[戻る][ホームページに戻る]

2002年2月17日発行 第32号 社会福祉法人視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

 2002年も暦の上では立春を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。3月を思わせるような暖かい日もあれば冬本番に舞い戻ったかのような冷たい風の日があったりで、例年同様寒暖の差が激しいようです。どうぞお風邪などおめしになられぬよう、くれぐれもご注意下さい。

 年末から新年にかけて沢山の方からご寄付をお送りいただいたり使用済み切手やテレカをいただいたりで、鬱陶しい世間をよそに、私は感謝、感謝の心温まる毎日でした。猫の手も借りたいとか先生も走る師走とかいわれているのですから、皆様にとっても多忙な慌ただしい時期だと思います。そのような中で私たちセンターのことに思いを寄せていただけるなど、(失礼な話ですが)不思議にさえ思えます。何とお礼を申しあげて良いかわかりません。ただただ善意に応えるべく努力するしかありません。

 いつも申しあげていますように私はラジオのNHK深夜放送のファンです。番組内容もさることながら全国各地から寄せられる投稿の大半の人たちが60〜80歳で、現役の方、病気と闘っている人など百人百様ですが、共通していることは皆さん前向きでお元気だということです。そういう、見知らぬ人たちのお年と元気さに私は助けられて課せられた毎日の仕事ができるのです。

 先日も「心の時代」で京都府伏見工業高校ラグビー部総監督の山口良治さんのお話を2日にわたって聞きました。私は辛うじて知っている野球以外のスポーツは全く関心もありませんし理解もできません。山口さんの、生徒と一緒にグラウンドで汗と涙で泥まみれになって前進していこうという姿勢に頭が下がりました。私自身で言えば岩手盲時代大堂校長を始め先生方が、学校をあげて我がことのように私にかけて下さったからこそ今日までの私があるのです。

 私は雑誌「視覚障害―その研究と情報」の取材で愛知県警が推し進めている「エスコートゾーン」をみてきました。急遽ご協力をお願いした元名古屋盲教頭の金森なを先生が県警で「一人歩きと歩行訓練の限界をこの(エスコートゾーンの)ように支えてくれなければ、バリアフリーと騒がれ過ぎていると思われる街中へもとびだせませんからね」と何回も強調され、県警の担当者も頷いていました。私のように歩行訓練など受けたことがないものでも、9車線もあるという幅広い車道を安心して一人で歩けたのもエスコートゾーンの賜物です。後述しますように、点字を含めて自立活動を盲学校の教育現場でしっかりやってほしいものです。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

視覚障害者の点字指導はどうなっていますか

 私は1月末、東海地区入試点訳事業団と名古屋盲主催の「点訳研究会」に招かれ名古屋に行ってきました。点訳ボランティアと盲学校の先生が中心で60人ほどでした。私の持ち時間は90分で、「私を含めて視覚障害を持つものは皆さんの理解と協力がなければ楽しい生活も社会自立も難しいので、些細なことからでも声をかけ手をかけていただくと同時に、思いやりと優しさが漲った環境をつくって貰えれば視覚障害者ももっともっと社会に貢献できるのではないか」とお話しし、センターの現状をお知らせし、更なるご支援をお願い申しあげました。

 午後からは鶴舞(つるま)図書館の大塚強さんと名古屋リハビリテーションセンターの原田良實さんの講義でした。「視覚障害者と読書」「点訳依頼の多様化」「読みよく書きよく分かりよく―点字表記の永遠の課題」といったことが中心でした。講師も熱っぽく語れば聞く人も水を打ったような静かな中で聞きいっていました。私が驚いたことは「点訳依頼の多様化」で、週刊誌の目録をはじめ、まわし読みどころか1回読んだら捨ててしまいそうなものも公共図書館ではボランティアの協力を得て提供しているという実態を知り、改めて時代の変わりように羨ましくさえ思いました。

 当日の質疑の中で考えさせられたことの中のひとつは「視覚障害者に対する新表記改訂の周知徹底は、どのような方法で行われているのか。ボランティアが入力した点訳物によって知るのでしょうか」といった意味のことでした。私は職員や利用生、支える会会員にはその都度点字に関わる情報は説明しているつもりです。後述しますように3月2日には「点字研修会」を一般を対象に行うことにしていますが、もしかすると無意識のうちにボランティア対象ということを頭に置いているのかもしれません。視覚障害者の生活文字である「点字」といいながら、肝心要の当事者をターゲットにしていないという反省は私一人だったのでしょうか。

 確かに大手施設などでは助成を受けて「点字教室」というような講座を開いていますがそれは中途失明者を対象にしたものだと理解しています。「視覚障害者の点字は下手できたない」とかいわれ続けているのですが、それを補うような手だてはあったのかと振り返ってみますと、盲学校の教育現場でも中途失明者の更正訓練施設の現場でも、悪評をカバーするようなプログラムはなかったように思います。

 昨年近県の盲学校の高等部普通科1、2年生ら9人がセンターに1日研修で来ました。その折「点字の読み書きと点字校正」として読み合わせを実体験してもらいました。皆さん初めての経験だったと思いますが、全員読み書きではお世辞にも正確、迅速だったとは言えませんでした。中途失明者も中には居ることですから一概には言えないのでしょうが、やはり点字の読み書きが標準程度の能力がなければ教科学習にも影響するのではないかと思います。以前にもお話したかと思いますが、私の小中高時代はパソコンやカセットなど文明の利器はありませんでしたから、自習時間を含めて点字を軸にした遊びしかなかったように思います。従って点字の読み書きも自然、上達したのだと思います。最近大学入試は必ずしも点字を重視せずにすむケースもあるようですが、しかしセンター試験、学内試験、就職試験などで点字の読み書きの威力が問われることは絶対にあることを、当事者は知っておかなければならないと思います。ですから教育や訓練の場で点字をもっともっと、教える側も教えられる側も問題意識を深めて取り組んでいただきたいと思う今日この頃です。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

点字研修会のお知らせ

テーマ「点字の資質向上をめざして」
日時●平成14年3月2日(土) 13時から17時
会場●阿佐谷地域区民センター 第4・5集会室
    杉並区阿佐谷南1−47−17  
    電話03−3314−7211
講師●小池清氏「点字観」
    (日本盲人会連合点字出版所、第2回点字技能検定試験合格)
    藤野克己氏「『表記法・てびき・表記辞典』−その一貫性をめざして」
    (視覚障害者情報センターぎふ館長、演題の「三種の神器」の編集委員)
    高橋 実「点字の専門性をねがって」
    (社会福祉法人視覚障害者支援総合センター理事長)

入場無料・申込不要

 当日、会場にて活字書や絵はがきなどの展示即売をいたします。点字に興味・関心のある皆さん、お待ちしております。
 お問合せは、センターの尾田までお願いいたします。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

雑誌「視覚障害」ご購読のお願い

 雑誌「視覚障害―その研究と情報」をまだお読みになっておられない方にご購読をお願いいたします。本誌の内容は国内外の視覚障害に関わる今日的話題や行政の取り組み、視覚障害者をとりまく環境や社会的理解度などの特集、対談、ルポ、各種研究、視覚障害者の働く場や羽ばたいている人の生き様を紹介。

1月号目次紹介
「特集 21世紀新しさへの挑戦―ノーマルな生き方をめざす時代の旗手達(エッセイストの三宮麻由子、民博の広瀬浩二郎、助教授の福島智、宇宙公団の八木陽平)」「talk to talk 21世紀の国際交流」「ルポ 新たな夢を求めてチャレンジ―視覚障害者就労訓練施設チャレンジの今日と明日」「ボランティア最前線 子犬の育成ボランティア パピーウォーカー」。

3月号目次紹介
「特集 WBUアジア太平洋の新体制に」「ルポ 留学生として日本に求めること オウジョウさんとロイビショジトさん」「ボランティア最前線 音屋の女房のボランティア―早耳ネット」「2001年度 視覚障害情報処理技術の最新動向」。

 年6回(奇数月、4200円、墨字・点字・テープ・フロッピー)発行。本誌は2001年3月まで日本盲人福祉研究会(文月会)が編集発行してきました。同会の解散に伴い、私が創刊号から発行人であったこともあって4月から編集発行ともにセンターが引き継ぎ、ようやく1年を終わろうとしています。編集長は文月会の役員でしたので、本業の傍らの仕事ですから、雑誌の性格からしてもまた有料ということからも片手間ではいけなかったのだと反省しています。そのために、引き継がれた当時は墨字版の遅れは甚だしく皆様には多大のご迷惑をおかけしましたし、読者も減少してしまいました。従って引き継いだ初年度は遅れをできるだけ正常に戻すことと、グラビアページの復活に力を入れてまいりました。そのために専任とまではいきませんが職員を配置し、初年度はなんとか目的を達成し皆様のご理解を得られたものと思っています。

 新年度も橋本京子を中心に、職員が一丸となって雑誌の未来にかけて誌面の充実強化と読者拡大に努力して参ります。またとりあえず名古屋と大阪などで読者懇談会を開き、皆様のご意見を誌面に反映したいと思っております。
 お問い合わせは、センターの坂本までお願いいたします。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

「点字技能ハンドブック改訂版」のお勧め

 点字技能検定試験の第3回目が11月17日(日)、例年同様東京と大阪で実施されます。その受験対策にこの「点字技能ハンドブック改訂版」をご利用いただきたいと思います。初版本をお読み下さった人はお分かりのように、ストレートに検定試験の対策になるとは思いません。「ボランティア概論」的内容を盛り込んだ本ですから、視覚障害者に関わる人や点字に関わる人には是非手元に置いていただきたい1冊です。正確な書名と定価はまもなくご案内できると思いますので心づもりをしておいていただけると幸いです。

 初版本同様二部構成で、第一部は「視覚障害に関わる基礎的知識」で谷合侑さんが、第二部は「点字技能に関わる基礎的知識」で黒崎恵津子さんが執筆しております。

 この図書と切っても切れないのが、私のいういわゆる「三種の神器」です。1冊目は、昨年11月に発行された「日本点字表記法 2001年版」(日本点字委員会)で、これはセンターでも取り扱っています。2冊目は3月初旬に発行される「点訳のてびき 第3版」(全視情協)です。3冊目は点字の読み書きには無くてはならない「点字表記事典改訂新版」です。6月1日発行をめざして、目下マラソンでいうところのトラックでゴールに向けてラストスパートといった感じです。委員は小林一弘委員長をはじめ、河井久美子、黒崎恵津子、田中徹二、当山啓、藤野克己の皆さんで、表記法、点訳の手引、各種辞書と3年余り首っ引きで取り組んできました。事務局として大関真砂美が加わっていますが「これからが貴女の実力が問われるのだよ」と激励しています。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

「点字技能検定試験」について

 関心と期待の中でスタートしました点字技能検定試験も、来る11月17日(日)、第3回目を迎えます。第1回目は試験日前日関東地方に降った大雪で欠席者が多数でましたが、それでも東京大阪合わせて577人が受験されました。第2回目の受験者は144人で、1回目の予想をはるかに超えた応募者に引き替え4分の1という数で、これまた予想されたように批判めいた意見を随分聞かされました。1回目の合格率が3.64%の21人は余りに低すぎて、「以後応募者は少なくなって試験そのものが立ち行かなくなるのではないか」等といったことでした。確かに応募者も欠席者も合格者も予想できなかったことですが、応募者に合格者は正比例するものではないと思っていたことだけは事実です。「1万円使って」といわれてしまうと困りますが、「刺激と腕試しと思ってチャレンジしてみては」とひっきりなしにかかる電話に私はそう答えました。大半の尋ね人は「点字を始めてから何年しか経っていないけれど」「点字板を使ったことがないけれど」「点字をそんなに長時間読んだことがないけれど」等といったことが圧倒的でした。しかしプレッシャーになるようなことは禁句だと私は思っています。電話一本で点字の実力など分かるはずがありませんし、学科についてはボランティア自身、意識してものの本を読むなどといったことは余りなかったと思います。だからといって一貫していかなければいけない合格ラインをかえるわけにはいきませんから、残念ながらあのような低い数字になったのだと思います。

 従って2回目は初回のような質問もほとんどありませんでした。心得たか敬遠したか無視されたかは知る由もありませんが、受験者も少なくなり合格者は増えたのだと思います。この形は当分続くのだと思います。

 点字技能検定試験制度については私が長年抱いていた夢でした。点字の専門性とそれを特に視覚障害者の雇用活性化に繋げたい、そして点字にもっと関心を持ってもらい、本当の意味での晴盲共通の文字にしたいという願いからでした。「点字離れ」が声高く叫ばれる中で、私はあらゆる方法でそれを阻まなければならないと思っております。この私の素朴な思いを関係者の皆さんの理解と協力でスタートさせ第2回目まで無事終えることができましたことを、厚く感謝申しあげる次第です。

 この制度をスタートさせようとしたとき、そして今もいろいろな問題が投げかけられています。まずぶつかったのが技能士の「士」です。厚生労働省の小泉潤一上席技能検定官から「『士』は職業能力開発促進法により労働大臣(当時)が指定する技能検定試験以外には使用できない」という電話をいただき、急遽「師」を用いることになりました。それが縁でその後小泉さんとは何度かお会いし、いろいろとサゼッションをいただき「ことと次第によっては社会参加推進室と協議しながら皆さんのニーズに応えられるかどうか検討していきましょう」と役人らしからぬ対応をしてくれています。従ってこれは、時間をかけて勉強し話し合っていかなければ結論のでることではありません。

 私は分不相応にも皆様のお力添えに感謝して委員長という大役を引き受け、2期4年のうち1年を残すのみとなりました。そのためこの技能「師・士」の問題をどのような形で決着させるかは、残念ながらあとの人に申し送るしかないと思います。目的は幾分異なりますが、手話通訳士のような身分を取得できるように関係者一同努力していきますので、皆様の一層のご支援をお願いする次第です。

 今も「善意にあふれた人たちがいろいろな方法で点字を修得し、正確、迅速に点字本などを提供してくれているにも関わらず、その人達を理由はともあれ1回の試験で落とすなど言語道断だ」という関係者もおります。たぶんセンターを支える会会員の中にも、そう思う人がおられるだろうと思います。「点字だけは」という時代は過ぎて「理解と知識を持って広い視野に立って点字に関わっていただきたい」と私は思うのです。私の思い入れの激しいことはどなたもご承知かと思います。自戒自重して参りますので何卒よろしくお願いいたします。

 点字技能師という専門性を身につけた人が、機会が増えてくるであろう点字に関わる講習会や研修会で指導者として技能を発揮できる場、点字出版所をはじめ点字と運命共同体であると思われる盲学校や点字図書館などに、専門性をもった晴盲の点字技能師が必置されなければならないというような制度のできることを私は願っています。

 なお「第1回点字技能検定試験を終えて」と題して副委員長の藤野克己さんが「視覚障害―その研究と情報」(No.173、2001年5月号)に執筆されているものを「センターだより No.28」(2001年7月13日)に転載してありますのでご覧いただければ幸いです。第3回の応募要項は5月末には準備されると思います。本誌でもご連絡いたします。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

あるボランティアグループの調査を読んで

 センターの支える会会員が属している研究ボランティア「アルグス」調査研究プロジェクトチームから「視覚障害者とボランティア活動―点字によるアンケート調査を中心として―」という、点字と墨字による調査結果をいただきました。そして忌憚のないご意見を聞かせていただきたいとのことでした。全体を通して前向きで思いやりのある、やる気満々のグループだということがアンケートを読む私の指から伝わってきました。率直な意見を書かせてもらいましたが、以下は、あくまでも私の考えですが参考にまでにご披露させていただきます。

 「今回の点字アンケートの印刷に使用する印刷機の騒音が甚だしいこと、本アンケート1通(17頁)の印刷所要時間に約10分を要するために、250通の印刷に多大の労力時間を費消したということは予想外であった。また「分かち書き」等点訳作業に心得のない者が設問内容などを作成した場合には、墨字からの自動点訳のみでは不十分と感じられた。」という部分は、頭では知っていても実際にやってみて本当に分かることですから、素晴らしい経験をされたと思い感謝しました。

 「ほかのボランティアに比べ点訳ボランティアの場合には育成に時間を要するため、新規参加者の拡大(特に若い世代を中心として)のためには、講習会の開催などによる、より一層積極的な普及、機会提供が必要である。」という項目は私たち関係者にとって重要な警鐘だと思います。

 「点訳奉仕において比較的長い経験、高い習熟度、根気のいる作業などを必要とする主たる原因としては「分かち書き」の問題があり、「分かち書き」のルールが必ずしも統一されておらず点訳奉仕グループ所属団体毎に異なっている点が問題をより難しくしている。」という項目についての前半は良しとして、後半の指摘は古い話で、今もそれが言われていることは口実としか受け取れない。問題はグループの指導者やリーダーにある、と私は思います。

 「点訳奉仕を行うボランティア側と奉仕を受ける視覚障害者との間には微妙な「心のすれ違い」がある。従って点訳奉仕をするボランティアには単に点訳そのものに関する講習のみならず、ボランティアを行う側の心構えとしての「ボランティア概論」的な講習にも今後力を注ぐことが必要と思われる。」ということは基本的に同感で、こじつけも甚だしいと思われるかもしれませんが「点字技能検定試験における学科試験」はそこに私たちの願いのあることを知っていただきたいと思った次第です。再三申しあげることですが、点字技能検定試験の合否に関して、「点訳ボランティアには、常識程度とは言っても学科試験は緩和すべきだ。ボランティアは点字が大好きで思いやりと優しさの気持ちいっぱいで取り組んでくれている。迅速、正確に点字を書いてくれるのだから、そのような人を不合格にすべきでない。特にグループの指導者やリーダーとして私たちのために活躍してくれている人を落とすのでは、以後グループの人は試験に反発して受けないので逆効果になると思う」という意見が強く出されます。センターの点訳者や朗読者、作業ボランティアの方と接していて痛いほどに感じます。そのような人たちを試験で区別することは忍びないわけです。しかしその試験に合格しなければこれまでの活動ができないというわけではありませんから、心と厚意をその人の問題として受けとめ、テストはテストで晴盲区別なく進めていくべきだと私は思っています。

 「中途失明者にとって、点字の修得は非常に難しい。従って極力音声による各種ガイドや音読サービスの普及が必要である」ということについては原則として理解できますが、最初から「点字は難しい」というふうに決めつけてしまうのは間違いだと思います。「視覚障害者の生活文字」ということを大前提にして当事者の判断を仰ぐべきだと思っています。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

「チャレンジ」通所生募集

 視覚障害者支援総合センターが運営する就労訓練施設「チャレンジ」は4月からの通所生3人を募集している。対象は原則として点字の読み書きとパソコン操作のできる人で区内あるいは都内在住者。希望者は2月末までにセンターへ。「チャレンジ」は大卒者や高校生で就職の機会を待つ視覚障害者を対象に、1998年5月開設したもので、作業内容は点字校正など点字出版に関わることを中心にして日常生活訓練などを行っている。スタート時は5人だったが1999年7月杉並区の認可とともに定員を8人とした。その後10人の次時期を経て2001年10月社会福祉法に基づき、国と都から認可され定員を12人にした。これまでに地方公務員や民間企業などに8人を送り出しており、今年度も1人が東京都の福祉職にパスしている。センターでは視覚障害者の職域拡大をめざすことから作業量確保の見通しがつけば、制度上19人まで認められている定員一杯の通所者を募りたい。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

読み合わせ校正者をお願いします

 「チャレンジ」の利用生を中心にして、現在週60人くらいの方に読み合わせ校正でお手伝いいただいています。通所生の増加もあって、新たに多数の皆様に読み合わせ校正者になっていただきたく、ここにお願いする次第です。

 申しあげるまでもなく、視覚障害者が点字入力されたものを読み、協力者にその活字を読んでいただき間違いをチェックするという流れで、利用生には1、2校を読んでいただくというのが原則です。

 対象となる本は、学術専門書が大半で時に一般書もあります。その選択は原則として協力者にありません。お手伝いいただきたい日時は祝祭日と土、日を除く毎日9:30〜12:00、1:30〜4:00ないしは5:00、現在2、3人の方は丸1日来て下さっています。経費は勝手ながら交通費のみ負担させていただきます。希望としては漢字に強く、読みに謙虚で辞書を引くことが億劫でない人、継続性のある人に是非お力添えを頂きたいと思います。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

5つの音楽会場で思ったこと

 雑誌「視覚障害―その研究と情報」新年号の編集後記で2つの音楽会について私の思いを書きましたが、本誌でも少しばかり書かせていただきます。

 私が毎年楽しみにしていますリサイタルのひとつが「正秋バンド」です。岩手盲の先生から「記念誌に貴方のことをちょっと残したいと思うので確認させて下さい」という電話をもらったときにも「高橋は高橋でも正秋さんを載せて下さいよ」といったのですが、彼とは姓も同じで、私の今日を作り上げてくれました岩手盲出身ですから非常に親しみをもっています。

 昨年は9月、都下日野市でそのリサイタルがありました。以前に正秋バンドはセンターのチャリティコンサートにも出演してもらいました。また杉並でスウェーデンの視覚障害者バンドとの共演もありました。いつも思うことは「この人達が結成以来13年楽しく演奏できるのも、また気持ちよく聞かせて貰えるのも、バンドを支えて下さっている数かぞえきれない善意の人たちがおられるからで谷村新司さんもその一人で、本当にありがたいなあ」という感謝の気持ちです。正秋バンドの9人は、東京光の家の重度更正援護施設新生園の訓練生5人、授産施設栄光園の3人、救護施設神愛園の1人で全員視覚障害に他の障害を併せもつ重複障害の人たちです。その人達のもつ才能と個性には驚き以外のなにものもありません。私が昨年夏札幌で開かれた全日盲研大会に参加した折も、重複障害の若者で組織された「すまいる4BEAT」によるバンド演奏を聴き、我が北海道にも聴衆に感動を与えるバンドが育ちつつあることに喜びを感じました。正秋バンドのようなキャリアは感じませんでしたが、体で音楽を聞き手にぶつけていくところなどは経験に関係なく感激させられました。このグループは道内の市町村を全て演奏して回るというのが目標だそうですから、回り終えた暁には、もっともっと素晴らしい演奏者になっていることと思います。

 私は視覚障害をもつ人達の音楽活動に関心があり、数年前にも社会医療事業団の助成を受けて全国の視覚障害音楽家名簿を作成し、全国の社会福祉協議会など3000ヶ所に無料配布して「名簿からできるだけ多くの人を演奏の場に迎えてくれるよう」お願いしたこともあります。それとともに若手音楽家による演奏会を都内3ヶ所で開きました。その折、福井光道園の入所生による「ミックバラーズ」というグループのCDをおくってもらいました。私は調和のとれたコーラスに興味をおぼえ、そのバンドに「是非上京して演奏してもらいたい」というお願いをしました。特にコーラスの中で女性の声が澄みきった清らかな声でしたのでそのことも付け加えましたら、その女性は旅行できるほどの健康状態ではないといわれて断念しました。間もなくその女性が亡くなったという知らせを聞き、悲しみとともに残念に思ったことを今も忘れることができません。

 10月には長谷川きよしのチャリティコンサートを八王子に出かけて聴きました。彼は、センターの役員で特に図書づくりなどでは必ずお世話になる谷合侑先生の教え子だということで、職員ら6人で聴きました。職員は彼がデビューしてから産まれていますから、私のように懐かしさといった雰囲気ではなく、正真正銘音楽を心で受けとめたようです。私は彼のことは知っていましたが、点毎時代の1969年「盲人シンガーソングライターレコードデビュー」という記事をみて、その「別れのサンバ」を買い求め、彼の音楽にふれたことを覚えていますので当日も感無量で耳を傾けていました。

 彼は、その2年前の1967年友人の薦めで出場した第4回石井事務所主催のシャンソンコンクールで入賞して以来「銀巴里」等で歌っていました。レコードデビュー以後は加藤登紀子との共演リサイタルを何回か聴きにいったこともあります。彼のソフトな声にクラシックギターでの弾き語りは、聴く人を魅了させるのだと思います。コンサートの折、最後に彼の口から「恩師が70歳を期に地元の八王子でシャンソンデビューしますので・・・」ということを聞かされ、センターの職員や利用生の宴でちらっと口にしながらマイクに向かっていたことと結びつきました。それが聞くところによりますと6月15日(土)午後実現するということですから、今からセンターあげて応援に駆けつけようと楽しみにしております。

 11月の音楽コンクール2つは雑誌「視覚障害」でも触れたものです。ひとつは3日に行われたテレビ朝日など主催の第16回全国童謡歌唱コンクールです。これは札幌盲の酒井校長先生と「盲学校の音楽教育」についてお話ししているときに教えていただいた情報で、その後函館盲の須貝校長先生に確認をとり、楽しみにしていたコンクールです。函館盲小学部5年の池田サラジェーンさん(全盲児)が童謡部門にブロック代表として「手のひらを太陽に」で出場しました。このコンクールは全国を7ブロックに分け、テープによる審査、ブロック予選、そして3日の全国大会と行われます。

 童謡部門のほかに中学生以上の歌唱部門とファミリー部門の3つのセクションがあり、それぞれ7人が普段の練習の結果を競い合うわけです。審査員の「甲乙つけがたい」という講評で分かるように、私などはみんな金賞でもビリでもどっちでも不思議ではないと思ったくらい素晴らしいコンクールでした。サラジェーンちゃんは見事銀賞でした。彼女はピアノのレッスンしか受けていないと言っていましたが多分ピアノも上手なのだろうと思います。これからお話しするヘレン・ケラー記念音楽コンクールにいつかは出場して、腕か喉の練習結果を聴かせてもらいたいと思ったものです。

 そのヘレン・ケラー記念音楽コンクールは今回が51回目で、50回までは全日本盲学生音楽コンクールとしてお馴染みだったものを「出場者を広げて技術の向上を図りたい」という主催者の願いから枠をとりはらったそうです。早速今年は、ピアノで区立小学校の男の子と、国立音大の盲学生が参加していました。歴史を振り返ってみますとあまりにも有名な、ヴァイオリニストの和波孝禧さんやチェンバロの武久源造さんらが若かりし頃この舞台で優勝していますし、当日特別出演しセンターのチャリティコンサートにも協力してくれている澤田理絵さんも、またセンター職員で暗譜力では引けを取らないと言われているピアノの坂巻明子らもここで優勝しているのですからこれからも若い素晴らしい演奏家が巣立っていくのだと思います。

 これは定番なのかもしれませんが最後に舞台と会場が一緒になって「ヘレン・ケラーの歌」を合唱しました。歌詞は次の通りです。

(1)
幸福の青い鳥 青い小鳥がとんできた
遠い国からはるばると 日本の空へこの窓へ 海をわたってとんで来た
ヘレン・ケラーのおばさまは いつも小鳥といっしょです
(2)
幸福の青い鳥 青い小鳥を見つけましょう
みんな誘って窓あけて こころの中に青空に 可愛いつばさを見つけましょう
ヘレン・ケラーのおばさまの 肩に小鳥はとまります
(3)
幸福の青い鳥 青い小鳥が歌います
暗い涙はふりすてて 明るく強くほがらかに 生きていこうと歌います
ヘレン・ケラーのおばさまは きょうもみんなを守ります

 この歌の2番が私にとって忘れられない歌詞です。
 この歌のできた1948年は、ヘレン・ケラーの来日と盲聾唖教育就学義務施行とで、日本中が熱っぽく盛り上がっていたように思います。それに反し私は「盲人=三療というのはおかしい、盲人にだって職業の選択があるはず」と当時中等部で4年間勉強すれば盲人に限り無試験で三療の免許が与えられることに反発して、今でいう不登校を続けていました。1947年にはGHQからのクレームもあって晴盲共通の知事免許(今は国家試験)になり、その経過措置として私も三療の免許は取れるように先生が取り計らって下さいました。1948年とは私が「二兎追う者一兎も得ず」とそれを返上してしまった翌年でした。家族や先生からは「持っていて邪魔になるものでもないし自活の見通しもつかないときに、めくらめっぽう(差別語ですが)なことはやめなさい」と言われたりして、私は焦りと些か落ち込み始めたのだと思います。 戦後、いいかげんなちんぴらの私に同情してか協力してくれる人が沢山いました。どさくさに紛れて「タンゴ六重奏団 ローズ」というバンドをつくり、盲唖学校のある旭川から私の居住地、妹背牛(もせうし)村周辺の学校、公民館、劇場などで歌謡大会とかのど自慢大会を開いて仲間と喜んだり悲しんだりの繰り返しでした。アコーディオン、ヴァイオリン、ギター、サックスかトランペット等は皆さんセミプロで、ドラムを担当した私だけが「もっと弱く」とか「もっと強く」とか演奏中に注意されながらやったりもしましたが、大抵は興行師みたいなものでした。多分これまた差別語ですが、めくらへびに怖じずだったのでしょう。

 満員なら満員でそこらのちんぴらがたかりで「責任者を出せ」といわれて、私が出ていくと「なんだ、めくらか。これじゃあ話にならねえ」なんて、そこは大ごとにならずに終わっていましたし、「入場税を安くしてやる」といったいかさまが出てきて、役所で「あんたは見えないから騙されているのだ。あれ程お客が入っていたのに」と注意されたりもしました。一方、大雪や大雨でお客が2、3人しか入らないときには、その出演料と場所代の穴うめで、夜家からお米何俵か(1俵60kg)を馬で運び出したりしていました。全く家族から咎められることが無かっただけに、段々後ろめたさを感じて悪行から一切足を洗い、一人で自分の将来について考え込んでいました。その時ほど目が見えないということを辛く思ったことはなかったように思います。

 家族は家族で、どうしたことかと手をこまねいていたのだと思います。1952年に亡くなった父親は、私が藁をも掴む思いで1949年札幌盲に入学するとき、寄宿舎まで一緒に行く途中で初めて「お前のわがままを止めるすべは家族にはない。だからこれからお前が自分で探して一人前になるまで家族はどんな貧乏をしてでも必要なだけの金は送る。嫁さんも自分で探して、結婚したときに仕送りは止めるから、それまでお互い歯を食いしばって頑張ろう」と言った言葉は今も忘れることはできません。後で聞いた話ですが、新設の札幌盲でも私の入学については賛否両論の職員会議が何回も続いたそうです。1年後に岩手盲に移ったのですからそれもありなんです。

 父の危篤の電報で盛岡から帰ったときには、親不孝をしたことでどれ程悔やんだかわかりません。幸い盲人ジャーナリストをめざしてそれなりに歩いていましたから、父をはじめその後亡くなった兄など姉弟6人や親戚も許してくれたと、これまた自分勝手な思いで盛岡に戻りました。

 なお、このヘレン・ケラーの歌のなれそめを調べようと点毎時代1年間、日常業務以外の残業で私がまとめた点毎創刊50周年記念「激動の半世紀」を見ました。1948年7月ヘレン・ケラーキャンペーン委員会主催で募集した「ヘレン・ケラーの歌」は点字38通を含めた235通の応募の中から鳥取県下北条村の吉田啓文さん(32)の作品が選ばれ、それにプロの飯田信夫さんが曲をつけたとありました。

 今も思い出すとぞっとするのですが、ひと口に50年と言いますが、それ掛ける52週の点毎、それも古いものは倉庫管理も悪く、ゴキブリの死骸やネズミの糞などで固まっていたり、紛失していて、きれいな管理がなされている京盲や附属盲の資料室で借りたことなど思い出されます。「苦労は買ってでもしろ」というのが私の職員に対する言葉です。

[目次に戻る][「センターだより」トップページへ戻る]

[戻る][ホームページに戻る]