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2005年9月10日発行 第49号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

理事長 高橋 実

 残暑御見舞い申し上げます。これからはどれほどの招かざる客・台風の襲来があるのでしょうか。皆様は夏本番をいかがお過ごしでしたか。どうぞ体調を整えられ、よりお元気でお過ごしください。8月19、20日の両日、我が故郷・北海道は札幌に出かけ、来たる10月20日行う「競い合い、助け合う コンサート in 札幌」の打ち合わせといいますよりお手伝いのお願いで行ってきたのですが、結構暑かったです。まだまだ各家庭にまでクーラーは普及しておらず、扇風機派の兄弟や親戚の面々に「暑くて死にそう」なんていう言葉を何回も聞かされた今年でした。

星先生、ご逝去
 法人の役員で、物心両面で、また公私共にお世話になっていました星伊久江先生が7月25日、数年前からの大腸がんで急逝されました。8月6日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で追悼ミサ・お別れ会がありました。当日の私の追悼文を掲載いたしますので、先生にセンターがどれほどお世話になっていたか、また、先生がセンターについてどれほどご心配をくださっていたか、幾分なりとも感じ取っていただけるものと思います。それに、ご挨拶されたご主人様の内容を無断で載せさせていただきましたことを、紙上を通してお詫び申し上げます。

 実は私も大腸がんで、検査と手術で20日間ほど入院していて、7月9日、シャバに出てきました。職員には「失礼にならない限りで、皆さんには私用で休みを取っている」と外部には対応を指示していましたし、チャレンジ利用者にもまったく話しておりませんでした。しかし、しょっちゅう再々お目にかかっている人達が聞きつけて、お見舞いに来てくださった方もあり、ご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思っております。退院後、外来で外科部長医師の診察を受けたのですが、その折も退院の時と同じ、「あれほど悪性だったのによくもこれほど早くきれいに治ったものだ」と太鼓判を押してもらいましたので、こうしてご報告している次第です。

 実は私は、新聞社退職後は毎年1泊どまりの人間ドックと、1日の健康診断を受けておりました。それが今年の2月、人間ドックの際の検便でひっかかり、検査を受けましたら、S字状結腸がんと盲腸のポリープが発見されました。別に自覚症状もありませんでしたので、仕事に一段落がついたら、と思っていました。ところが医者から「早く検査と手術で3週間ほど入院するように」といわれて、しぶしぶ6月検査入院して「転移はしていない。いずれも摘出した方がいい。全身麻酔に耐えられる」ということで、検査と手術の間、ちょっと退院させてもらいました。手術も数時間かかったようですが、麻酔が切れた時には体から何本かの管や線が出ていましたが痛くも痒くもなく、前述のように全快したということで、アルコールも「ほどほどに」と言われたぐらいで、いたって快調です。

 星先生のお見舞いにもしばし退院した折におうかがいしようと思っていましたら、「元気になってからゆっくり来てください」というお言葉に甘えていたことが後になって心残りになってしまいました。申し訳ありませんでした。

河北病院のこと
 そんなことで、病院も薬も私は区内にある河北病院の御世話になっています。以前にも、職員以外には内々で胃のポリープ除去で3、4日入院しました。しかし物心ついてからこれほど長期間入院したというのは初めてで、これが最後になってほしいと願っております。検査入院の1週間は内科病棟で4階、手術の2週間は3階の外科病棟で個室でした。いずれの病室もナースセンターの近くであったせいかもしれませんが、深夜も含めて1日に15回以上は看護士さんが誰かしら入れ替わり立ち替わりベッドまで来てくださいました。医師も内科は主に3人、外科は4人の医師が2回以上は容態を聞いたり見たりしてくれました。内科医の1人などは最初から最後まで「實さん元気を出してよ」と声をかけてくださるなどで、感謝感激でした。看護士さんなども、家族でもできないであろうようなことを気兼ねなくやってくださるなどは感激というより驚きでした。看護士さんは胸に名札をつけておられるようですが、私には10数人は来られるであろう人の声の区別がつきません。それで、部屋に来られる時には必ず姓を名乗ってくださいとお願いし、快く看護士さんも医師も実行してくださいました。

 普通私達は「ハードはできているが、ソフト面に力を入れるように」ということで運動を半世紀繰り返して訴えてきたように思います。河北病院の場合はハード面で2、3私の感じたことをお話しし、今後配慮していただければ幸いです。1つはウォシュレットですが、3階も4階も点字が付されていないことです。そう思っていましたら、地下1階の検査室に行きましたらそこのトイレには点字が付されたウォシュレットがあるではありませんか。そこの看護士さんに聞いたところ、「ここは新しいところですからついているのかも」と、ついていることに驚いていた感じで、それほどに私達にとって必要なものも見える人達の感覚にはそれほど感じないのかな、と思った次第です。「点字ラベルライター」といったものもありますので、古いところにはぜひ貼付していただきたいものです。

 次に4階ではあった洗面所での手拭用紙タオルが3階ではついてない。少なくとも私達にとって、同じ建物の中であるところとないところがあるというのは大いに不便なものです。

 私が以前から思っていることは、航空会社にしてもホテル(例外はあるとしても)にしても応対マナーが抜群、それに比べて往々にして福祉施設職員の応対マナーができていない部分が多いように思われることしょっちゅうです。電話にしてもしかりです。ですから、私はセンター職員には口をすっぱくしていいところを見習うように言っていますが……。

8月6日追悼ミサでのお別れの言葉

 星伊久江先生には、法人が認可された1996年11月から役員として今日まで、物心両面でご支援とご協力をいただきました。特に先生が主催し、指導しておられるスリーシャイニング・スターズは、毎年センターのためにチャリティコンサートを開いてくださり、その収益金をご寄付くださっていました。先生は普段「病気と友達よ」なんて周辺の人たちに配慮されて言われていたことや、ご主人様が「病魔と闘いながらの長い6年間は……」というお言葉を耳にする時、改めて私の身勝手さを後悔し心から先生にお詫びを申し上げる気持ちでいっぱいです。先生はそのようなことで入院されておられないときは毎週センターに来られ、チャレンジ利用者と読み合わせ校正をしてくださったり、ご自宅で楽譜点訳をされたりで、先生はセンターの日常活動を見るに見かねてだんだんと深入りさせてしまったのかなあと反省しております。

 そもそも、先生と私との出会いは1987年の夏でした。その7月に私は南阿佐ヶ谷で木造の民家を借り受け、看板ならぬ表札をかけたばかりでした。先生からの電話で、「新聞を見たのですが、センターは若い人達の支援を目的にしておられ、資金不足で困っているとか。私達のグループは今年5周年のコンサートを開きますので、おさしつかえなければチャリティコンサートとして呼びかけてもよろしいですか」というお話で、私は耳を疑うほどの感激でその喜びは今も忘れることはできません。それ以来毎年、センターチャリティコンサートとして今日まで続けてくださっていました。

 また、センターは独自に1989年から「羽ばたけ若い視覚障害者 チャリティコンサート」を開いていますが、その第1回目は忘れもしません。都内のど真ん中にある1千人以上は入る虎ノ門ホールでの開催でした。不適当な言葉になるのかもしれませんが、無知なものほど強いといわれることを絵に描いたようなことで、看板も鞄も地盤もない私の無謀と執念で企画したコンサートに対し、先生は「みんなで協力し合えばなんとか成功するわよ」といわれ、コーラスグループの賛助出演とチケット3分の1以上を売りさばいてくださり、大成功裏に導いてくださいました。その日はそれこそバケツをひっくり返したような大雨でしたが、ずぶぬれになった観客で会場はいっぱいになりました。よくチャリティは売りさばいたチケットの7、8割が入れば御の字だといいます。私はロビーで不安と期待が入り混じった心境で、お客様1人1人にお礼を申し上げていました。そのようなことを教訓としてきちっと生かせないのが私の性格で、今年も1月に東京芸術劇場であまりにも有名なフィルハーモニーとバイオリンとの共演コンサートを開くべく、16年度の事業計画案に挙げたのち、先生宅にご相談にあがりました。先生は「素晴らしい企画で私は全面的に応援します。そのようなコンサートですから予想以上の波及効果は確かです。しかしセンターには重すぎて、理事長さんが期待されるような収益は到底上げられないかもね」というサゼッションをいただき、急遽計画案から取り下げました。その事業は友人でもある大手施設が引き継いでくれましたが、結果を聞かされ、先生に感謝した次第です。

 ことほどさように先生にはおんぶに抱っこの私でありセンターでした。先生が病魔から解放され、神に召されたことは祝福すべきことなのかもしれませんが、私は悲しくさびしく何よりも私達を置いていかれるなど、ゆめゆめ考えておりませんでした。それほどに私が身勝手といわれても困ってしまいます。先生は「私もつらく苦しく大変だったのよ。でも努力だけは精一杯したつもり。あなた方も苦しみを乗り越えて着実に進んでくれることで私は安心できるのよ」とおっしゃっておられるように思います。

 「両親の死より悲しい」といった職員がいます。本当に私達もそうです。もう少し時間をいただいて必ずや先生のご遺徳とご業績を学び継承していきます。そして先生の日頃のパワーと奇抜な発想を受け継いでいかれるよう自助努力しますことをお誓い申し上げ、皆様と共に重ねて先生のご冥福をお祈り申し上げ、お別れの言葉に代えさせていただきます。

 

喪主挨拶

 本日はご多用のところ、また本当にお暑いところ、このように大勢の皆様方にお集まり頂き、誠に有難うございました。

 故人となりました妻伊久江は、白百合の高校時代に洗礼を受けてカトリック信者となりました。在校中四ツ谷の聖イグナチオ教会の聖歌隊で賛美歌を歌っていたこともありまして、芸大の声楽科へ入学し、昭和39年に卒業いたしました。

 卒業後は文京女学院、その後東京教育大学付属盲学校の音楽教諭として勤めておりましたが、それがその後視覚障害者の支援活動をライフワークとする動機になったのではないかと推測しております。この間多くの著名な先生方に師事し、演奏活動を続けておりましたが、私と結婚しましてからは、私の母の介護と子育てのためステージ活動は中止せざるを得なくなりました。

 子育てが終わってからは、練馬区と江東区にコーラスグループを立ち上げ、さらに麹町でもコーラス指導を引き受けるなど、もっぱらコーラスの指導をし、スリーシャイニング・スターズと称して毎年リサイタルも開いており、そのチャリティ・コンサートの利益はもっぱら視覚障害者支援総合センターへ寄付しておりました。また、楽譜の点訳奉仕を続けるなど、視覚障害者の支援活動が主なライフワークでしたが、そのほかにも、音楽を通じての社会教育・社会福祉運動、さらにはカトリック信者として教会を通じての愛と平和運動などに毎日飛び回っておりました。

 6年前に大腸がんにかかり、すぐ手術を受けましたが、すでに第4期ということで、今日あることは本人も覚悟していたようです。その後肝臓に転移しその大半を切り取るなど、前後5回の大手術と抗がん剤の副作用に悩まされ続けました。とくにこの1年くらいは、食べ物が通らなくなり、食べると痛む、吐くという状態が続いておりましたが、本人は決して苦痛を訴えたり、落ち込んだりすることはなく、笑顔を絶やさず、常に前向きにどんどん先のスケジュールを組み、外国での演奏旅行も積極的に実施したりしておりました。とくにコーラスの指導と教会活動には、這ってでも行くという気持ちを持ち続けておりました。これもひとえに信仰のお陰と感じている次第です。

 昨年ごろから本人が常に願っておりましたことの1つは自分の母親のことでありまして、「高齢の母親を置いて自分が先に行くことはできない。何とか1日でも後で死にたい」といっておりましたが、幸い、母親はこの1月に98歳で他界し、念願通りになりましたが、わずか半年後に親子前後してあの世へ旅立つ結果となりました。

 もう一つはこの秋に予定していた第21回目のチャリティ・コンサートでした。「来年はとても生きていられないから、今年で最後にする」と言って、ヤマハホールと光が丘のホールを予約し、私の先祖と多少ゆかりのあります良寛和尚をテーマに「良寛と貞心尼のカンタータ」を歌うつもりでした。わずか6カ月足らずで念願を果たすことができず、この点はさぞや無念であったろうと思っております。

 本日会場といたしましたこの教会は、昔私どもが結婚式を挙げたところでありまして、そのゆかりの場所で、生前親しくして頂きました皆々様方に見送られながら神の御許に帰ることができ、本人もさぞや喜んでいることと思います。

 生前故人に賜りましたご厚誼に厚く御礼申し上げます。長時間誠に有難うございました。

喪主 星 和夫

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私に与えてくれたもの

センター職員 坂巻 明子

 1996年の夏、私は「星伊久江&スリーシャイニング・スターズ」の伴奏のお手伝いをお願いされたことがきっかけとなって、星先生と直接の関わりを持つことになりました。秋のコンサートに向けて、先生はコーラスの指導や伴奏者への注文など、それはそれは暖かい言葉がけをされていました。先生は常におひとりおひとりへの配慮を忘れず、また団員1人1人の体の心配や、心のケアまでしてくださいました。その優しさ、偉大さ、暖かさ、そして先生の音楽性に惹かれて、私はこの年の秋のコンサート後、コーラスの団員として入れていただきました。

 私が所属した「コールトゥインクルスター」という練馬区周辺に住む人たちで結成したグループは、活動を始めて現在22年目に入りました。これだけ長く続いているのは、先生のお人柄と暖かい指導があったからこそだと皆さん口を揃えて言っています。

 先生は楽譜点訳もなさるので、私が他の晴眼者の団員と同じように歌えるように、また伴奏譜も必要だろうと思ってくださり、いつも楽譜がみんなと同じように手元にありました。パソコンで点訳したデータを、コーラスの行われる日の2日くらい前までにはメールで必ず送ってくださったので、暗譜して臨むこともでき、とても助かりました。また、先生の指導は常に体を使うもので、コンサートの本番では手話コーラスを取り入れたり、ダンスを取り入れるなど、動きのあるものもかなりありましたが、私も皆さんと同じようにやることができたのは、先生の個人レッスンがあったからでした。「視覚障害者だから振り付けは無理」などという考えでは無く、同じようにやれるように考えてくださったことは大きな感動です。

 私にとっての先生は、親のような存在でもありました。音楽に関すること、生活のことなど、何でも相談してアドバイスをいただきました。とにかく先生のお力は大きく、今こうして仕事も演奏もできて、生き生きした生活を送ることができるのは、70%以上が先生のおかげだと感謝しています。

 先生の病気を知らされたとき、ショックは大きかったのですが、病気と闘いながら私たちにはいつも笑顔で明るく接している先生を見て、「私も強く生きよう。私の悩みなんて先生の苦しみに比べたらくよくよすることでは無いのだ……!」そう思いながら、毎日を過ごしてきました。先生に「無理しないでください。私がお手伝いできることは何でもさせていただきます」とメールをよく書いたものでしたが、それ以上のことを私にしていただき、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 この7月25日、先生が天に召されていったことを聞いた瞬間、全ての体の力が抜けて、大粒の涙を流しました。知らない島にひとりぽつんと立たされて生きていかなければならないという、どうしたらよいのか分からない状態になりました。でも、そんなことでは先生に申し訳ないということに気がつきました。今までのたくさんのアドバイスや私に教えてくれた多くの知識を活かして、大きく成長し、羽ばたいていきたいと思います。優しい心、明るい笑顔、厳しい姿勢……、先生のような人になれるように頑張ります。

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第14回「専門点訳者実践養成講座」(前期) 概要

尾田 真弓

主催:社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

本講座は杉並区の後援と社会福祉法人中央共同募金会からの助成を受けて実施いたします。

1.目的

視覚障害学生ならびに専門職にチャレンジする方、専門職に従事する方たちのテキスト、学術書、参考書、専門書等を正確かつ迅速に点訳する点訳者の養成を行います。

2.受講者の義務

1.「視覚障害者支援総合センターを支える会」の会員、もしくはこれから入会しようという方であること。会費は年間一口5千円以上(支える会会則参照)。これから入会される方は事前にお振込みいただくか、もしくは開講式にご持参ください。詳細につきましては今回応募要項を請求いただいた方に、併せてお送りいたしますので、ご確認ください。
2.A受講者は期間中、やむを得ない事由を除き欠席しないこと。

3.会場

社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター 会議室

4.実施期間

2005年10月15日(土)〜12月末日

5.開講式

本講座の開講式を10月15日(土)10時より開催いたします。会場はあんさんぶる荻窪(JR・東京メトロ荻窪駅西口下車 徒歩3分)です。会場にて、視覚障害関連の書籍等の展示即売も行います。受講者には決定通知とともに地図をお送りいたします。

6.講座の内容、時間数等

6講座を予定しております。詳しくは応募要項をご請求ください。

《日本語基礎》
講  師:飯田 三つ男(視覚障害者支援総合センター職員 点字技能師)
日  時:全10回、1回2時間を予定
受講要件:点字をマスターしようとする方で、受講修了後には通信教育の応用編に進むことを原則とする。初心者歓迎。
内  容:数字、アルファベットを含む日本語点字の読み方書き方を、基礎から指導します。

《英語基礎》 講  師:堀越 喜晴(立教大学・明治大学講師)
日  時:全6回、1回2時間を予定
受講要件:日本語点字をマスターしている方で、英語を1から学びたい方。英語についての初心者も歓迎。
内  容:テキスト福井哲也著『初歩から学ぶ英語点訳 三訂版』を使って、英語の略字、縮字を身につけていただきます。

《英語応用》
講  師:堀越 喜晴(立教大学・明治大学講師)
日  時:全6回、1回3時間を予定
受講要件:日本語点字及び英語の2級点字(gradeU)を理解されている方でパソコン点訳をされる方。
内  容:gradeUを使って課題を点訳する、実践的な点訳例の指導を予定しています。

《理数》
《表点訳》
《教科書点訳》

※各講座の講師、日時等詳細につきましては、応募要項を請求いただき、ご確認ください。
※なお、今年度の養成講座は後期(2006年1月〜3月)も予定しております。講座内容は、「日本語基礎」「英語基礎」「英語応用」「情報処理」「触図」「教科書点訳」の6講座を予定しております。現時点では詳細は未定ですが、後期の受講生につきましては12月に公募いたします。

7.定員

「日本語基礎」は15名以内、「英語基礎」「英語応用」「理数」「表点訳」の4講座については10名以内とします。「教科書点訳」は希望者が多い場合には、会場を変更して開講することも考えております。

8.申込方法・締切

まずは応募要項を、担当・尾田 真弓まで電話、FAX、Eメール等でご請求ください。申込書に必要事項をご記入の上、郵送またはFAXにて申込書を10月5日(水)までに(必着)当センターへお送りください。
 重複受講につきましては差し支えございません。

9.受講者の決定

定員をオーバーしない限り、締切りまでに申し込まれた方へご連絡いたします。申込書に郵送、FAX、Eメールの中から当センターからのご希望のご連絡方法をお選びください。
 受講者には原則として10月15日(土)に行われる開講式に出席していただきますので、ご了承ください。

10.受講料

無料。ただし、テキストなど教材は実費。なお、各講座テキストのほか、受講者で『点字表記辞典 改訂新版』『日本点字表記法 2001年版』『点訳のてびき 第3版』を持ち合わせていない方につきましては、開講式もしくは開講日にご購入ください。

11.お問合せ先

「点字をマスターして近い将来点訳者としてセンターの戦力として活動したい」というご希望のある方で遠方にお住まいの方、もしくは日程の調整がつかない方には、点字通信教育制度(日本語基礎、日本語応用、英語、音楽)も設けておりますので、お申し出ください。
 また、本講座ならびに通信教育についてご不明な点がございましたら、担当までお問い合わせください。(養成講座・通信教育担当:尾田 真弓)

社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター
〒167-0043 東京都杉並区上荻2-37-10 Keiビル
TEL:03-5310-5051   FAX:03-5310-5053
E-mail:mail@siencenter.or.jp
http://www.siencenter.or.jp/

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競い合い、助け合う コンサート――羽ばたけ視覚障害音楽家たち
コンサートと講演会のご案内

松浦 実希

 前号でもお知らせしましたが、17年度日本自転車振興会の補助事業「競い合い、助け合う コンサート――羽ばたけ視覚障害音楽家たち」の詳細が決まりつつあります。10月20日(木)札幌市教育文化会館小ホール、12月13日(火)福岡市市民福祉プラザふくふくホール(日時と会場が変更になりました)、1月7日(土)セシオン杉並ホールの3会場で開催いたします。

 先日8月19日には札幌コンサート実行委員会を会場の札幌市教育文化会館で開き、出演者やお手伝いくださる地元の方々とお会いし打ち合わせをしました。バンドやクラシックなどジャンルの違う演奏を短時間でおこなう難しさもありますが、出演者やお手伝いくださる方のご協力を得て盛り上げていきたいと思っています。また、若さいっぱい中学生の独唱や音楽療法士をされている方の講演など、内容も盛りだくさんでとても楽しみなコンサートと講演会です。

 今年度は、北海道、九州、そして東京・杉並と、それぞれ地域の皆様方のご支援をいただいてコンサートと講演会をおこないますので、お近くにお住まいの方は、ぜひご来場いただき出演者に温かい拍手を送っていただければと思います。

■競い合い、助け合う コンサート in 札幌

――羽ばたけ視覚障害音楽家たち――
<入場無料>
日時:2005年10月20日(木) 17:00開場 17:30開演
場所:札幌市教育文化会館 小ホール
札幌市中央区北1条西13丁目 TEL 011-271‐5821

第1部
バンド:スーパーエンドルフィン
     エルビス・プレスリー 好きにならずにいられない
     ベンチャーズ     さすらいのギター     ほか
 7名のメンバーが1960年代のアメリカンポップスを中心に楽しんで演奏します。エンドルフィン効果(やさしい気持ち)になっていただければ幸いです。
笛:楊 雪元
     照松庭作曲 357
     劉管楽作曲 森の小鳥たちは ほか
 1974年中国天津に生まれ、9歳から中国笛を始めました。中国と日本で積極的に音楽活動を続けています。両国の視覚障害音楽家の架け橋となる、さらなる活躍が期待されます。16年度「競い合い、助け合う コンサート in 大阪」に出演。

第2部
独唱:池田 サラジェーン   ピアノ:武川 久美
    G.ジョルダーニ作曲  Caro mio ben(いとしい女よ)
    A.スカルラッティ作曲 Sento nel core(私は心に感じる)  ほか
 北海道函館盲学校中学部3年に在籍、第18回全国童謡歌唱コンクール子供部門金賞受賞など多数の賞を受賞。歌の先生になりたいという夢を実現するため日々励んでいます。
講演:樋口 清美(音楽療法士)
    「私と音楽療法」――講演と演奏――
 大学卒業当時、目指していた視覚障害者の教員の門戸は閉ざされており、自ら進むべき道を切り開き、ようやく音楽療法士という職業にたどりつきました。最近よく耳にする音楽療法とは。

第3部
ヴァイオリン:筒井 裕子   ピアノ:漆崎 裕子
        T.A.ビタリー作曲  シャコンヌ ト短調
 4歳から始めたヴァイオリンは、多くの出会いを、そして心温まる楽しく充実した時を与えてくれます。ヴァイオリンを通して、少しでも皆さんにお伝えできればと思います。

■競い合い、助け合う コンサート in 福岡

――羽ばたけ視覚障害音楽家たち――
<入場無料>
日時:2005年12月13日(火)
場所:福岡市市民福祉プラザふくふくホール
福岡市中央区荒戸3丁目3−39 TEL092-731-2929

 出演者は、飯島輪(ヴァイオリン・熊本市出身)、岡崎勝美(筝・鹿児島市)、澤田理絵(ソプラノ・北九州市出身)、豊田隆博(ピアノ・熊本市)、安武慶吉(講演・福岡市)の5名です。曲目などの詳細は、次号でお知らせいたします。

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第3回チャレンジ賞・サフラン賞 受賞者決定迫る!

三上 奈美恵

 前回のセンターだよりでもご案内いたしました「チャレンジ賞」「サフラン賞」の公募は8月15日(月)をもって締め切らせていただきました。視覚障害・福祉関連のマスコミにも取り上げていただき、公募開始当初から締め切り直前まで全国からお問い合わせがありました。お陰さまで、今回も様々な職業や経歴の持ち主である方々よりご応募いただきました。9月7日に選考委員会が開催され受賞者を決定いたしますので、次号ではそのご報告ができるものと思います。ご期待ください。

 今年で3回目ということで、「センターだより」をご覧になっている皆様には馴染みのある2つの賞ですが、世間一般はもちろん視覚障害の世界でもまだまだ知名度はそれ程高くありません。東京サフランホーム並びにKGS株式会社からのご支援の下、「これほどサフラン賞、チャレンジ賞に相応しい人がいたのか!」と誰をも唸らせるような方に出会えるよう、より一層「チャレンジ賞」「サフラン賞」の普及を目指していかなければなりません。第1回、第2回の素晴らしい受賞者の方に続くような人たちを、今後も自薦他薦でお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 ご参考までにこれまでの受賞者の方々を下記に掲載いたします。

第1回チャレンジ賞   渡邊  岳氏(36歳・弁護士)
   サフラン賞    高橋 玲子氏(35歳・玩具メーカー勤務)
   サフラン特別賞※ 中間 直子氏(40歳・三療業)
第2回チャレンジ賞   広瀬 浩二郎氏(36歳・国立民族学博物館研究員)
   サフラン賞    三宮 麻由子氏(37歳・外資系通信社勤務・エッセイスト)

※サフラン特別賞は第1回のみ
*年齢は受賞時

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名古屋での点字教科書研修セミナーに参加して

尾田 真弓

 去る6月12日(日)、名古屋で「全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会」の総会と研修セミナーが開かれました。全国から点訳ボランティア、情報提供施設関係者、学識経験者が約60人集まり盛会でした。センターからも午前中の総会には理事長が、午後からの研修セミナーには職員5名が参加してまいりましたので、私の参加した午後の研修セミナーについての報告をさせていただきます。

 研修セミナーは、テーマが「盲学校点字教科書編集のノウハウ」とあり、ふたつの講義が設けられていました。
 講義1「文系教科書の編集」は筑波大附属盲学校教諭の原田早苗先生、講義2「理系教科書の編集」は同じく筑波大附属盲学校教諭の高村明良先生でした。お二方とも長年文部科学省著作の盲学校点字教科書の編集委員を務められていることからも、私どもにとっては豊富な経験をうかがえるよい機会でしたし、当センターが中学国語に続いて、今年度から供給の小学国語、小学社会の製作をさせていただいていることで、製作に活かせる・省みるよい機会にもなりました。

 講義1では、活字教科書の点訳にあたっての問題点を六つ提示し、点字特有の配慮を要すること、特に国語の漢字教育のあり方について話されました。
 活字教科書の点訳上の問題点を国語を例に挙げて、(1)図・絵・写真の扱い、(2)点訳順序が明確でない、(3)色、記号で書きわけた図表、(4)教科書上での視覚的要素をもった作業、(5)複雑なゲームなどの教材の扱い、(6)漢字の書取り・筆順のみの学習の6つを提示され、これらを解決するために編集会議でどんな話がなされるかをうかがいました。また、点字は「ぱっと見る」ことがない、1文字ずつをおう文字であることから点訳順序が大切であることや、活字のようにゴシックや色分けすることで強調を示さない文字であることから記号を駆使せざるを得ないこと、漢字の学習を将来的にも使用しないであろう漢字の書取りに終始することに意味があるのかどうか、それよりも漢字の音訓を中心にして語彙を増やす学習が有用ではないか、等をお話いただきました。

 講義2では、盲学校での算数・数学教育の実際、点字教科書編集の具体的方針、今後の課題について話されました。
 盲学校での算数・数学教育に欠かせないこととして、(1)数式を頭で操作するための文字の獲得、(2)計算手段(筆算・珠算など)の獲得、(3)触察力(線や図などをよむ力)の獲得、(4)言葉による説明、(5)イメージ(立方体、合同、相似など)の構築、の5つを挙げられました。また、理科等で必要な実験・観察の扱いについて、例えば光の導入、花の観察、天体観察などを具体的にお話いただきました。物理的に見ることのできない光や星の学習は、見ること自体が重要なのではなく、そこで何を学んでもらいたいか、それをつきつめたら自ずと授業の方法はみえてくる。花の観察はアブラナでなければならないわけではない、(花のつくりなどから)盲児にとってはチューリップの方が観察しやすいこともある、見えないことが教材をかえさせる、とのこと。さらに、実物や模型などで直接触れ、それを図に結び付けて考える経験が必要であることなど、盲学校ならではの教授法等をお話いただきました。

 お2人からは、盲学校ではどう教えているのか、そのためにはどういう点字教科書が望ましいか、という長年の点字教科書編集に携わる方たちだからこそのお話を聞かせていただきました。
 会場に集まった方々のなかには、地域の普通校で学ぶ児童・生徒のための点字教科書製作に携わる方々もいたようで、「そうはいっても健常児と同じ授業を受けるのだから、同じものを点訳してあげたい」「その子だけ教科書がないだなんて忍びない、なんとか点訳してあげたい」といった意見も出されました。現状として、地域の児童・生徒用の点字教科書は、数多くの点訳ボランティアの力によるところが大きいのだなと改めて感じました。その後「盲学校ではどう教えるか、そのためには教科書をどう編集すべきかを話しあって製作されている。統合教育でも、どう教えるかによって点訳の仕方がかわって然るべき。教師と打合せる必要がある」「とくに小学校低学年では読む力を培う時期もある。どんなものでも点訳することが、かえってよめない教科書にしてしまうこともある。図やイラストから状況を読み取るようなものは特に注意が必要」「点訳された教科書や当事者の障害等について、担当教師の理解を得られるかどうかでもずいぶんと差が大きい。教科書が揃っていても結局は授業についていけない例もある」などの意見が出されました。数人から自分たちはこうしていますという実践例も話されました。

 私自身は、高村先生の「(子どもたちにとって)同じプロセスが必要か、同じ結果が必要か、考え方は様々ある」「本来こうあるべきだが、現状としてこうしているという意識を持つことも必要となる」という言葉が印象的でした。また、盲学校用の点字教科書と統合教育用の点字教科書には教師の教授法に違いがあることで自ずと点訳にも差が出てくるのだろうこと、教育の現場では点字教科書はあくまでも教育の材料であってほしいこと、「点字教科書がある」=「健常児と同じように授業を理解している」ということにはならないことも理解してもらいたい等々と、経験もないひよっこ職員ながら研修セミナーの話を聞いて思いました。

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新しい一歩に向かって

元チャレンジ利用者 兵藤 崇彦

 私は2005年8月18日をもって「チャレンジ」を退所し、高田馬場にある日本盲人会連合にて新たな一歩を踏み出し始め、1週間が過ぎました。
 長いようで短い3年半でしたが、所長をはじめ職員・同じ利用者の皆様、ボランティアの方々などに支えられ、ようやくここまでやってこられました。

 大学時代の就職活動の中で取得した、図書館司書の資格を生かし、視覚障害者への情報提供に関わる仕事をしたいと考え、公務員試験等、さまざまな試験にチャレンジしてきましたが、(話には聞いていたとはいえ)重度の視覚障害者の就職の厳しさを初めて知り、自分の考えを改め、手に職をつけようと、一度は盲学校で鍼灸を学んでおりました。

 しかし、日々を過ごす中で「自分にはもっといろんなチャンスがあるのではないか」と思うようになり、退学を考えていたころ、点字毎日という雑誌の中で、東京の視覚障害者支援総合センター「チャレンジ」の存在を知り、自己の再起を賭け、2002年に上京しました。これが私にとって、点字図書の校正という仕事の原点となりました。

 来た当初は、点字の校正以前に、シールやセロハンテープを貼るといった簡単な作業すら満足にできず、自分自身の選択は正しかったのかと自問自答しながら不安を感じ、何度も帰郷を考えては踏みとどまり、そんなことの繰り返しでした。

 駆け出しのころは、点字表記と日本語の難しさにとまどいました。自分にはこの仕事は向かないのではないかと思うこともしばしばでしたが、公務員試験等参考書や問題集の校正を担当していく中で、多くの視覚障害者にわかりやすく読みやすい点字書を提供し、利用者として、プロとして、積極的に関わっていきたく思うようになり、その思いを形にできる機会を得ることができました。

 どんな時でも私を支えてくださり、本当にありがとうございました。

 一般就労への移行にあたり、実社会の中で自分の役割を見つけ、さらに自分から周りに働きかけない限り、スキルアップをしていくことが難しいという現実の中、何が必要かといった課題に直面しております。
 今は、服装や人間関係など、気を配らなければならないことや覚えることが多く、四苦八苦しております。
とはいっても、1回で覚えられることは限られますし、いっぺんにいろんなことはできないので、優先順位を決め、メモをまめにとるなどして、整理しながら確実なものにしていくという繰り返しの作業の中で「今はなにが自分にはできるか」「自分の弱点を克服するために、周囲にどう働きかければよいか」などを常に意識し、日々仕事に取り組んでおります。  そのためか、朝、早く到着し、部屋の鍵を開け、後から来る人が気持ちよく仕事ができるように整えるのが、私の日課のようになりました。私の勉強不足もあるとは思いますが、まず自分にできることはこれではないかと直感したためです。自己確立をするために、どんなことをクリアーしていかなければならないかは、もう少し時間をおいてみないと分かりません。その課題とどう向き合うか、そのためになにが必要かを、仕事や社会生活を送る中で追求していきたく、がんばっております。

 社会の中の自分を意識するという意味では、チャレンジでの街頭募金活動に関わることができた経験は非常に大きかったです。それというのは、外に出てうったえる以上、自分はこうありたいという信念がなければ続けていくことは非常に難しいですし、少人数のチームワークでの作業の中で、その場その場の自分の役割を意識して取り組まなければならなかったためです。

 最初のうちは受け身のような感覚でした。しかしやっていくうちに、これまで座っていても誰かがなにかしてくれるといった感覚の中で、それに甘んじていて、チャレンジやセンターを支えてくださる方の存在を、当たり前のようにとらえていた自分に気づき始め、自らマイクを握り、うったえていく役割を積極的に果たすよう心がけてきました。

 募金活動というと、当初はあまりよいイメージを持っていませんでした。しかし、やっていくうちにこの活動に対する理解がある程度広がり、世の中には私たちのために、善意を注いでくれる人がこんなにもいるのかと関心しました。これから就職活動をされようとお考えの皆さん、今まさに就職活動中であるという方にとって、自己分析という課程を避けて通ることはできません。その課程の中で、ぜひ大切にしていただきたいのは、物事に対して、自分から積極的に関わろうという姿勢を持つことです。視覚障害故にできないことはゆうにあると思います。しかし、自分ならなにができるのか、自分にしかできないことがあるのでは、といったことを常に意識し、実社会の中で1人1人の個性を発揮していただきたいと思います。自分でなにができるかよく分からなければ、周囲の人に相談してみるのもよいでしょう。そうやって、なにか1つでも自信を得るものを見つけられれば、「私」という人物を表現できると思うのです。今後とも更に数多くの「社会人」がこのチャレンジから巣立っていくことを期待しております。パソコンの普及に伴い点字を生活文字として使用している人の割合は減少しつつあるとはいえ、大切な職業的技術であると思います。広報であれ図書であれ、読みやすさを追求したレイアウトの設定など、読む人の立場に立った校正は、最終的に触読者の意見が必要となります。そういう意味から、やはり若い視覚障害者が点字という職業的技術を身につけ、その分野の担い手となることを切に願ってやみません。

 私自身、新たな人生の駆け出しの真っ最中で、今後どう展開するかわかりません。日盲連の未来を背負って立つ若手の1人として点字の資質向上に全力を尽くし、「校正者はタフであれ」という言葉に代表されるように、なんにでも意欲的に取り組む姿勢を大切にしていきたいです。将来的には、校正だけでなく印刷・入力等、仕事の幅を広げていくことにより、視覚障害の未来のために懸命に働きます。
 どうぞ、末永く見守ってください。

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「第3回 演芸会」を終えて

事務局長補佐 高橋 和哉

 7月10日(日)1時から5時まで、場所は三鷹市芸術文化センターで、職員、私1名、元利用者3名、ボランティア(うち理事1名)4名、一般の方15名の計20名(うち視覚障害者は6名)が出演しました。
 スタッフは、利用者の兵藤さん(8月に就職のため退所)をはじめとして、元利用者の立道さん、読谷山さん、私と友人数名でした。趣向を凝らして、来ていただいた方々にも参加してもらおうと、数回打ち合わせを行いました。

 当日は、これまでで一番の客の入り(といっても総勢60名程度)でした。演芸会自体も、大きな乱れもなく、来ていただいた方にも参加してもらい、概ね成功でした。私は大成功だと思っていました。

 終了後、スタッフで話し合いました。一番大きな問題は、演芸会発足当初の目標であった「読み合わせボランティアの方々に利用者から感謝の気持ちを表そう」が遠のいていくことでした。
 兵藤さんは、自分しか参加していない状況だったので、利用者に参加を促すこと、またボランティアの方々を積極的に誘うことができず、非常に苦しい立場で、辛かったということを話してくれました。これは、「参加しよう!」という雰囲気を作れなかった私の責任で、申し訳なく思いました。

 また、会終了後の打ち上げでも、問題がありました。通常、私は利用者と食事をするとき、必ず彼らのペース(話す内容も)で、食事を取り分けたり、飲み物を注文したり、ほとんど給仕のように振舞います。しかし、今回は友人やセンターに関係のない方々も多数出席していたため、ほとんど利用者と話さずに終わりました。
 仕方のないことかもしれませんが、多くの利用者は、自分に無関心な話題が出たときに、相手に合わせて話をすることが苦手な傾向があります。よって、今回のような場合、話に加わることが難しかったようで、あまり楽しめなかったようでした。もう少し、気を使ってあげるべきだったと反省しています。

 最後に、インクルージョン(この場では「視覚障害に接点がなかった方を誘って、視覚障害の理解を深めようとした」)とエンパワメント(この場では「チャレンジ利用者にやる気をおこさせること」)をこの会を通じて、同時に試みましたが、上手く機能しませんでした。一般社会が視覚障害者に近づくことより、視覚障害者が一般社会に溶け込むことの難しさを痛感しています。
 一からやりなおしです。

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