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2003年11月10日発行 第41号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

 今年も残すところ二月足らずとなってしまいました。例年「今年の夏は」といった言葉を連発していたように思いますが、今回ほど寒暖の差が激しかったシーズンはなかったように思います。皆様にとってはいかがだったでしょうか。これからは日に日に寒さが厳しくなってきます。体調には十分御注意の上、お過ごしください。

 センターにとって大事業でありましたサフラン賞とチャレンジ賞の制定、候補者選考、贈呈式、それに企画本『しなやかに生きる見えない女たち』の編集と出版記念祝賀会が10月18日(土)につつがなく終わることができました。
 これまでも断片的に賞の経緯など紹介してきましたので、重複する部分もあるかと思いますが、ここで今一度まとめてご報告します。

 サフラン賞は、財団法人東京サフランホームの解散に伴い、その残余財産を基金にしてできたものです。同ホーム(東京都杉並区宮前4−18−11)は1958年、日本キリスト教盲人伝道協議会婦人部の熱い祈りと熱心な一日一円献金によって設立されました。以来、盲学校を卒業した若い女性が、三療を自立開業するには力不足だったり、開業の条件に恵まれなかったり、あるいは希望に適う就職先が得られない人たちが仲間と寝起きを共にしながら日常生活の訓練や治療の実技と理論を学び、これまでに100人近い女性が社会に巣立ち、目を見張る活躍をされています。

 しかし、医学と医療の進歩、少子化と社会情勢の変化などで入所者は激減して、2003年3月末で45年の歴史に終止符を打ちました。同法人が残余財産を5ヶ所に寄付して解散するということを新年になって知りました。それで私は次のような提案を同法人にしました。それはセンターが、同法人から残余財産の寄付を受けてサフランホームの伝統、実績と精神を永久に継承する「サフラン賞」を制定して、視覚障害女性で職業自立して社会貢献しようという意欲、情熱と信念を持った若い人を毎年1人選び、賞状と賞金50万円を贈呈するというものです。

 サフラン賞の応募要項などを作成しながら考えたことは、この男性版も作りたいということでした。名称はセンターが力を入れている「チャレンジ」の通所生が近未来の目標にしてもらいたいという思いから「チャレンジ賞」と命名。サフラン賞同様、50万円の賞金が継続的に贈られるように安定した捻出先を捜し求めました。公私共にお世話になっています点字機器メーカーのKGS.K.K社長、榑松武男氏にサフラン賞の副賞として『点字電子手帳 ブレイルメモ16』を出して欲しいというお願いをしながら、チャレンジ賞の賞金を保証してもらえるところはないものかと相談したところ、「会社が創立50周年を迎え、視覚障害者に何らかのかたちで感謝をしたいと思っていたので、チャレンジ賞の賞金を出しましょう」ということで男性版チャレンジ賞を制定することが決まりました。また副賞に『点字電子手帳ブレイルメモ16』を受賞者に毎年贈っていただくことも了承されました。

 そもそも私が何年か前に賞をいただき、関西でも祝賀会をしてもらった折、若い人から「功なり名を遂げた人に対しての賞は結構あるが、若い人に激励の意味も兼ねての賞はない。是非センターで作ってほしい」と言われ心にかけていましたが、賞金の継続性と賞の重みをどうするかなどで、手をこまねいていました。サフランホームの解散は残念なことですが、それを生かす方向でサフラン賞が生まれ、その結果としてチャレンジ賞も日の目を見て、若い人たちをクローズアップして、その背中を一押しないしは二押しして、視覚障害者の意気込みを発揮してもらえればと願ったからです。

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メイスン財団が盲大生に学習援助

 メイスン財団は平成15年度から、単年度事業として盲大生1人に30万円を学習援助として助成してくださることになりました。合わせて5人の盲大生で、返済の義務はありません。この公募と運営はセンターに委託されました。公募の結果、初年度は1年生4人と2年生1人の5人を15年度の奨学生として決定しました。学生にとってもセンターにとっても素晴らしい贈り物で、メイスン財団関係者に心からお礼を申し上げます。
 高い希望と大きな夢を持って大学進学をクリアしても、視覚障害なるがゆえの壁は今も数多く横たわっています。卒業後の就職しかりですが、何よりも入学と同時にぶつかるのは、学習環境が皆無同然だという現状です。年々ボランティアにより学習条件は整備されてきていますが、学生個々のニーズを満足させるほどの対応は残念ながら現状では望めません。そこで学習意欲を奮い立たせるのが経済的支援、いわゆる奨学金制度です。今回のメイスン財団の奨学金のようなものがもっともっと増えてくれば、大学進学はもとより新職域にチャレンジする若者は必ず増えてくるものと思います。改めてメイスン財団のご決断とそのパイプ役を買って出てくださった中央共同募金会に対し、感謝を申し上げる次第です。

―メイスン財団とは― (メイスン財団パンフレットより抜粋)

正式名称 財団法人 東京メソニック協会
設立 昭和30年(1955年)12月23日
沿革
昭和25年(1950年) 文部省(当時)管轄下の宗教法人東京メソニックロッジ協会として法人登録、土地・建物を購入
昭和30年(1955年) 法改正にともない厚生省(当時)管轄下の財団法人東京メソニック協会として設立認可
昭和56年(1981年) メソニックMTビル完成、現在に至る
将来そして展望
 財団設立の精神は、兄弟愛、博愛、真実の三つの美徳を基本理念とした慈善の実践であり、不幸な人々に救いの手を差し伸べ、より明るい社会の実現に尽くすことであります。設立以来、この精神に反することなく、また忘れることなく、今日まで変わらぬ努力を重ねてきてまいりました。
  また、メイスン財団はこれまで「価値ある事業に価値ある援助を」をモットーに、その寄付・助成を公平且つ慎重に実行してまいりました。今後においても、この方針と精神は変わることなく引き継がれ、社会・経済の変化に対応しつつ、皆様と共にその使命の遂行に邁進してまいります。

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各種参考書などの点字製作

 センターでは学術参考書や問題集などの点字化に努力しておりますが、点字使用者からすればまだまだ不充分だと思います。今回も『雇用連情報』49号(2003年8月25日発行)の「教員採用試験受験勉強体験記」という山本宗平さんの一文(注1)を読んで改めて学術参考書などの貧弱さを実感しました。

 山本さんに指摘されるまでもなく、皆無に等しい受験参考書も、物によっては古くても無いよりはましだとは言えるかもしれませんが、目標を持って勉強する者にとって、たった1点しかなく、選択もできない参考書の実態は、私たち点字の世界ではあまり珍しいことではありません。しかし普通なら、新しい参考書でなければ、やる気も失ってしまいます。以前、厚労省の社会参加室で、「国家公務員の点字製作にはあまりにも費用がかかる。センターが手を染めている全ての参考書に共通することですから、出版助成をいくらかでも考えてほしい。センターにも限界がある」と言って、十数年、製作を続けていた問題集を1年間中止しました。その折、役人は「毎年新しいものを作るに越したことはないが、無いよりは少々古くても問題集などは我慢できるのではないか」と言われ、憤慨したことを覚えております。

 山本さんの失敗を後に続く人たちが少しでも防ぐことができればと思い、先頃、時事通信社から出版された『2005年度版 教員採用試験V精解シリーズ1 教職教養の頻出問題』と『2005年度版 教員採用試験V精解シリーズ2 一般教養の頻出問題』の入力に入りました。点字にしてそれぞれ2桁の巻数になるだろうと思います。私は役所の担当者の不勉強さと無理解さを覚え、がなってしまうのです。

 点字図書は高価で、個人の力ではなかなか買えないと言われていますし、確かにその通りだと思います。それで私たちは20年くらい前から、何とか活字本と同額で、点字本が買えないものかということを検討してきました。その結果として、1991年、日常生活用具の中で「点字図書給付事業(価格差補償制度)(注2)」が日の目を見たわけです。そこで「1人につき、点字図書で年間6タイトル、または24巻を限度とする。ただし、辞書等で一括して購入しなければならないものを除く」という1項があります。採用試験や資格取得でチャレンジしようという人は、この「辞書扱い」の制度を使ってセンターの図書を購入しなければ目的は達成されませんし、この制度を使わない限り高額の自己負担になってしまいます。

 現在センターで製作中のものは、全て今年出版されている活字本ばかりです。前述の図書をはじめ、『新版 社会福祉士養成講座(第2版)』16タイトルも点字にすると118巻にもなりますし、『2003年度 国家公務員採用試験合格情報――過去3年間の問題とその解説』『改訂 介護支援専門員基本テキスト』にしても40〜60巻程度の本になります。

 チャレンジャーが役所に価格差補償制度の手続きをしに行きますと、「それは24巻以上になるので、何年間かに分けて購入してください」とか「もっと巻数の少ない本を選んでください」とか言われ、その方は慌てて私に電話をくれるか、役所の人から電話がきます。「辞書扱いの場合は巻数に制限がない」と明記されていることを、担当者は瞬時に判断できないわけです。電話に対して必ず私は、「辞書を分冊で買って役立つのですか。また試験や資格取得の場合、普通問題集を一通り勉強しておかなければならないのに、仮に社会福祉士の資格試験に挑戦しようとしている人に16タイトル118巻ある中から、今回は『社会福祉士原論』と『老人福祉論』を購入して勉強し、チャレンジしなさい、なんてばかげたことが言えるならばいい。」と言います。「辞書扱い」という規則があることくらい知っておいて欲しいものです。それに採算を度外視してまで似通った本を作るなどは常識で考えられないことです。役人は相手の立場に立って物事を処理していただきたいものですし、これでは、公僕たるもの即刻失格です。

 これも私が言うことですが、試験や資格取得で欠格条項が外されても、挑戦するための学習環境が出来ていないようでは『絵に描いた餅』に等しいと思います。学習環境といいますか、受験環境ももっともっと整備されていかなければならないと思います。

(注1)「教員採用試験受験勉強体験記」(山本宗平さん)の一文 

 この4月から大阪府立柴島高校で常勤の英語教諭として勤務している山本宗平と申します。私が教員採用試験の勉強を始めようと思ったのは大学4回生の時の冬でした。とはいっても、どんな参考書を使って勉強したらいいのか全くわかっていなかったので、視覚障害者支援総合センターから97年度版とやや古いものしかなかったのですが、「教職教養シリーズ」の点字版を買いました。一般教養については、特に教員採用試験向けのものは準備できませんでした。その時は公務員試験も受けようと思っていたので、ないーぶネットからダウンロードした公務員試験の一般教養科目の問題集を参考にしました。そして7月に教員採用試験を受験しました。結果は一次試験で不合格となりました。ただ、その結果は当然と言えば当然のことでした。というのは、私が使用した参考書はいずれも5年から10年前の試験に対応したものだったので、それ以降に法律が改正されていたり、新しい答申が出ていたりして、タイムリーな話題について把握できていなかったからです。それから実際に受験したことにより、受験勉強している時には漠然としていた「問題の傾向」や「出題のされ方」がよくわかりました。そして次回受験する時の参考として全ての問題を覚えて帰ってきました。

(注2)点字図書給付事業(価格差補償制度)について

(点字図書給付事業実施要項より抜粋)

1.実施主体
 事業の実施主体は、市町村(特別区を含む。以下同じ)とする。
2.給付対象者
 主に、情報の入手を点字によっている視覚障害者とする。
3.給付対象の点字図書
 月刊や週刊等で発行される雑誌を除く点字図書とする。
4.給付の限度
 給付対象者1人につき、点字図書で年間6タイトル、または24巻を限度とする。
 (ただし、辞書等で一括して購入しなければならないものを除く)

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第1回 チャレンジ賞 サフラン賞 サフラン特別賞 受賞者決定

[受賞者]
第1回 チャレンジ賞 渡辺 岳さん(36歳、弁護士)
第1回 サフラン賞 高橋 玲子さん(35歳、会社員)
サフラン特別賞 中間 直子さん(40歳、三療業)

〔受賞理由〕
 <渡辺岳さん>
 1981年点字で司法試験の第1号合格の竹下義樹さんに次ぐ二人目。司法研修所の修習を終え、安西・外井法律事務所に所属して、主に解雇・配転等の労働関係裁判、労働委員会事件、人事・労務問題に関する相談等を手がけ、評価を得ている。学究肌で専門の労働法では、著述も多数ある。

 <高橋玲子さん>
 玩具メーカーのトミーに入社して、リサーチや就学前幼児向けの玩具開発を経て、現在は目や耳の不自由な子ども達と一緒に楽しめる「共遊玩具」や「共用品」に関しての基準づくり、普及活動に取り組んでいる。また共用品の国際基準をつくるISO(国際標準化機構)の作業部会に参画して、日本からの提案で「企画作成における高齢者障害者のニーズへの配慮ガイドライン」(ISO/IECガイド71)作成に携わり、日本語訳を手がけるとともに、視覚障害者の立場を同ガイドに反映。現在、日本玩具協会共遊玩具推進部会部長を務めている。

 <中間直子さん>
 学生時代あまり興味を持てなかったいう三療に情熱を持てるようになったのは、サフランホームに入所して5年間、理論と実技の指導を受けたからだという。同ホーム退所後、現在親元で開業しているが、「誰でも気軽に来られる治療院」をキャッチフレーズに施術を続けている。ボランティア活動として老人福祉センターでマッサージを行ったり、地域の小中学校の福祉の体験学習にも協力している。

 9月初旬、選考会にて受賞者を決定。10月18日、杉並区内で授賞式を開催.賞状と賞金の50万円、副賞としてKGS賞〔Braille Memo BM16〕がそれぞれに贈呈されました。

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今を走る (雑誌『視覚障害―その研究と情報』188号より抜粋)

 今年、視覚障害者支援総合センターでは、「これからを担う若い人を激励する賞」として、2つの賞を設けました。一つはサフラン賞、もう一つはチャレンジ賞です。視覚障害者の世界にも功なり名を遂げた人をクローズアップするような制度はあります。この賞は、視覚障害というハンディを持ちながら、生存競争の激しい社会に羽ばたき、職業自立して社会貢献しようという意欲と情熱と信念をもった若い人を激励する励ましの「賞」です。

 サフラン賞は女性、チャレンジ賞は男性、毎年それぞれ1人に授与させていただきます。前者は、この3月に解散した財団法人東京サフランホームの残余財産を基金に運営するもので、ホームの伝統と実績と精神を継承する「賞」でもあります。また、後者は「若い視覚障害者を応援する」という趣旨にご賛同くださった株式会社KGSから、創立50周年の記念として基金のご提供をいただき、それぞれ実現したものです。

 9月初旬、選考会にて第1回の受賞者が決定いたしました。サフラン賞は高橋 玲子さん35歳、チャレンジ賞は渡辺 岳さん36歳です。また今回は、初年度ということで「サフラン特別賞」を設け、サフランホーム出身者からお一人を選びました。中間 直子さん40歳です。
 本号の「今を走る」では、このお三方にご登場いただきます。

共遊玩具開発と国際的活躍――第1回サフラン賞は期待される高橋玲子さん

星川 安之

 第1回のサフラン賞を受賞した、高橋玲子さんについて身近な者の1人として彼女のひととなりを紹介させていただきたい。

おもちゃメーカーに入社
 彼女がおもちゃメーカートミーに入社し、私と同じ部署に配属となったのは、今から十数年前の4月。トミーが、初代会長の遺訓で始めた「世界中の子供たちが楽しめるおもちゃ作り」の一貫で、「障害のある子供たち専用の玩具ではなく、障害の有無に係わらず共に遊べる玩具、『共遊玩具』をトミー社内で浸透させると共に、同業他社にいかに『共遊玩具』を浸透させるかが命題の部署であった。会社への通勤は、中央線で新宿を越え、電車を2度乗り換え、下町の駅で下車。点字ブロックもない商店街を徒歩7?8分で到着。会社に入ると、「点字ブロックは、何て書いてあるんだ?」、「彼女のために、障害者用のトイレは設置しなくて良いのか?」と、とんちんかんな質問を、とても純粋に聞いてくる社員も待っている。就業規則、社内報、社内の諸伝票は、全て墨字のみ。会社は、彼女が仕事をするにあたっての必要書類、資料の対面朗読、初めての場所への同行などを、派遣制度を活用し彼女のパートナーを雇用。見方によっては、白い杖を突いた新入社員に、秘書が常に同行しているようにも見えるが、この時期、彼女が一番精神的に大変だったのではないかと推測する。
 通常、仕事、会社での日常生活に関して新入社員は、公式には人事部から、また、具体的な仕事内容は同じ職場の先輩から、時に懇切丁寧に教えられるが、その10倍またはそれ以上を、「みようみまね」で習得する。しかし、「みようみまね」が、苦手な全盲の彼女にとっては、真似ることでなく、些細なことでも自ら体得していかなくてはいけないことばかりであった。と、同時に周りも彼女とのコミュニケーションを、どのようにしたら良いか?に戸惑った。最初に、その壁を乗り越えたのは同期入社の仲間ではなかったかと思う。同期で仕事帰り「ちょっと食事を」等が重なり、同期の仲間は、「目の不自由な」という前置きのなしの彼女と付き合うことを体得していった。彼女の日常の仕事は、玩具のモニターや情報発信といった一般的なものであったが、彼女の仕事はそれに留まらず、「周りの社員、広く言えば会社に、障害の有無に係わらず共に生活でき、共に遊べる玩具を作る土壌を培う」というもう一つの大きな仕事があったように思う。

心が交わえる場作り
 私は、トミーの社員でありながら、玩具の共用化から、玩具以外の業界へ、障害の有無に係わらず共に使える「共用品」を普及することを行なうために、市民団体であるE&Cプロジェクトを発足し、多くの企業、福祉関係者と共に試行錯誤を繰り返していた。目の不自由な人たち約300名に日常生活における不便さ調査を実施、数多くの不便さが明らかになった。けれど、アンケートの調査結果だけでは、ピンと来ない企業も多くあった。「どうしたら、製品やサービスを提供する側の人に、視覚障害者の不便さを理解してもらえるだろう?」と彼女に相談した。「映像で表現してみてはどうか? 例えば全盲の人が小さなビデオカメラを帽子等に、すれ違った人に分からないように取り付け、そして町を歩く。見えない人の目で見た町を、見える人に映像で伝える」、その時話し合ったことは、シャンプー容器にギザギザを付け、目の不自由な人でも触ったリンス容器と識別できる仕組みを作った花王(株)の、映像作成部門が、彼女を主役にし「見えない目で歩いた町」という題名のビデオになり、共用品の展示会、企業の各種研修講座、また、今では小学校・中学校での総合学習の時間でも活用されている。ビデオの中で彼女は、お互いがお互いを分かろうとする時のヒントを、あらゆる場面でさりげなく示してくれている。
 彼女が、人と人との間にある壁を取り外し、心が交われる場を作っていく手段にパソコンの活用と英語力がある。この2つは、1998年に日本から国際標準化機構(ISO)に提案し、日本が中心となり作成されたISO/IECガイド71(高齢者・障害のある人々のニーズに対応した規格作成配慮指針)にも大いに発揮された。

世界へ、ISO(国際標準化機構)初の点字版発行
 ISOで71番目に発行されたガイド71は、1947年ISO発足以来初めて、点字版でも発行された。ISOの会議は、各国からISOに加盟している機関から承認された委員が参加し、国の益を超えルール作りを行なうのであるが、今回の委員の中には、自ら障害のある委員が2名参加。日本からは全盲の彼女が参加した。
 欧米の委員にとっては、おそらく初めて会う東洋の視覚障害者、最初は少々の戸惑いもあった。しかし、会議を進める中で、目の不自由な人に、物事を説明するには、「電話で説明するようなやり方」を、自然と身につけ、コーヒーブレークでは、全盲であると少々困難な「コーヒーを注ぐ」、「始めての会場のトイレに行く」、「セルフサービスの昼食を皿に盛る」などを、さりげなく交代で楽しそうに会話しながらこなしてくれた。そんな会議が8回、ガイドの完成版ができあがりかけた時、事務局から「今回のガイドの印刷物は、点字版でも作りたい」との提案に、即座に満場一致の賛成となった。委員はガイド71の一番のポイント、ルール作りにおいては、まず、「お互いを知ること」を、参加委員は彼女との関わりの中で学んだのである。
 更には、上記での実績が認められ、今年の9月9日バンコクで行なわれたISO内のCOPOLCOという消費者サイドから必要なルールを提案していく「消費者政策委員会」のワークショップにおいて、日本企業のCSR(企業の社会的責任)を発表した。パソコンで大きくスクリーンに映し出すソフトの、視覚的部分はトミーの同僚に協力してもらい作成、玩具の実物も示しながらのプレゼンテーションであった。その日の夜、COPOLCOの日本代表であり今回の団長も勤められた産業技術総合研究所の佐川賢さんから私宛に下記のメールが届いた。

『星川さん、今日(9月9日火曜日)はコポルコのワークショップがありました。いま、夜の晩餐会も終わってホテルでメールを書いています。高橋玲子さんの発表はデモンストレーションもあり非常に感激的で拍手がわきおこりました。私もなぜか目が熱くなりました。高橋さんの抜擢は日本として大成功です。また、晩餐会では、コポルコ議長のCalorine Warneさんから例のサフラン賞受賞内定のニュースを今回出席された皆さんの前で紹介していただきました。高橋さんには驚かしのため秘密にしていたので、彼女はびっくり、とても感激していました。いろいろ知らない人からも祝福され、この仕掛けも大成功。さらに、ISO Bulletineという広報誌に彼女のことやトミーの話を載せることにもなりました。一躍世界的に有名になりそうです。バンコクにて 佐川賢』

そして、これから・・・
 上記、彼女のサフラン賞への道・・・的に書かせていただいたが、私が個人的に一番感心していることは、彼女の話ぶりである。彼女の話しぶりは、対面での会話、大勢でのプレゼンテーション等、場面を選ばず、人を心の底から楽しくさせる。「人が人を楽しくさせる・喜ばす」は、基本でありながら一番難しいことと私は思う。それを彼女は、言葉、年齢、障害の有無の壁も越え、進化させ続けているのである。では、どうやってその話術が進化し続けているのか?
 甘やかしすぎないご両親がおり、甘えのきかないアメリカでの高校生活があり、卒業してからのパソコンとの出会い、そして社会に出てからの人脈、気脈。運も良かったことは確かである。が、一番は彼女が、日々の生活の中で、周りの状況、そして周りの人の気持ちを、知ろう・知りたいと思い続けてきたからと確信する。それは、彼女が作った心の広場に集まる人たちが増えつづけていることでも明らかである。
最後に彼女に一言。「高橋さん、おめでとう。でも、これからが、ほんとのスタートだよ」

ITと点字を駆使して労働問題に取り組む―第1回チャレンジ賞に輝く渡辺岳さん

阿佐 博

 チャレンジ賞が新設され、6月、第1回該当者の公募が始まった。推薦したい人として私の頭に最初に浮かんだのは渡辺岳さんであった。理由は3つあった。
 私は彼の中学生時代をよく知っている。授業を受け持ったことがあったからだ。非常に優秀な生徒で、将来何らかの形で必ず大成するだろうと考えていた。それが見事に的中したのである。そんな嬉しい思いが第1の理由である。

 彼は現在弁護士として活躍している。視覚障害者が就き得る職域にも様々なものがあるが、弁護士はその中でも最も輝かしいものの1つである。我が国で司法試験に点字受験が認められたのは1973年のことだったから、それから30年になるが、点字での合格者はまだ2人しか出ていない。その2人目が渡辺さんなのである。そんなことを考えると、チャレンジ賞には正に相応しい人だと思えてきた。それもまた大きな理由であった。
 それからもう1つ、最近彼と顔を合わす機会が増えている。私は古くから日本点字図書館の評議員をしているが、数年前に彼もその評議員に加わったのである。また私たち気の合った者十数名で作っている趣味の会があるのだが、最近彼もそのメンバーに加わることになったのである。彼が大学に進学してからかなり長い間ほとんど会う機会もなかったのだが、こんな形で最近よく顔を合わすようになっている。それもこの思いを強くする理由になったのであった。

 渡辺さんは小学生時代を奈良県立盲学校で過ごした。そして中学部は東京教育大学附属盲学校(現・筑波大附属)に進んだのである。私が授業を受け持ったのはその頃のことである。当時私は養護・訓練の担当で、特にコミュニケーションの技術という分野の指導に当たっていた。パソコンが普及する以前のことで、コミュニケーションの技術としては、点字を第一として仮名文字タイプや英文タイプやオプタコンなどの指導が行なわれていた。彼には仮名文字タイプの指導をしたのであったが、理解力に優れ、技術の進歩も抜群であった。

 中学部卒業後、彼は同校の高等部を経て、1986年に明治大学法学部に進学した。1990年に同大学を卒業するのだが、目指すのは弁護士で、卒業前から司法試験に挑戦していた。そして卒業後1年目の1991年に見事合格し、1992年4月に司法研修所に入って2年の研修を終え、1994年に弁護士登録を行ない、安西・外井法律事務所で仕事を始めるのである。
 専門は労働法で、会社の人事労務管理の相談を受けることが多いという。具体的には、社員を解雇したら裁判になってしまったとか、セクハラ問題が起きたが、どう対処すれば良いかなどという相談などもあるそうだ。

 そこで印象に残っている事例について聞いてみた。暫く考えた後、会社側と労働組合側との対立の事例について話してくれた。ある会社で、組合員が昇格や賃金で差別を受けているといって問題を起こしたのだ。会社側は、組合員だから差別したのではなく、組合の方に力を注いでいて会社の仕事に集中していなかったから差が出たのだと反論した。そんな話である。このような対立の場合、どちらの主張についてもそれを立証するのは大変困難だという。なかなか立証できるような決め手がないからだ。そこで双方について細かい資料を積み上げることになり、最終的にはどちらの資料が信用度が高いかということで勝負が着くのだそうだ。渡辺さんたちは会社側の弁護だったので、組合員について入社以来の歴史を調べた。歓迎会に呼んでくれたとか、くれなかったとかいう話があった。また社内回覧を飛ばされたという申し立てもあった。しかしこれに対しては会社側では、飛ばした事実はなく、たまたま席にいなかっただけだと反論している。そういった細かい資料を読みながら、それらに法律的に意味があるか否かを立証していかなくてはならない。時には資料を点字化して読まなければならないこともあったとのことだ。解決には2年を要したという。結局和解で決着したとのことだが、大変な作業だと思った。
 渡辺さんはもちろん刑事事件の弁護に立つこともある。ある放火犯人の弁護に立った時の話もしてくれた。ドラマにでもなりそうな面白い話であったが、詳しく内容を記すだけの紙幅がない。

  渡辺さんには何冊かの著書もある。最近また1冊出した。書名は『改正労働法』で、サブタイトルに「解雇ルールの全て」とあり、これまでの裁判例を整理して、新しく取り入れられた解雇ルールを一般向きに解説したものだ。なかなか反響があり、本人も喜んでいた。それらの著書とも関係があるのだろうが、渡辺さんはセミナーの講師として招かれることもよくある。セミナーには業者が主催するものもあるし、社内研修といったものもある。受講するのは主として人事とか労務担当者で、それらの人々にいろいろなテーマで講義をするのである。そのテーマは例えば、人事労務管理の基礎知識といったような場合もあるし、企業秘密を守る対策とかIT関連の話とか様々のようだ。
 最初の頃は渡辺さんが講師として立つと、目の見えない人なので「あれっ」という感じで驚く人もあったそうだ。しかし今は人気講師になっている。それは渡辺さんの努力の結果でもある。こうした講義の際には黒板などが多用されるのが普通である。だが渡辺さんにはそれが困難だ。だから話だけで理解してもらえるように十分に準備をする。その上更に講義を補うために毎回詳細なテキストを作って配布している。このテキストが好評で、受講者から大変喜ばれている。講義が終わると前に出てきて、「大変良く分かった。その上テキストまでいただいて」と礼を述べ、名刺交換をしていく人も多いそうだ。

 仕事の面ではパソコンを最大限に活用している。書面などは秘書役の者がスキャナにかけてデータ化する。スキャナの性能が上がっているので、あまり待ち時間がなくて必要書類が手に入るそうだ。またインターネットによって役所関係の発表資料もすぐ手に入れることができる。会社とのやり取りもメールを使えば容易だ。実際メールでやり取りしながら、音声ソフトを使って契約書に手を入れたり会社の規則類を手直ししたりすることもある。秘書が連絡事項を書き残しておくときもメールに入れておけば用が足り、点字を知らなくても秘書が務まる。実際渡辺さん担当の秘書は点字の勉強はしていない。これは秘書の求めやすさにも通じ、点字を知らなくてもパソコンの知識が少しあれば、秘書として採用することができる。事務所にはもちろん点字プリンタを設置し、必要な書類は点字で打ち出し、正確な記録に基づく業務を展開している。ITの進歩が視覚障害者の仕事にも革命をもたらす可能性のあることを渡辺さんは身を持って実践しているのである。

 話題を変えて、趣味について聞いてみたら意外な答えが返ってきた。ラグビーファンだというのである。学生時代に友人に誘われてよくラグビーの応援に行ったというが、今でも年に数回はラグビー会場へ足を運ぶ。そう言われてみると、明治はラグビーの強い大学である。学生全般にラグビーファンが多いのかもしれない。
 もう1つは競馬である。最初に渡辺さんも最近入会した私たちの趣味の会があると記したが、それが競馬に関係したものなのだ。Hクラブと称するこの会は実際に馬券を買うのではなく、月に1回お互いに予想を出し合って的中率を競うというお遊びの会である。渡辺さんが実際に馬券を買っているかどうかは聞いてみなかったが、目下のところHクラブの成績は中ほどといったところである。

 最後に司法試験に挑戦する視覚障害者に贈る言葉を求めたところ、これまた意外な答えが返ってきた。「点字の触読に習熟することだ」というのである。録音テープなどでどんなに勉強していても、今の方式なら、読むのが遅かったらまず合格は困難だろうとのことであった。後に続く人たちに聴いてもらいたい言葉である。そして渡辺さんに続く第3号が早く出現することを期待したいものである。

好きになった仕事で元気一杯 サフラン特別賞の中間直子さん

阿佐 光也

 そこは治療室というより、こざっぱりとした明かるい女の子の部屋というおもむきである。ピアノがあり、出窓には人形やこけし、かわいいCDラジカセが置かれている。しかし、その中央に立派な治療用の寝台が置かれているから、間違いなく治療室である。
「このベッドすっごくいいでしょう。サフランホームからもらったの。閉鎖で処分されると聞いて、早いもの勝ちだと思って申し込んだの」
 中間さんはこう言って明るく笑う。この積極性が今の中間治療院の繁盛を支えているのだ。

 1990年、父親の定年退職を機に、文京区の社宅から埼玉県北足立郡伊奈町に一家で引っ越してきた。5年在籍したサフランホームを退寮して間もなくの転居だった。最寄り駅はJR宇都宮線の蓮田駅。静かな田園の中の落ち着いた住宅地である。人通りは恐らく一日に数人ではないかと思われる自宅の門の扉に「なかま治療院」の小さな看板が掛けられている。中間さんは引っ越して来た翌年の1991年に新居の一室で開業した。しかし、まったく患者さんは現れなかった。そこで、始めたのが治療奉仕だったという。私の印象では、押しかけボランティアと言いたいのだが。
「開業しても患者さんはぜんぜん来ないでしょう。そんなところで一日中お客さんを待っているのは精神衛生上良くないので、町の老人福祉センターにお布団を持ち込んで、一応無料ということで町のお年寄りにマッサージをしたの。週に2・3回、母の作ってくれるお弁当を持って、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒にお迎えのバスに乗って、帰りもまた、一緒にバスに乗って帰ってきたの。そこでデモンストレーションとお稽古をいっぺんにやってしまって、出会ったお年寄りに治療院のチラシを渡して、私はこういう者ですって宣伝したの」

 それでも1年ほどは患者さんはほとんど来なかったそうだ。そして、「こんなことしていてもだめかなあ?」と思い始めた頃、「あっちで聞きました」「こっちで聞きました」と患者さんが来始めた。口コミだけでの来訪である。そして、気がつけば、福祉センターに通う時間がとれなくなるほどに忙しくなっていた。ただし、この繁盛にはもう一つの秘密が隠されているのである。
「開業のとき、自分の売りは何だろうかと思ったら、私って何もないじゃないですか。特別うまい治療家でもないし。ここに鍼をうったら絶対に痩せられるというツボを知ってる訳でもないし。そこで、考えたのが、どこよりも安く、どこよりも長くかなってこと。それを私の売りにしたの。自宅だから家賃もいらないし」
 言うなれば、薄利多売である。先見の明あり。両親と一緒の自宅開業だからけっこう夜遅くまで働けるし、どんな患者さんも断らなくて済む。こうして自分に与えられている条件をフル活用して今に至っているのだ。当然、治療費の安さは患者さんに大層喜ばれた。1回分の費用で2回の治療が受けられる。しかもたっぷりと時間をかけての治療である。これだと忙しくなるのもうなずける。そして、持ち前の明るさである。仕事中、本当にリラックスしていて、患者さんに申し訳ないと思うこともあるという。
「治療中に聴きたい音楽があったら、自分でCDを持ってきてもらって、ここでかけて、聴いてもらいながらマッサージをするの。それが良い曲だったり、好きな音楽だったら、ちゃっかりカセットやMDに録音させてもらっちゃって、だから、音楽のコレクションずいぶんあるなあ」

 こんな中間さんだが、学生時代はこういうキャラクターではなかったという。理療科の勉強にはあまり興味を持てず、でも、自分のような盲人が普通にしていて取れる資格はこれしかないかなと、幼稚部から通っている附属盲学校の専攻科まで進んだ。そんな訳で勉強にも力が入らず、免許は取れたものの、仕事にはまったく自信はなかった。人の体に触れると手が震えるくらい嫌だったともいう。こうして卒業後の進路に不安を抱いているとき、担任の教師からサフランホームを紹介され、卒業と同時に入寮した。小さいときから近所の教会に通っていて、サフランがキリスト教の施設であることも幸いした。このサフランホームで自分は変えられたと中間さんは述懐する。
「サフランは、まずは楽しいところでしたね。いろんな人と出会って、寮生も職員も、先生方もボランティアの人や教会の人たちも本当に個性的で、そういういろんな人がいて、みんなそれぞれに生き生きしている。そこで、私も、学校に居たときとはまったく違う感じで生きることが出来たのですよね。サフランに行って、私は目の前が明るくなりました。本当に変えられたんだなと思います」
「仕事も割と始めから少しずつだけど患者さんをやらせてもらって、『みんな新米さんだから大丈夫よ、がんばんなさい、大丈夫だから、がんばんなさい』って、最初の頃の寮長だった田代先生に言われてやりました。患者さんも優しくて、『まあいいよ、そのうち上手くなるよ』と励まされ、何週間か経って同じ患者さんをやると、『この間よりましじゃないか』って。私、サフランホームでお客さんに強くされたと思います。学校では『そこツボじゃない』なんて怒られていたけど。サフランみたいにいいお客さんが来て下さる環境って、これからはもうないんじゃないかなあ。そこで、ちょっとずつ、ちょっとずつ治療する喜びが湧いてきて、サフランが好きで出られなくなったの。でも、5年居て、後もつかえているから卒業したの」

 2003年3月に活動を停止した東京サフランホームは、視覚障害女性の自立支援施設として1958年に日本盲人キリスト教伝道協議会婦人部の女性たちの熱い祈りと、熱心な一日一円献金によって設立された。当時の視覚障害女性の置かれた困難な立場を思うと、止むに止まれずの直接行動だったようだ。その献げものをした一人ひとりの胸に灯された祈りは、中間さんをはじめとするサフランホーム寮生一人ひとりの人生の中に見事に結実していたことを、中間さんの話は物語っている。生活と仕事に喜びと自信が与えられ、自らの人生を切り開いていく力が育まれ、97名の寮生がここから巣立っていったのだ。サフラン特別賞は、97名の卒業生全員、誰が受賞しても良かったように感じられてくる。中間さんはその代表として受賞したのだろう。

 それにしても、彼女の積極性には驚かされる。以前に盲人伝道協議会の若者たちの集会で、彼女が話しているのを小耳に挟んだ。ひとりで出かけて、電車に乗っているとき、乗換え駅が近づいてくると、急にそわそわしてきて、そのうち「どこそこ駅でなになに線に乗り換える方はいませんか!」と叫んでしまうということであった。そのことを尋ねてみると、「今でもそうだ」ということである。「周りに居る人たちは怯みますよね」と笑った。中間治療院のもう一つの「売り」はこれであろう。マッサージで体の凝りや緊張が解されてゆくと同時に、ちょっとしたおしゃべりで心の緊張も解されゆくのではないか。中間さんと話しているとそんな気がしてくるのである。
 最後に、治療を受けた患者さんが作ったという詩をご紹介して、終わりとしたい。

母のちから
  指圧のおねえさんが云っていました
  わたしの指のちからは
  私の全身から出る
  そのちからのもとは
  おかあさんのつくった
  おにぎりなんだって
  きっと にぎったおにぎりに
  母の願いが入っていたんだね
  ひまわりのようなひとでした

*サフランホーム(東京都杉並区)は、盲学校卒業後、三療の自立開業への力不足や開業の条件に恵まれないなどの理由で希望の就職が果たせない若い女性たちに、入所で日常生活訓練や治療実技・理論を伝えてきた。出身者は約100名。医学と医療の進歩と少子化、社会情勢の変化などにより3月末に解散した。

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はばたけ! そして広げよう!
第1回サフラン賞・チャレンジ賞・サフラン特別賞の贈呈式と新刊書『しなやかに生きる見えない女たち』出版記念祝賀会開催

 去る10月18日の土曜日、杉並区内、荻窪駅近くの中国料理店を会場に、第1回サフラン賞・チャレンジ賞・サフラン特別賞の贈呈式と『しなやかに生きる 見えない女たち』の出版記念祝賀会を開催しました。
 お集まりいただいたのは、第1回の各賞に受賞されたお三方、この新刊をご執筆くださった方々、そして40名強の来賓の方々です。冒頭に理事長高橋より今回創設した賞の趣旨と受賞者を紹介し、合わせてセンターの事業の現状を報告、今後の取り組み等についての心積もりを表明致しました。

 受賞者は、既に公表していますように、チャレンジ賞に弁護士の渡辺岳さん、サフラン賞には民間の玩具会社にお勤めの高橋玲子さん、サフラン特別賞には三療業の中間直子さんです。
「あなたは、視覚障害というハンディキャップを乗り越え、職業自立して社会貢献しようと意欲と情熱と信念をもって行動して来られました。このことは若い視覚障害者にとってとりわけ励みとなり夢と希望を与えらるものと認められますので、その実績を顕彰してこの賞を授与致します」
 これは、高橋玲子さんに贈呈された賞状文ですが、お三方はそれぞれ、理事長より賞状と賞金50万円を、続いて副賞のブレイルメモを、その提供者でありチャレンジ賞では資金面でもご協力いただいているKGSの榑松社長から、受け取られました。そして、厚生労働省障害保健福祉部社会参加室長の金井博様、杉並区の小林義明助役、日本盲人福祉委員会理事長でサフラン賞・チャレンジ賞の選考委員のお一人でいらっしゃる笹川吉彦様より、温かいご祝辞も賜りました。

 受賞者スピーチで、渡辺さんは「自尊心を持ちながら、人の助けを得る、そうかと言ってへりくだってばかりいても何も認めてもらえない。いかに折り合いをつけ、社会の中で晴眼者と同じ結果を出していくか」と自身のスタンスをきっぱりと言葉にされ、近頃経験されたという弁護活動の一例を、ユーモアを交えてテンポ良く話されました。また玲子さんは、少し高めの表情豊かなお声で、共遊玩具作りの仕事を通した社会参加について、やはり一例として障害のある子どもとの交わりを通して感じたことなどを、生き生きと話してくださいました。3人目に、「賞など生まれて初めてで」と緊張気味の中間さんが、これまでの歩みを確かめる様に、ゆっくりと穏やかな口調で、ご自身の三療に関わる半生を語ってくださいました。

 贈呈式に花を添えてくださったのは、大藪眞知子さんでした。玲子さんもそうですが、大藪さんも今回の執筆者のお一人です。原稿でも触れていらしたシャンソンをお聴かせいただけるということで、京都よりご参加くださいました。会場はカラオケの伴奏しか用意できないため「ムードに欠けるのでは」と主催側として申し訳なく思っておりましたが、こちらの心配は他所に、実に楽しいおしゃべりを交えながら、熱く激しい「恋心」や、しっとりと歌う「涙そうそう」など、情感豊かな5曲に、会場は拍手喝采となりました。

 後半は『しなやかに生きる〜』の出版記念会。浴風会理事長の板山賢治様より快活な乾杯の合図を頂戴してのスタートでした。今回お集まりいただけた執筆者は14名のうち9名の方。それぞれに3分間ずつ “しなやかに”そして“力強く”“伸び伸びと”向かっておられる子育てやお仕事のこと、地域での活動のご様子等をお話いただきました。皆さん、聞く側に「もっと知りたい」と思わずにはおれないほど魅力的な話し振りで、会場は食事もそこそこ、お配りした本を開いて確認されるお姿があちこちで見られました。そしてラストステージには、会場の皆様よりご発声をいただきました。前半から時間が押していた関係で、定刻を約30分オーバーしての閉会となりましたが、師弟の邂逅に話の花が咲き、また、今を走る若い女性と諸先輩方との情報交換等がもたれ、話が尽きませんといったご様子の方、後の予定を返上してまで居てくださった方もいらっしゃいました。ご参加の皆さま、長時間のお付き合いと有意義かつ盛会な時をありがとうございました。

 また、この賞の実現においては、実に多くの方々に多大なご協力をいただきました。サフランホーム関係の方、KGSの社長はじめ皆さま、諸施設の諸先輩方、支える会会員の方々他たくさんの方、またこの会にご出席頂けなかったけれども出版にご協力を頂いた方々に、紙面をお借りし、心より感謝申し上げます。

 会の中で、谷合侑先生が「火星の回りにある星は一緒に輝ける。今回受賞の皆さんは火星で・・・」とお話を下さいました。本当に受賞の3名と14名の執筆者の方には、ますます羽ばたいていただき、社会に輪を広げていただけるようお祈り申し上げます。そして私達職員12名、そして、秘めた力と可能性を社会で発揮したいと毎日通所してくるチャレンジの利用者15名も、この皆さんを励みに、この方々の周辺で一緒に輝く星を目指して、努力しようではありませんか。(所長補佐 橋本 京子)

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「アイマスク体験」を通して

 9月末、学校教育コーディネーターの方を通じて杉並区立杉森中学校の「総合的な学習の時間」の一環として行われる体験学習の講師依頼のお話をいただきました。視覚障害リハビリテーションについて学んできたとはいえ、講師というには経験も未熟な私が果たしてお引き受けしてよいものかと思いましたが、「何事も経験」という理事長の一言で、今回、講師をさせていただくこととなりました。

 杉森中学校は早稲田通り沿いにあり(JR阿佐ヶ谷駅下車)、公立中学には珍しく制服がなく、各フロアにオープンスペース(共有スペース)があるなど、校舎の造りも含めて自由な校風を感じさせる学校でした。
2学年の生徒さん98名と先生方6名を前に、まず簡単に視覚障害の概要と外出手段についてお話しました。最初に「街で視覚障害者を見かけたことのある人?」と生徒さんに問いかけてみたところ、ほぼ全員の方が手を挙げました。そこで「声をかけたりしたことのある人?」と尋ねると一転、誰一人の手も挙がりません。以前の私もそうでしたが、視覚障害者の方に出会ったとしても「声をかけようか」と思いつつどうしてよいのかわからず、結局そのまま通り過ぎてしまうということが一般的なのではないでしょうか。
 そうした意味でも、単なる「アイマスク体験」という視覚遮蔽の疑似体験で終えることなく、一歩踏み込み、その体験を通して、視覚障害者にとって「移動介助(手引き)」や「声かけ」がいかに役に立つのかということを知ってもらいたいという思いがありました。

 限られた時間の中での体験ではどうしても限界があるため、移動介助の基本として、1.(一般的な)基本姿勢、2.狭所通過(狭いところを通るとき)、3.階段昇降(段差や階段の昇り降り)についてデモンストレーションを行った後、実際に2人1組のペアになり、交代でアイマスク体験をしてもらいました。平坦で、生徒さんたちにとっては毎日通っている、よく見知っている廊下でさえ、「怖い!」ということばや悲鳴とも思われる声が何度となく聞かれました。

 アイマスク体験をすると、どうしてもこうした恐怖ばかりが強く印象付けられてしまいます。もちろん、晴眼者にとって視覚を閉ざされる経験は日常的にはありませんし、恐怖心を抱くことは当然といえます。「目が見えないと大変だ」と感じることもアイマスク体験の意義の1つともいえますが、移動についていえば、逆に「見えなくてもちょっと手助けしてもらえるだけで安心して歩ける」と感じてもらうことができれば本望なのですが・・・。

 わずかな時間ではありましたが今回の体験をきっかけに、今度、街で視覚障害者を見かけたときに1人でも多くの生徒さんがまず「声かけ」をしてくれること、少しでも視覚障害について関心を抱いてくれることを期待しております。
 後日、生徒さんたちの感想をお送りいただけるということなので、それを拝見した上で反省点を踏まえつつ、またこうした機会を(特に地元において)与えられるならば、センターの啓発活動の一環として行わせていただきたいと思います。
 今回、講師依頼のお話をくださいました学校教育コーディネーターの伴野さん、杉森中学校の倉田先生をはじめ、関係者の方々に感謝いたします。(三上 奈美恵)

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2度の街頭募金活動を終えて

 去る8月23日(木)と9月18日(木)の両日、JR荻窪駅北口前にて街頭募金活動を行いました。その成果や参加者の様子などをご報告させていただきます。

趣旨
 今回の街頭募金活動の大きな目的は、「社会に対し視覚障害者への理解を求めるとともに、地元荻窪で活動しているセンター、チャレンジを社会に広く知らせ協力を求め、センター、チャレンジの運営、活動資金の一助とする」ことです。また、「区内で働きたいと願いながらも今も在宅で過ごしている一人でも多くの障害者に対し、働く機会と場を提供するためチャレンジの作業拡大の資金とする」ことも呼びかけています。

経過
 今年度の新規事業として、年度初めより計画を練っていた街頭募金活動でしたが、諸事情により、実際の活動は7月24日を第1回目と考えておりました。6月には警察署への届け出も済ませ当日を待つのみだったのですが、その日は朝からあいにくの雨。残念でしたが中止とせざるを得ませんでした。

8月23日
 第1回募金活動は、まだ暑さの残るなか昼1時から3時間行いました。センターの前身である盲学生情報センターの頃に全国で募金活動を行っていた理事長以外は、職員、利用者、なにより私自身にほとんど経験がなく、不安の中で当日を迎えました。
 参加者は理事長、職員3名、利用者4名、ボランティア数名と盲導犬です。理事長はマイクで道行く人たちに語りかけ、職員とボランティアはチラシ配り、利用者は横並びして募金箱を持ち、募金をくださった方には、センター概要を手渡しました。人通りの多い中、ごそごそと準備を進める私たちに気づいて募金を手渡して立ち去る方もありました。
 チラシも渡し、募金も集まり、あまりにも順調なすべり出しでした。途中で休憩をとるつもりが、参加者の「まだ大丈夫」の声に安心して2時間近くも全員立ちっぱなしで活動。結局「足が疲れた」ということで3時過ぎに休憩をとりました。用意したチラシ750枚は1時間半ほどで配りきり、チラシの代わりにセンター概要を急遽渡すことにするなど、私にとっては予想外なことばかりでした。4時前には雨が降ってきたので少し早めに終了しました。

9月18日
 昼の休憩時に駅周辺を利用する人もいる、その方々にも理解を求めたいとの期待から、2回目は11時半からの3時間活動を行いました。第1回の反省をふまえ、2回目はきちんと休憩を交代でとることにしました。参加者が1回目とほぼ同様、理事長、職員4名、利用者3名とボランティアでしたので、2交代で休憩をとると、残った4、5名の負担が大きく大変でした。
 理事長が休憩をとる間マイクを持つ人がいなくなると思っていましたが、利用者のひとりが自主的にマイクを持って呼びかけをしてくれました。
 交代制にしたこともあり、チラシは500枚も渡せませんでしたが、後日チラシを見たという方々から、古切手や使用済みテレカ等をいただいたり、是非読みあわせボランティアをしたいとお申しでいただくなど、大きな成果もありました。募金額よりも、こうして地域の皆さまからご理解、ご協力いただけるということが、私たちには嬉しくありがたいことでした。

今後の新たな試み
 10月28日(火)に予定していた第3回は、残念ながら雨のため中止となりました。しかし、これからも月1回ではありますが街頭募金活動を行っていく中で、地元荻窪の皆さんや、駅を利用する皆さんに、私たちセンター、チャレンジをアピールし、視覚障害者への理解、協力を求めていくことができれば、と思います。
 また、第2回で理事長にかわってマイクを持ってくれた利用者にヒントを得、次回からの新たな試みとして参加者がマイクを持つことにしようと計画しています。今のセンター、チャレンジの状況を理事長だけでなく私たちが声にすることで、道行く人にもより一層のアピールになると考えています。
 とはいえ、まだまだ活動ははじまったばかり、毎回が試行錯誤の繰り返しです。今後とも会員の皆さまのご理解をいただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 ご協力いただきました多くの皆さまに、紙上を借りましてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。(尾田真弓)

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「チャレンジ」 リモコンモニターでユニバーサルデザイン推進に協力

 「チャレンジ」では、リモコン機器のモニターに協力する機会がありました。これまで、牛乳パックの識別や点字ブロックの敷設、エレベーターの表示などにモニターとして協力してきましたが、全員で参加するのはこれが初めてのことなので、モニター参加は初めての経験という人もいました。

 このモニターは、今の私たちの日常生活にとって、当たり前となっている「バリアフリー」の考えを進化させた「ユニバーサルデザイン」化への取り組みによるものです。「ユニバーサルデザイン」とは、「UD」「共用品」ともいわれるもので、空間づくりや商品のデザインなど、誰もが利用しやすいデザインを初めから取り入れておこうとする考えです。細かい字が読めなくなった人のために、触っただけで識別できるよう工夫された容器や文房具類、障害者や高齢者でも着やすく使いやすい服づくりなどの身近なものから、障害者等が持ち歩くとエレベーター前で音声ガイドを開始させたりできる機器など、広い分野で普及してきています。UD部門を置いて本格的に取り組む企業も増えています。ユニバーサルデザイン化の開発においては、利用者の参加は必要不可欠なのです。このような経緯から、リモコンモニターへの参加となりました。

 リモコンモニターは、残暑厳しい9月12日に、東京国分寺市にある日立製作所研究所において行われました。当日は、数種類用意されたリモコンの実物大の模型に触れて「チャレンジ」一人一人の意見が聞き取り調査されました。メンバーの大部分は携帯電話を所持していますので、このような機器には様々な思いがあり、約1時間の調査時間がオーバーするほど、皆熱心に取り組んでいました。

 ユニバーサルデザイン化の理念は、障害をもつ人、子どもや高齢者、あらゆる人が平等に参加できる社会(就労、教育、文化活動、スポーツなど)の実現にあります。
 「チャレンジ」は、今回のモニターで述べた意見が、商品のユニバーサルデザイン化に生かされることを願うとともに、今後も積極的に協力していきたいと思います。(「チャレンジ」施設長補佐 加藤 みさ子)

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講演を終えての感想

 私は、去る9月27日、杉並区立杉森中学校にて「音楽は私の生きる証」というテーマで、講演させていただきました。バスを待っている時に、私に声をかけてくださった方が、偶然にも、小・中学校で着付けを教えている方で、会話が、はずむにつれ、「あなたも講演をやってみないか」という話になり、この日の講演につながりました。
 この日は、毎年行われている公開講座の日で、私の講演以外にも、日本舞踊の講座やドイツの文化に関わるお話等、多数のワークショップが用意されており、何人の生徒さんに参加していただけるか正直不安でしたが、20名の方に参加していただき、あっという間の50分でした。

 講演は、生徒さんの自己紹介、私自身の音楽との関わりについての話、ピアノ演奏、点字やパソコンなどの紹介という流れで進めていきました。健常児と共に過ごした保育所時代にピアノと出会い、盲学校時代に、一般中学へ一日体験入学をした時、モーツァルトの『トルコ行進曲』を人前で演奏したことがきっかけで、音楽を通じて仲間と共有できる喜びを知り、そのことが、その後の私の音楽との関わりにつながっていったことを話しました。私自身も、ここまでくるには決して順調だったわけではなく、ピアノをやめようかどうしようか悩んだ時期があり、全く触らなかった時期もありました。そのことを、何か一つのものを懸命にやっている方に呼びかける意味合いも含め、「もしそのように悩み始めたら、それを自分の生活から断ち切ってみることも選択肢の一つであること」「一番大事なことは、やるかやらないかを考えるのではなく、自分自身がこれからどのように歩んでいきたいのかということ」といった、少し深い話題も取り入れました。

 いよいよ進路を考える時、健常者の中へ入っていくことで広い世界を見てみたい、自分の力を試してみたいと思うようになり、大学に進学したことにも少し触れましたが、時間の関係であまり話ができなかったのが残念でした。20分の講演の後、演奏に移りました。少人数での演奏は今回が初めてなので、流れを変えるタイミングについてすごく悩みましたが、途中、パソコンの音声ソフトが勝手に動きだしたこともあって、かえって雰囲気を保つきっかけができたような気がします。ただ私自身にとっては、演奏中に再び作動しないかという不安が残りましたが……。演奏は、当時のことを思い出す意味から、ベートーヴェンの『エリーゼのために』と、モーツァルトの『トルコ行進曲』にしました。大人数の場合、演奏を終えてから次の流れに移るには時間がかかりましたが、少人数では、参加している生徒さんがある程度の流れを作ってくれるので、取り越し苦労に終わりました。

 次に、点字や音声パソコンなど、視覚障害者が日常生活の中で使用しているものを紹介しました。点字については、点字は6点で構成されていること、左から読んで右から打つこと、凸面と凹面があることを説明し、「チャレンジコーナー」と題して、点字一覧表を見ながら実際に書いてもらうという形をとりました。頭ではわかっていても、実際に打っていくと打つ方向と読む方向とが混乱するようです。単純に左から打たれている点字は、逆から何とかして読めるのですが、打っている途中でさらにひっくりかえった点字はさすがに判読できず、打ってもらった点字が読めないことの悔しさと、自身の教える技能の無さを痛感させられました。今考えると、無理して凸面の一覧表を使う必要はなかったのかもしれません。最後に「コンニチハ。キョウハアリガトウゴザイマシタ。」と書いてもらい、非常に感激しました。点字に対する関心は私が思っていた以上に高く、「濁音は、どうやって書くのですか?」「びっくりマークなどの記号は、点字にもあるのですか?」など、具体的な質問を多くいただきました。そこで、点字にもびっくりマークなどの普通文字に対応した記号があること、濁音は2マスを使い、「が」と書く時は、1マスに5の点、次のマスに「か」(1・6の点)を書くことを説明しました。また、点字の教科書を見てもらい、「みなさんの使っている普通文字の教科書を点字に直すと、この分厚いのが2冊以上になるのです」と説明すると、「すごい、すごい」といった驚きの声が多く聞かれました。最後に、点字はエレベーターや駅の自動券売機、缶ビールの上面などに貼られていることを説明し、「道を歩く時には、ちょっと注意して確かめてみてください」と呼びかけてみました。

 次に、パソコンを操作しながら、スクリーンリーダーというソフトを入れることで、音声を聞きながら、ウィンドウズの操作がキーボード上でできること、音声を頼りにインターネットにもアクセスできることを説明しました。時間の関係でPCルームへの移動ができなかったこと、私がノートパソコンを持っていなかったことから、主催者の方が普段使っているWindows98搭載のノートパソコンをお借りし、2000リーダーという音声ソフトを入れさせてもらって、なんとかできました。生徒さんには、パソコンの側に集まってもらい、まずメモ帳を使って「私の名前は兵藤崇彦です。」と書き、パソコンの画面を見てもらいながら、漢字変換もできることを説明し、Eメールも日常的に使っていることを説明しました。生徒さんは、パソコンがしゃべるという現象にまず驚いていた様子でした。しかも、そのしゃべるパソコンが、インターネットもワープロもやってのけるから、我々視覚障害者にとっては日常的な光景であっても、彼らにとっては新鮮なものかもしれません。
 私ばかり触っていてもつまらないし、せっかくの機会ですので、生徒さんには、予め2グループに分かれてもらい、その中の何人かに触っていただく形を取りました。最初のうちはよかったのですが、途中でパソコンがフリーズし、再起動をかけたものの時間がきてしまい、結局1グループの方だけに終わり、インターネットの実演も、ほとんどできないままに終わりました。場所が音楽室でインターネット回線がなかったことから、私がよく利用するホームページの全文を予めフロッピーに取り込み、インターネットエクスプローラーで開くことで、「疑似インターネット」と題して、デモンストレーションを行うつもりでいました。ところが、いざパソコンを開くと、インターネットの設定が変更されており、設定を変えるのに時間がかかってしまったことが大きかったのでしょう。やはり50分というサイクルの中では、少し無理があったようです。

 最後に、参加した生徒さんから歌のプレゼントをいただき、充実した一日でした。講演終了後もしばらく音楽室に残り、生徒さんの反応をうかがっていましたら、参加者以外の生徒さんが入ってきて、関心を持ってくれたようです。また、参加していた生徒さんの大半が残っていたので、その間にパソコンや点字器、鈴入りボールなどに触れてもらいました。私の方は、もう少し時間を取ってもよかったのですが、講師の集まり等があり、撤収にかかりました。今回は、私にとって後悔と不安の多かった講演でしたが、これからも機会があれば、仕事と並行して、講演活動をしていきたいと思います。私のために紙面を提供してくださったことを感謝し、筆を置かせていただきます。(チャレンジ利用者 兵藤 崇彦)

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演芸会の意義

 発展途上国での4年間で学んだことのひとつに、身体障害者の生命力の強さでした。のほほんとしている自分と彼らとを照らし合わせて、情けなくなることが度々ありました。

 ところ変わって、チャレンジ利用者の第一印象は、数名を除けば、「ほんまに、社会に出る気あるんやろか?」でした。危機感もなく、平和でした。しかし、彼らとは赤の他人のボランティアの多さ、献身的な対応には、大いに驚かされました。
 悲しいことに、1年半経過しても第一印象は正しかったことがわかり、相変わらず大勢来て頂いているボランティアの方々には、申し訳ない気持ちが募りました。
この鬱屈したものを取り除くには、利用者を動かすしか方法はないと思い、演芸会を開く事を決めました。目標は、お金、準備時間をかけずに、出演者も観客も退屈せずに楽しめる会にすることでした。

 平成15年8月3日(日)三鷹市芸術文化センターにおいて、2時から5時まで、職員4名、利用者6名、ボランティア3名(うち2名は、飛び入り)、一般の方2名 計14名が演奏、演芸を披露いたしました。
いざ始まると、さすがに皆さんお上手で、聴きに来てくれたボランティアの方々も楽しんで頂いたと思います。文章でこの演芸会を表現することはできませんので、省略します。(ビデオテープは保管しています)

 この会を通じて、利用者に自覚して欲しかったことは、支えられているばかりでなく、周りの人を支える場面、支える機会に遭遇した時に、支える側に立てるように、自分を磨いておくことです。多分、これが社会に出るための第一歩だと思います。

 最後に、この会を観に来てくださった方々、また演じる側にまわっていただいた方々、お菓子やお金までも置いていってくださった方々、大いに盛り上げてくれた二人の音楽家の三好先生と志田先生。ありがとうございました。(事務局長補佐 高橋 和哉)

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