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2002年7月28日発行 第34号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

高校の点字教科書作りにも参加

 ご承知のようにセンターは昨秋小中学校の点字教科書製作に仲間入りしましたが、高校の点字教科書にも参加すべく体制作りに努力してきました。その製作担当4施設打ち合せ会が7月9日開かれました。話し合いの結果、センターは情報Aと地理Aの2点を担当することになりました。

 高校の学習指導要領が15年度から変わるために今回は15年度使用点字教科書19点が対象で、16年度は18点、17年度は9点を製作しなければならないそうです。センターと日点は小中教科書でも新規参入でした。小中の場合文部科学省の検定著作教科書で私にとっては同省のあまりにも長い厳しい資格審査をクリアしての入札参加でしたから、3施設のプレッシャーもあって当日は本当に緊張したことを覚えています。高校の場合同省の検定ですが製作は事実上製作施設の話し合いですから、前回ほど心は重くありませんでした。それにしても先行施設の当然といえば当たり前なのかもしれませんが、伝統と責任の重さを感じるがあまりに、聞くに堪えない暴言、罵声、罵倒をぶつけられたのには驚きました。既得権死守ということが見え見えであっただけに残念に思いました。小中の時は日本ライトハウス、東京点字出版所、東京ヘレンケラー協会の3施設が事実上最初(ただしヘレンケラーだけは点字毎日を引き継いで1960年代から)から取り組んでいたのですから想像以上のご苦労もあったかと思います。私など点毎の駆け出しスタッフでしたから新聞とは違ってあまり教科書で絞られた覚えはありませんが、先輩諸氏が「教科書で夕べも徹夜だった」などとぼやいていたことだけは覚えています。編集長が「新聞作りに専念することもあって選挙の号外や教科書はヘレンケラーに引き継ぐ」と部会で言っていたことは確かです。

 高等部は点毎でもしていなかったように思いますし、現在ヘレンケラーも理療科以外の教科には関わっていないと思います。

 私は小中の5施設と今回の4施設の会議でも申し上げたのですが、「今日まで点字教科書という重要な部分を社会的な責任も含めてスムーズに製作してこられたことは言葉に言い表せないほどの感謝と敬意を払います。しかしセンターが決められた手続きを踏み、ある意味でセンターの命運をかけて教科書製作の一翼を担いたいということを理解してください」と懇願しました。

 センターは小中教科書12点のうち「中学国語」1点で高等部は19点中2点です。その「中国」は編集委員をはじめ関係者のお力添えをいただき「正確迅速」に1年目は滞りなく終えたと自負しております。高校は2点で編集から供給まで製作施設の責任ですから、いくら「中国」の実績があるとはいえ驕ることなく取り組み、先行施設の顔に泥を塗ることのないよう、十分注意を払っていく所存でおります。

 ただ先行施設はどこの世界でも本音としてはそうなるのでしょうが、独占は当たり前でその事情も知らないで新規参入することなど非常識だという押しつけは理解できない私です。

 厚労省に行っても東京都に行っても伝統と実績のある大手施設が厳然と横たわり、助成金にしても補助金にしても各種事業にしても歴史のない零細施設では割り込む隙も理解も全く得られません。やむなく競争原理が働くであろうところで杉並区を含めて正々堂々と入札ないしは見積もり合わせに参加しています。大手施設に甘えるわけではありませんが、もっと弱小施設を育てるという立場でサジェスチョンして頂ければ幸いなのですが。

 私がセンターを創設したのが1986年7月からで丸16年になりますが先は見えていません。職員や利用生に対しては口を酸っぱくして「自信と意欲と努力で自分たちの生き残りについて汗することが絶対条件だ。私が皆さんの力量を信じて誇りとやりがいのある光栄ある仕事を確保するのだから頑張ってほしい。障害者だから、高齢者だから、通勤に時間がかかるから、家庭があるから、女性だからといった、後ろ向きの考えにつながるようなことはセンターの自殺行為につながりかねない。『から』を『けれど』に置き換えて仕事と取り組んでほしい」と朝な夕なに言っております。

 もしかしますと私を支援してくださっている人からもお叱りを受けるかもしれませんが、今置かれているセンターの実情から言っても、消されることはあっても生き残りのためには努力が必要なのです。どうぞ今後ともお力添えください。

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道産子どんにもご支援を

 センターでは日常の運営資金を確保するために啓発図書の出版をはじめ、絵はがきなどを広く皆さまにお買い求めいただいています。今春から新たに「道産子どん」をイメージ商品に加え、事情の許される方にお買い上げいただいております。「北海道妹背牛(私の故郷)産 畑のお肉 健康食品」と銘打って、大豆の薄味2種類(甘いのと辛いの)と麦のどんとの3個セットにして650円です。

 絵はがきはセンターの「顔」としてすっかり定着しました。作者小山千鶴子さんのキャラクターが皆さまに好まれているのだと思います。「道産子どん」も皆さまのお口に歓迎されるお茶請けに、おつまみになるよう時間をかけて私が持ち歩き、支援者を広めていきたいと心しております。

 持ち歩いていて理解できないことがありました。去る6月半ば徳島で開かれた日本盲人社会福祉施設協議会全国大会1日目のことです。たまたま私は同協議会の常務理事をこの4月からお引き受けしていることから、3泊4日滞在せざるを得ませんでした。センターのような小規模零細施設は2人が長期間拘束されるのは財政的にも非常に痛いのです。今回は朝食後の9時から夜の9時頃までびっちりスケジュールが組まれていましたので、私の私的な時間は夜の9時以降でした。

 皆さん1年に1度の大会ですので拘束から解かれお開きになった後は、ストレス解消のため外に出るか自室で話をされるか疲れて休まれるかですから、「道産子どん」のPRをするチャンスはなかなかありませんでした。1日目の9時以降全視情協(点字図書館)の役員有志とお酒を飲む機会がありました。私は座が白けないように静かに近くの知り合いに「道産子どん」のPRをして、いくつかお買い上げいただきました。

 酔いが回ってか終始大声でわめいていた親しい館長さんが「常務理事ともあろうものがどんを売り歩くなんて」と私に矛先を向け、「試食してくださいとかお土産にどうぞというのならまだわかるが」と言いだし、1時間以上も一方的な話をしていました。仮に私にプライドとか面子があって、それがどん売りで傷が付くとでも思っての言葉なら私にとって大迷惑なことです。

 図書館の場合、国や自治体から人件費をはじめ経費の助成ないしは援助が大なり小なりありますから、親方日の丸とまではいかないまでも運営面で危機感もなく、従って汗の出るような苦労もしないで済むのかもしれません。それに反しセンターはびた一文公的な援助はありません。出版にしても学術専門書などは2、3点出れば御の字です。せめて毎年出してきました「公務員試験問題集」だけでも大手2施設に出している出版助成をしてほしいと長年厚労省に訴えてきましたが、それも理解されませんから予定通り今年度は製作しませんでした。案の定、受験者の2、3の人から「例年同様発行してほしい」という訴えもあり、若い人の職域拡大というセンターの使命からも来年度は製作する方向で検討し、支援してくださる皆さまのコンセンサスを得たいと思っております。

 そのような事業費や運営費、私を含めて11人の人件費などを作り出すために、なりふりかまわず私が先頭を切って何事にも取り組まなければならないわけです。国や自治体はセンターのようにユニークな事業や施設に対しては、助成や援助をしなければならないという「福祉の心」が全くないために発想も誠意も見えてこないのです。だからといって手をこまねいていては、人から「思い上がり」と言われてもセンターのようなユニークな活動は広がらないのです。

 センターを支えてくださっている全国津々浦々の皆さんが私たちの自費出版した図書などを買い求めてくださっています。高額の寄付もしていただいています。書き損じはがきや使用済み切手、テレカなども提供してくださっています。その上、絵はがきや道産子どんもお買い上げ下さいます。しかし、何よりも大切なことは自主努力だと思います。

 私たちの諸先輩が時代こそ違え盲学校や点字図書館などを私財を抛って作り、血のにじむような努力を重ねながら運営、それが制度の変遷とともに公的機関に移管されて今日に至り現在の校長や施設長が存在しているのです。私は点字毎日在職中「点字毎日50周年記念」として企画された『激動の半世紀−日本盲人の歩み』に取り組み実感しましたし、今も時折引っ張り出しては感銘させられています。

 話はそのことに移りますが、私はこの企画において大正11年5月11日の創刊号から昭和46年12月までの点毎2,500冊をこの指で隅から隅まで読みました。本来関連記事だけ読めば済むことなのですが、私は当時の記事の取り上げ方なども知りたくなり、全文読んでしまいました。日常業務以外ですべて時間外でしたから、出張のない日1人だだっぴろい出版のフロアで12時頃まで読み続け、社の車で帰ったことも今となりますと懐かしい思い出です。当時の日本点字図書館長 本間一夫先生から格調の高い身に余る「序文に代えて」をいただき、感激したことも忘れられない一つです。

 そのチェックした記事中、「愛の鉛筆運動」というのが各地で展開されていたことが印象的でその一つを原文のまま転載します。私の岩手盲時代先生や先輩が鉛筆運動で走り回っていたことも脳裏に刻まれております。

福岡で「愛の鉛筆」運動
 福岡県盲学生点字図書館建設委員会は建設費づくりのため鉛筆1本10円で売る「愛の鉛筆」運動を展開。これと呼応して全国の小中高校生から標語とポスターを募集。標語833通、ポスター341枚が集まり、4月30日の審査会で標語「小遣いで愛の鉛筆買いました」の吉田正子(田川市東小)さんが一等入選。
(激動の半世紀 昭和24年より)

 私ごときが言うのはおこがましいことですが、よく「今の若者が」と聞いたり言ったりしていますが、視覚障害に関係する施設や盲学校のリーダーももう少し腰を据えて真剣に「学習即行動」する体質をもってもらわなければこの世界の未来は現実同様、夢も希望もないことになるのは間違いないと思います。

 去る日盲社協大会でも訴えたことなのですが、日盲社協加盟215施設に対し「視覚障害者就労促進のためのアンケート」を行いました。回答が半数に満たない状況で腹立たしく思いました。私は委員長として「アンケートの集計を終えて」という雑文を書きました。その中で「雇用主たるもの回答の内容はともあれ回答もしないようではトップとして認められない。さっさと辞めるべきだ」という意味のことを書きましたら、「それはちょっときつすぎる」というサジェスチョンを受け書き直したのですが、次元は違いますが関係者の姿勢をうかがいたくなります。

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私を支えてくれている人たち

 私は道産子で兄弟親戚の大半が旭川近郊ですから、冠婚葬祭や時には仕事で年に1、2回北海道に行きます。今夏は姉の見舞いを兼ねて娘家族4人と一緒に出かけます。例外を除いて旭川空港を利用するのですが、今回は飛行機の関係もあって帰りは千歳から乗るため札幌に一泊します。久しぶりに1、2の友達と会いたいと思い電話連絡をしたところ、話が大きくなって札幌在住の岩手盲、札幌盲、旭川盲の面々20数名が集まるということで、「いささか大ごとになって」と悔やんでいます。

 小中高時代の友達とその当時の先生も来てくださるとのこと。幹事役をしてくれている人を含めて友達の友情というもののありがたさを改めて感じます。  よく「真の友人は職場ではできない」と聞かされたものですが、その真偽のほどはともかくとして、最近の「友達」という間柄は私の「友人感覚」からみて希薄というか、日本人の特性と言われている「熱しやすくて冷めやすい」ということがぴったり当てはまるような気がして一抹の寂しさを感じます。それは私が古いからなのでしょうか。

 私の小学から中学時代にかけて親友だった男3人が若くして自身で命を断ちました。また高校の同級生2人も熟年に病死しました。

 私は「今日あるのは皆さまに支えられてきたからこそ」と申し上げていますが、友達もその例外ではありません。私は戦後まもなく盲学校のあんま鍼灸一辺倒の職業教育に反発してチンピラバンドを作って2、3年歩き回りましたが、それも支えてくれた友達があったればこそです。

 1950年の春「新設1年目で転校者を出したくない」という札幌盲の意向に反して出ていく私を同級の弱視生が津軽海峡を渡って岩手盲まで送り届けてくれました。1954年の春大学進学で下宿探しを東京でしてくれたのも岩手盲の弱視の先輩でした。また都会暮らしに変わることで、岩手盲時代の弱視の同級生が上京して一週間ほど寝起きをともにしながら電車で4、50分かかる通学路、大学の教室や事務所の配列などをとことん教えてくれました。

 卒業後は点字毎日で記者稼業をしていくためには「目」が欠かせないと思い、卒業式より2ヶ月早く結婚(打算)することで、引越から家内が大分から来るまでの1週間は学友が泊まり込んで、炊事・洗濯・掃除を手伝ってもらいました。

 名実ともに生まれて27年目で職業自立できると思っていたところに大きな甘さがありました。卒業前にたまたま上京して新橋の第一ホテルに泊まっておられた点毎の編集長を、当時日本点字図書館の館長だった本間一夫先生と夫婦になりたての私たち3人でお訪ねして「このようにすべて整いましたので点毎に採用してください」とお願いしたところ、なんと「点毎の定員枠がないので当分公募できない。君の期待に応えられなくて済まない。気を落とさずに頑張ってほしい。」と言われて、地獄の底に突き落とされた思いでした。それから2年、諸先輩のお力添えいただきながら浪人生活を送りました。

 その2年間は経済的には厳しかったのですが、仕事の基本になるイロハはこのときに学んだといっても言い過ぎではないと思います。私は小さいときから家族と離れて生活していましたし一人暮らしにも慣れていますが、初めての都会は精神的な面で苦しみ、日本盲大学生会の諸先輩や同僚にどれだけ支えられたことか、言葉では言い表せません。そのお一人に先輩役員の竹内勝美さんがいました。たった2ヶ月ほどの入院生活で今年3月末亡くなりました。告別式には先約があって家内だけがお参りしました。

 私は5月の連休を利用して京都の竹内さん宅をお訪ねしました。残された奥様と横浜に嫁いだ一人娘の実知子さんがいました。私が学生時代役員会をしたり泊めていただいたりしたあまり大きくもない家のままでした。

 1954年進学して全国委員になってから亡くなられるまで約50年のおつきあいで、その後私が中心になって組織した文月会(以後日本盲人福祉研究会で2001年3月解散)には積極的に応援してくれましたし、センター立ち上げからも物心両面にわたって変わらない支援をしてくれました。奥様も竹内さんと同じ弱視でしたが実知子さんの出産時に全盲になりました。そして今は耳も聞こえません。竹内さんが役員会などで上京したり関西で落ち合ったりしたときは必ず「家内から持っていくように言われたから」と言って私の好きな柴漬けをいただきましたが、このように奥様も私を支えてくださっていたのです。

 こんなこともありました。大阪で役員会を開き解散後京都の施設で落ち合い泊まることにして、私は私的な用を済ませ京都駅に遅く着き、仲間が泊まっているところにいくら電話をかけても鳴りっぱなし、住所も聞いておりませんでした。私は東洋英和短大の女子大生と一緒でしたからホテルの客引きが「お2人さん、手前どもへどうぞ」といった調子で声をかけられますので、やむなく竹内さん宅に夜中に電話をして道順を教えてもらい、タクシーでお宅に行き泊めていただきました。

 竹内さんのように大学時代からの友達は今もたくさんおります。このような諸先輩や仲間がいたからこそ点毎時代から現在までの私があるのだと限りない感謝をしております。また事情はともあれ私より先に亡くなられた方に心よりご冥福をお祈りいたします。

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聖明・朝日奨学生貸与式に出席して

 私は7月6日聖明福祉協会で行われた「聖明・朝日奨学生貸与式」に参加しました。センターは1969年から行われている同奨学金の公募と推薦をしてきました。またもう一つの富士記念財団主催の「富士奨学生」の公募と推薦、運営も1986年以来受け持っております。それでいずれもの貸与式にも出席しております。

 聖明・朝日の場合は主催者をはじめ厚労省社会参加室長、東京都施設福祉課長、青梅市長らが奨学生に励ましの言葉を贈っていました。私は式に似合わないことかもしれませんが、例年「奨学生は今日の喜びをかみしめ学生としての本分を全うし卒業していただきたい。その学生に頑張りの励みとなるよう青梅市は視覚障害者を職員に採用する制度を作ってほしい」と訴え続けています。いつの日か聞き入れられる時代が来るものと期待しております。

 貸与式の前に奨学生と関係者とで昼食会があります。今年はその席上曙荘利用者で80歳になる鈴木清子さんから奨学生2人にそれぞれ30万円のお祝い金が贈られ驚きました。鈴木さんは中途失明で40歳代になって当時の光明寮で鍼灸あんまの資格を取り、曙荘に入られるまでの30年近く仕事をしておられたそうです。「本当は名前も金額も人に知られたくないと思っていましたが、この時期かえって皆さんに不安を募らせては何にもならないと思い、こうして出てきてお渡しすることにしました。私が働いたお金です。受け取っていただきとてもうれしいです。」と元気なお声で話されたのにはさらに感激させられました。例年4、5人の奨学生なのでその人数だけ用意しておられたそうです。「これからも毎年いただいてもらおうと健康に注意をして過ごします」と控えめに話されたのですが、それも印象的で私からも重ねてお礼を申し上げる次第です。

 前述しましたように聖明・朝日は今回2人でした。また富士の場合は5人中4人でした。いずれの奨学生もこれまでは定員に絞り込むのに苦労したほどです。年内にはこの原因を分析し15年度の奨学生を公募したいと思っております。学習環境や経済環境が良くなり、その上書類をたくさん作り提出して選考を受けるなんてしちめんどくさいということなのでしょうか。それともセンターの公募の仕方に問題があるのでしょうか。できるだけ書類と手続きを簡素化してせっかく作ってくれている制度がしぼんだり無くなったりしないように努力していきたいと思っています。皆さまの前向きなご意見をお寄せください。

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成瀬有希子さんのお話を聞いて

坂巻 明子

 今回、名古屋にある点字出版施設の校正者としてお仕事をされていた成瀬有希子さんのお話を聞く機会に巡り会い、同じ校正の仕事をしている私は気持ちを新たにしました。
 成瀬さんは、校正で大切なこととして以下のようなことをあげています。

  ★間違え字を発見する
  ★とにかく分からない言葉はとことん調べていく
  ★文章の雰囲気を大切にしていく

 第1点目については、「文章を読むうえで、5の点と2の点の抜け落ちには特に気がつきにくいので、気をつけなければならない。また、思いこみで文章を読んでしまったことにより間違え字が見つけられないこともあるので、丁寧に読むことが大切」ということです。これは、点訳をするうえでも気をつけていただきたいことの一つだと思います。とくにパソコン入力の場合には、どの指も均等にキーをタッチしなければなりません。そして、画面校正の際にも、文字を読み流さないようにしなくてはなりません。点訳も校正も早くやりこなしていくことは必要ですが、それと同時に、集中力をもって丁寧に文章を扱うことも大切です。

 第2点目については、「自分がちょっとでも疑問を感じたら積極的に辞書を活用するなどして調べることが大切」ということです。私の考えですが、校正者は「これでいいかもしれない」という中途半端な気持ちで文章に接するのではなく、納得できるくらいに調べなくてはならないと思います。点訳においても、図書館を利用するなどして、いろいろな観点から言葉を調べていただきたいと思います。

 第3点目については、「小説などの柔らかい文章なのか、専門書のような堅い文章なのかによって、言葉の使い方を考える必要がある」ということです。「身体(からだ)」と書いても「身体(しんたい)」と書いても漢字では同じです。しかし、発音した場合には、今どんな文章と自分が関わっているかによって異なってきます。「その他(そのた)」と「その他(そのほか)」、「私(わたし)」と「私(わたくし)」など、作者の気持ちになって点訳・校正していくことも大切です。

 分かち書きを考えていくことももちろん大切です。校正者同士議論をしながら勉強していくことも必要です。しかし、先にあげた三つのことは点訳・校正するうえでの原点だと思います。

 最後に、私は「校正」という仕事の中で、点訳の大変さとともに読み合わせの大変さというものも感じました。晴眼者と視覚障害者1対1の読み合わせの際に、お互いが遠慮してものを言わないのでは良い本が仕上がりません。お互いに相手を思いやりながらも「これはどうなんだろう?」って柔らかく相談しながら仕上げていくことが大切です。レイアウトや言葉の捉え方など、晴眼者と視覚障害者とではかなり違ってきます。助け合うことにより、1冊でも多くの読みやすい点字図書を世に送り出していきたいと思いますので、今後とも皆様よろしくお願いいたします。

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超大作の点訳音楽辞典―久石譲さんも協力 2年がかり―

 視覚障害者支援総合センター(東京都杉並区)が「新訂標準音楽辞典」(音楽之友社)を点訳した。目の不自由な人にとってまたとない音楽参考書だ。事業費3千万円は、映画「千と千尋の神隠し」の音楽などで知られる作曲家久石譲さんが中央共同募金会を通じて寄付した。センターは点字図書館や盲学校など300余の団体・個人に贈った。

 「辞典」は91年の出版。2巻約2400ページもある。点字では88巻1万6千ページに上る「超大作」となった。CD1枚、フロッピーディスク(FD)12枚にもそれぞれ収めた。パソコンと専用ソフトがあれば利用できる。

 久石さんは4年前の長野パラリンピックで開会式の総合プロデューサーを務め、「障害者のひたむきな生き方に感動した」。音楽分野で障害者の支援をしたいと共同募金会に申し出て、点訳が具体化した。

 センターは2年前から取り組んだ。ボランティアの点訳者、校正者26人がほぼかかりきりだった。アルファベットや楽譜も点字で表すことができるが、点字自体はいわば仮名表記。最大の難関は、古今東西の作曲家や演奏家、楽器など固有名詞をどう読むかだ。出版元はもとより、その国の大使館に問い合わせるなどして解決した。

 センターの高橋実理事長は「索引の端の端まで校正した自信作。福祉六法などの点訳は実績があったが、音楽の分野にも領域を広げた。久石さんの支援がなければ取り組めなかった」と話している。利用者からは「疑問を自分で調べることができるうれしさといったらありません」などの声が寄せられているという。

(朝日新聞 平成14年5月29日掲載)

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「附帯決議」をバネにじっくり取り組んでは

 「センターだより」がお手元に届く頃は郵政改革関連法案は参院で可決成立していると思います。私は7月5日衆院総務委員会の締め括り審議を傍聴しました。予想通り最後に「附帯決議」が提案され、法案とともに可決し9日の衆院本会議で成立し参院に送られていたわけです。
 その附帯決議なるものの「7」に私たちのせめてもの願いがかろうじてうたいあげられています。

 「総務省及び日本郵政公社は、郵便法第26条第2号及び第3号の盲人用郵便物について、無料の取扱いとするとともに、心身障害者のための政策的軽減料金の維持に特に配慮すべきこと」

 なお文中の第2号は「盲人用点字」第3号は「盲人用録音物または点字用紙で点字図書館等盲人福祉施設から差し出しまたは施設に宛てて差し出されるもの」
 政府が2003年度から郵政事業を公社に移行するための日本郵政公社法案と手紙や葉書などの集配業務に民間企業への参入条件を定める親書便法案として今国会に提出していました。

 この中で郵便料金の体系を見直すことにより現行の3種郵便物(省令)と4種郵便物(郵便法)の割引並びに無料制度を省令と法律から外したことで、視覚障害者を含めたすべての障害者団体や一般社会の理解者、マスコミ、政治家や官僚まで巻き込んだ反対行動はこれまでに例を見ない盛り上がりを見せました。これほどの国民的世論を無視した総務省と首相の対応は事情が見え見えだけに総論は賛成できても各論はごり押しとしかいえません。

 私が久しぶりに傍聴しました総務委員会でも委員7人中6人までが多かれ少なかれ3種4種問題について質問していたにもかかわらず、首相は一言二言「主務大臣が述べているとおり」などと冷たく答えた後は「耳にタコのできた小泉節」で時間稼ぎと言いますか時間つぶしをしているのです。私は「我々の運動というか行動は主義主張以前のことだから一党一派に偏しては和は大きくならない」という考えで一貫しているつもりです。だからこそ「司法試験、国家公務員試験、教員採用試験など点字受験」ができるようになったのだと思います。

 委員会の審議の過程で「最悪公的資金をつぎ込む」とか「無料でない限り認可はしない」とかいった政府見解を引き出したとはいえ、「当分の間」という調法な文言としか考えられないことばっかりです。それに大臣が変わらなくてもころころ変わる前例があるのですから安心は禁物です。

 「無料扱い」は国際的な流れからもまた常識的にも有料にはならないと楽観しておられる人もいるかと思いますが、いわゆる手紙はそうであっても量のかさばる図書、テープ、用紙などは有料もやむなしなんていう状況も出てこないという保証はありません。割引についてもJRや航空運賃など5割ないしは7割。それに反し今の3種は7、8割引など。この時期とんでもないということに発展しかねません。

 センターでは3種郵便物を年間1万点以上発送していますし、これから情報提供と啓発事業という観点から大幅に増やしていかなければと思っています。今は一通15円から20円ですがそれが160円から240円にでもなろうものなら廃刊よりもセンターがつぶれてしまうこと間違いなしです。

 「附帯決議」は法的拘束力がないことは誰しもがご存じのところですから私は3ヶ月間になんなんとする間、障害を越え主義主張を越えた反対行動を教訓にして、少なくとも附帯決議の「7」をテコにあまねく国民が望んでいる所期の目的実現のために粘り強い運動を起こすべきだと思います。

 それは繰り返しますが、
1.第3種・第4種郵便の存続を法律に明記すること
2.割引内容については現行水準を維持すること
3.割引制度、無料制度を将来にわたって継続すること
です。


平成14年5月22日
総務省に第3種・第4種郵便の割引制度存続を要望する件
総務省 御中

社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会
  理事長  本間 昭雄

 2003年度から郵政事業を公社に移行するための日本郵政公社法案と手紙や葉書などの集配業務に民間企業への参入条件を定める信書便法案などが国会に提出されている。
 郵便料金の体系見直しにあたっては、引き続き新聞、雑誌など第3種郵便物と盲人用郵便など第4種郵便物などの制度の現状維持と料金の割引・無料体系を存続されると共に法律にそのことを明記するよう全国の盲人関係福祉施設すべてが結集する組織の名において強く要望する。

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ビジネス検定をめぐっての関連記事

 ビジネス検定試験のおそまつなことは前号で申し上げましたが、日盲社協としても抗議文は郵送しましたがやはり遅きに失したと思います。従って回答文もこのような人をなめた失礼な文章になっています。幸いインターネットで和田さんが体験記を書いておられますので和田さんの了解を得て転載します。前回指摘しました「点字の内職斡旋します」というキャッチフレーズで「点字の通信教育」を始めたというところも「内職斡旋」は口実だったということで岐阜点字図書館長の藤野さんがテープ誌「声」で話しておられました。私はせっかちで自他共に認めていますし、最近もそれで関係者にご迷惑をおかけしました。この恥さらしは機会を見てお話しできると思いますが、何にしてもこの世界は議論はしても行動はなかなか起こせないという弊害(私は)を考えるべきだと思います。


平成14年5月21日
日本ビジネス点字検定協会
事務局長 石井 至 様

社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会
理事長  本間 昭雄

抗 議 文

 本会には、我が国の視覚障害者情報提供施設(点字図書館及び点字出版所)をはじめ点字に関わるすべてが加盟しております。これらの施設には、日常点字に関する業務に従事し、常に正確な点字表記に心を配る点字技能師が大勢働いています。
 また、図書館には、長年の指導がやっと終わり、点字書を作る許可をもらったボランティアがたくさん所属しています。これらの人たちの点字に対する思い入れは、長い苦労を重ね、やっと獲得した技術だけに非常に激しいものがあります。
 一方、点字を触読する視覚障害者にとっても、間違った点字表記は大いに読書欲をそがれます。点字技能師と同じように、誤表記に、許し難い思いを抱くのはご理解いただけると思います。
 日本点字委員会の阿佐博会長が抗議しましたように、私どもの会員からも貴協会に、誤表記の多い点字教材の製作と、そのテキストに基づいた試験の実施を再検討していただくよう、強く要望すべきであるという声が高まっております。
 また、法人としましても、平成11年より点字技能検定試験の準備を始め12年度よりその試験を実施しております立場から、日本点字委員会発行の『日本点字表記法1990年版』に「準拠する」と唱われながら全く点字の規則に則っておられないテキストから出題されるという検定試験の実施には、疑義を抱かざるを得ません。
 貴協会の教材を発行している日本能率協会マネージメントセンターに対しても厳重な抗議を行いましたが、貴協会におかれましては、私どもの要望の趣旨を理解され、至急、教材の回収並びに検定中止の検討を行われますよう要求します。


平成14年6月7日
社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会
理事長 本間 昭雄 様

日本ビジネス点字検定協会
事務局長 石井 至
日本能率協会マネジメントセンター 出版情報部
ゼネラルマネジャー 増山 淳

平成14年5月21日付「抗議文」に対する回答

 頂きました抗議文ですが、内容が事実と乖離しているため、当方は当惑しております。
 日本点字委員会からは、出版物の回収と検定中止要請のお手紙が以前ありましたが、その直後、平成14年3月15日午後四時から点字図書館にて、阿佐会長および直井事務局長と直接お目にかかり、日本点字委員会が出版物の回収や当検定中止について主張できる立場ではないことが確認されました。それは直井事務局長の御口から発言されたものです。即ち、抗議は3月15日の時点で 撤回されていますので、ご確認頂けましたら幸いです。
 また、その席にて、当方からは出版物の訂正作業において日本点字委員会あるいは日本点字図書館に協力要請をしたところ多忙を理由に拒否され、阿佐会長および直井事務局長から、点訳ボランティアのご協力を仰ぎ訂正作業を行ってはどうか、という具体的助言を頂き、内容訂正の周知徹底をはかられたしとの要請がありました。その助言と要請のとおり、点訳ボランティアのご協力を仰ぎ訂正作業を行ない、検定ホームページや出版物への挿入物として訂正一覧表の公表・配布を行なっております。そして、その一連の経緯は、すでに日本点字委員会に報告済みです。
 御抗議文は5月21日付ですが、上記の事柄は御抗議文作成以前にすでに完了していることで、すでに起こっている事実の一部だけが御会に伝わっていることに、不自然さを感じざるを得ません。
 また、抗議文では当検定が「日本点字表記表1990年版」に「準拠する」(御抗議文にて括弧書き)と当検定がうたっている、とのご指摘がありましたが、そのような事実はまったくございませんので、ご確認頂けましたら幸いです。
 御会が「点字技能検定試験」を平成12年よりお始めになったことに対しては敬意を払い申し上げますが、当検定は対象を「晴眼者」に限定し、主にサービス業に従事するビジネスマンを対象に想定し、点字に触れる端緒を提供する目的のものです。また、名称も類似名称がないことを法的に確認するために、時間と費用をかけて商標を取得しております。
 以上の通り、御抗議文の内容は事実と乖離しておりますので、内容のご確認を頂けましたら幸いです。また、御会事務局からのお電話でのご要請どおり、6月10日以前にご回答申し上げましたことを申し添えます。


 日点の和田と申します。
このMLに参加されている方の中で、本日おこなわれたビジネス点字検定を受検された方はいらっしゃるでしょうか?
 私は受けてみました。以下はその報告です。
 何よりお伝えしておきたいのは、その内容のあまりの簡単さです。ホントにもうびっくりするぐらい簡単だったんです。
 問題は全部で50問ありましたが、そのすべてが、凸側の墨点字をひらがな(またはアラビア数字)に墨訳するというものでした。
 問題用紙は10問ずつが5ページにわたっているものでした。
 試みにその問題のいくつかを以下に復元してみましょう。

問1から10は、1マスの墨点字を墨訳する試験でした。
問題:へ/や/こ/な/り/を/よ/て/と/あ/め/
問11から20は、ふたマス以上の清音を組み合わせた墨点字を墨訳する問題でした。
問題:やま/みち/くるま/おに/けんか/ちから/うし/えき/やよい/あめ
問21から30は、濁音・半濁音の混じる2マスの語を墨訳する問題でした。
問題:ぽ/ご/ず/ぱ/ど/び/が/ず/ぺ/で/
問31から40は、拗音や拗濁音などの混じる語を墨訳する問題でした。
問題:きょか/しゃしん/ちょきん/みゃく/しゅき/こーちゃ/くーき/こっぷ/らっぱ/ぶーつ/
問41から50は、数字を墨訳する問題でした。
問題:13/50/4/206/88など(スミマセン。覚え切れませんでした)

 正直言って、問題に間違いがあるんじゃないだろうかという疑いを抱いて試験に臨んだわけですが、間違いの入り込む余地のないほどの簡単さだったのです。

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