたものです。「実さんがわが道を行ったばっかりに、みんな苦労して早死にしたのだ」と。否定はしませんが、何と言われても寂しいものです。

 皆様どうぞ暑い夏を乗り切り、爽やかな秋から寒い冬へと体調を整えてお過ごし下さい。失礼します。

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