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2012年4月6日発行 第71号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

理事長 高橋 実

 早くも3カ月が過ぎてしまい、「24年度」に入ってしまいました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年も結構寒暖の差が激しいようですが、体調には充分ご注意の上、お過ごしください。
 最初から言い訳になってしまい申し訳ございません。「センターだより」を年末から新年にかけてお届けしたいと考えていましたが、いささかオーバーな言い方ですが、職員の一部が正月休みも形だけといった出勤体制だったため、遅れに遅れて年度末も越してしまい「今」になってしまいましたことを深くお詫びいたします。
 来る7月は、センター開設25周年になりますので、「感謝と喜び」を兼ねて会員の皆さまをはじめ、関係者に賀状をお送りしました。物心両面でご支援くださっている、小山千鶴子さんの絵葉書を使わせていただきました。小山さんには、毎年センターの一大行事のおりには売り子さんまでしていただき、本当に助かっています。申し上げればきりがありませんが、センターの25年はこのような人たちや団体によって継承されてきました。
 そしてその25年のルーツは、1949年に視覚障害者に大学の門戸が開放されてからの約40年間の道程にあることは当然のことです。諸先輩のひたむきな努力の結果で、重ねて諸先輩に感謝をする次第です。いささかおこがましいことですが、私の生き方もこの「門戸開放」のニュースがなければ「今日」はなかったと思います。北海道の田舎で、もがき苦しんでいた私に、「もしかして」という夢を与えてくれたのです。

 1947年までは盲学校の中等部に進み、医学や鍼・灸・按摩の勉強をすれば免許は与えられ、職業自立ができました。しかし、私は医学の勉強や理療の実習が苦手だったのと、若気の至りで、盲人イコール按摩という選択の余地さえない盲学校教育に反発して、今でいう登校拒否まがいのことをしていました。それでなにをしたいのかと問われても、もちろん答えられる知識は持ち合わせていませんでした。
 ヘレン・ケラー女史の来道とか、盲聾唖教育の義務制とか、盲人の大学進学が認められるなどといったことがラジオから流れてきますと、今度は迷いが焦りに変わり、なんとかしなければと動き出し、新しくできた札幌盲に49年に入りました。そこで取っかかりができるだろうという淡い期待を持って、長髪を丸坊主にして父親に付き添われて入学式に出ました。ところが月日が経つにつれ、「按摩師になるしかない」という雰囲気は旭川盲と全く変わらず、藁をもつかむ思いで、1年後岩手盲に転校しました。そして54年、進学のため上京して、以来今日まで「この道ひとすじ」の一直線でした。

 センターの開設に拍車をかけたのは、みずほ(当時は富士)福祉助成財団が86年4月から「盲大生点訳介助事業」をスタートさせ、在学中毎年30万ずつを5人に支給し、公募推薦運営はセンターに委託するということでした。従って、センター開設前に専門点訳者実践養成講座を開講して、いささか不適切な言葉かもしれませんが、センター直属で正確迅速をモットーにして学習支援に繋げなければと受講生を公募しました。その頃からパソコン点訳も広がり始めました。その皆さんを中心に「支える会」を組織して、物心両面でお力添えをいただいているわけです。その頃は若かった方も年を重ね、「年金生活者になりました」といって退会される方も増えてきました。
 87年、区役所や地下鉄丸の内線南阿佐ヶ谷駅からも近い民家の2階を拝借していました。中2階があり、1階が歌謡教室でしたから、2階はすごく高く、急な外階段は「怖い」という人もたくさんおられ、大半の人たちはその外階段が今も記憶に残っていると思います。そして、和室3つで講習会や会議をし、点字プリンターを何台も並べて打ち出しながらの講義でしたから、さぞかし落ち着かなかったかと思います。当時のボランティアさんも10人前後今もセンターにお手伝いで来てくださっていますし、点訳の戦力もその皆さんが中心です。本当に感謝以外の言葉しかありません。
 87年5月24日、荷物が入らないうちにと、その場所で50人近いお歴々をお招きして「開所の集い」を開きました。台所から手作りの料理を3部屋に分かれているお客さんに運んでもらいました。今思えば、よくもあの狭いところにおいでいただけたものだと驚いています。翌日の朝刊にその模様が紹介されたのは良かったのですが、中2階があったものですから、私がてっきり3階建てだと思い込みコメントした記事を地域の方が読まれたのでしょう、「3階建ては建築法違反なのに」と区役所に連絡がありましたと、区役所から注意されたことも忘れることができません。また地下鉄の駅からセンターの入口まで、青梅街道沿いも含めて点字ブロックを敷設してもらいました。懐古主義ではありませんが、その民家の前にオープンしていますホテル ルートイン東京阿佐ヶ谷で7月21日夜、記念会をしたいと思っております。

 この記念会に先立って、近くの産業商工会館講堂で、第21回専門点訳者実践養成講座の開校式と、第10回チャレンジ賞ならびにサフラン賞の贈呈式、記念講演として、第2回サフラン賞受賞者でエッセイストとして大活躍の三宮麻由子さんに「点字の重要性と点訳ボランティアのニーズ」について、1年のアメリカ留学から帰国した和太鼓奏者の片岡亮太さんに「アメリカに学んで」について1時間ずつお話していただきます。お2人とも感動と説得力のある楽しいお話をしてくださいますから、ぜひお誘い合わせの上、お出かけください。

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第21回専門点訳者実践養成講座の開催について

 具体的な講座・講師・日時などの要項については5月以降にお送りしますので、ご希望の方は担当までお問い合わせ下さい。会場はすべて当センターです。
 講座は原則として日本語初級・中級・上級、音楽基礎、英語、邦楽(点譜連との共催)で、理数、情報処理、実践については目下検討中です。
 開講式は7月21日(土)午後、東京都杉並区の産業商工会館で行います。

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第10回 チャレンジ賞・サフラン賞 候補者ご推薦のお願い

村上 晴香

 今年もチャレンジ賞・サフラン賞の候補者公募が4月2日にスタートいたしました。今年は応募期間が5月31日までと短くなっておりますので、ご注意ください。
 応募用紙は当センターホームページ(http://www.siencenter.or.jp/)にてダウンロードできます。@BSE(点字) AWord Bテキスト の3つの様式でご用意しておりますので、ご利用ください。また、電話・FAX・E-mailでお問い合わせいただければお送りさせていただきます。皆さまのご応募お待ちしております。
 応募の際には、応募用紙と推薦文(墨字で1,000字程度)をご提出いただきます。詳細につきましては「応募要項」ならびに「応募方法について」をご覧ください。なお、ご提出いただきました応募書類につきましては返却いたしませんのでご了承下さい。ご不明な点などにつきましては、担当の村上までお尋ねください。

【名称】「チャレンジ賞(男性)」「サフラン賞(女性)」
【対象】いわゆる若く、身体障害者手帳所を持する視覚障害者。自薦・他薦を問いませんが、職業自立して視覚障害者の文化の向上と福祉の増進に寄与しようとしている人で、気迫と体力と人間味のある人。
【選考と受賞者の決定】選考は、当センターが委嘱した委員で構成する選考委員会でそれぞれ受賞者1人を決定し、7月初めまでに受賞者に通知するとともに、センター発行の月刊『視覚障害――その研究と情報』と『支援センターだより』等で公表し、関係する報道機関などにも関連記事の扱いを依頼します。
【応募期間】2012年4月2日(月)〜5月31日(木)消印有効
【表彰】いずれも賞状と賞金50万円、副賞KGS賞を贈ります。【贈呈式】2012年7月21日(土)午後 産業商工会館(東京都杉並区)での第21回専門点訳者実践養成講座開講式と記念講演の席上行います。

これまでの受賞者は次の方々です。 (年齢・職業は受賞当時)
第1回 チャレンジ賞 渡邊 岳さん(弁護士・36歳)
    サフラン賞  高橋玲子さん(玩具メーカー勤務・35歳)
    *サフラン特別賞  中間直子さん(三療業・40歳)
第2回 チャレンジ賞 広瀬浩二郎さん(国立民族学博物館研究員・36歳)
    サフラン賞  三宮麻由子さん(外資系通信社勤務、エッセイスト・37歳)
第3回 チャレンジ賞 川畠成道さん(ヴァイオリニスト・33歳)
    サフラン賞  澤田理絵さん(ソプラノ歌手・31歳)
第4回 チャレンジ賞 南沢 創さん(公立中学校音楽教諭・33歳)
    サフラン賞  定家陽子さん(JICA勤務・35歳)
第5回 チャレンジ賞 中根雅文さん(サイバー大学准教授・35歳)
    サフラン賞  青柳まゆみさん(筑波大学非常勤職員・33歳)
第6回 チャレンジ賞 踊正太郎さん(津軽三味線奏者・31歳)
    サフラン賞  溝上弥生さん(愛知県立名古屋盲学校教諭・38歳)
第7回 チャレンジ賞 伊藤丈人さん(青山学院大学非常勤講師・31歳)
    サフラン賞  大日方(おびなた)久美子さん
(読売新聞東京本社ヘルスキーパー・34歳)
第8回 チャレンジ賞 杉田正幸さん(大阪府立中央図書館司書・39歳)
    サフラン賞  奥野真里さん
(日本ライトハウス情報文化センター制作部点字製作係主任・35歳)
第9回 チャレンジ賞 守田 稔さん
(かわたペインクリニック心療内科医師・35歳)
    サフラン賞  柏木佳子さん(大阪なにわ西府税事務所電話交換手・38歳)
*サフラン特別賞は第1回のみ

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私と点字楽譜とこれからと

澤村 祐司

※この原稿は、点字楽譜利用連絡会が発行しています「点譜連」用として澤村さんに書いていただきました。点字楽譜に疎い私にも、感動を与えてくれましたので、ぜひ皆さまにも読んでいただきたいという思いから、転載しました。24年度も、点譜連との共催で澤村さんを講師にお願いして、邦楽講座を開きたいと思っています。(視覚障害者視線総合センター理事長 高橋実)

1.初めに

 私は箏の道を歩んでいる。指で点字楽譜に触れながら、その大切さを感じつつ歩んでいる。そんな中、視覚障害者支援総合センターの高橋実先生よりお声がけ頂き、2009年より、点訳者養成講座の邦楽点字楽譜の担当をさせて頂いている。大変な不安の中のスタートであったが、点字楽譜について、私が考えていることと、受講された方々が考えておられることを出会わせることによって、箏への思いや点字楽譜への思いを強めることができている。 今回、この「点譜連ニュース」に文章を書かせて頂くに当たり、私の思いをお伝えできることになり、全ての皆様に心から感謝申し上げる次第である。
 この文章では、私がどのように音楽や点字楽譜と出合い、学んできたかをつづりながら、点字楽譜の大切さとこれからに望むことをお伝えしたく思っている。

2.「〔つわ〕引く〔つ〕は、〔わ〕が残る?」

 幼い頃から目を患っていた私は、とにかく音楽を聴くことが好きであった。周りの子供がアニメやテレビゲームに親しむ中、私だけは、レコードの"The Beatles"や、NHK教育テレビの狂言などに親しみ、いつも音に触れていた。
 ところが盲学校(現視覚特別支援学校)の小学部に上がり、椅子に座って音楽の授業を受け始めると、頭はついてこなかったのである。三年生になったときであったか、少しずつ「点字の楽譜」を勉強し始めていたとき、音符の算数問題に取り組んでいた。

 「〔つわ〕引く〔つ〕」
〔つ〕とは、点字で「二分音符のド」を表す記号。〔わ〕とは、「付点」を表す。つまり、「付点二分音符(三拍)引く二分音符(二拍)」という問題だったのだ。すると答えは、「〔す〕四分音符(一拍)」となるはずだ。ところが、当時の私は、指で感じ取ったままを書いたのである。

 「〔つわ〕引く〔つ〕は、〔わ〕が残る」
 先生も友人も一斉に笑った。もちろん私だけは、笑われている意味すらもわからなかったのである。そんな私が、20年が経ち、今こうして音楽を奏でていて、さらに、点字楽譜についてまでも、書かせて頂くことになったのである。

3.ピアノと点字楽譜

 小学校時代の音楽の授業にあまりついていけなかった私が、点字楽譜や音楽の基礎をじっくりと勉強した時期があった。教えて下さったのは、ピアニスト 長澤晴浩先生だ。
当時、最初の動機は、ピアノを習っている友人に憧れたからであったと思うが、最初の出会いが長澤先生であったことが、後の私にとっては大変大きなものであった。
先生がレッスンでして下さったことは三つ。ピアノ、音あてクイズ、点字楽譜であった。音あてクイズというのはいわゆる調音であるが、当時の私は、まず一つ一つの音から順番にあてることから始まった。点字楽譜は、読み方、仕組み、書き方を、一つ一つ丁寧に指導してくださった。
私は小学校6年の夏休み自由研究で、ピアノの曲を作曲し、カセットテープ録音のみを提出したのだが、先生はその後、「楽譜を書いてみよう」とおっしゃり、歯を食いしばって楽譜を書いたことを覚えている。一つでもミスがあれば書き直しで、結局、完全な楽譜を仕上げるのに2ヶ月を要したのだった。
これが、私と点字楽譜を強く結びつけた最初であった。

4.箏と点字楽譜との結びつき

 私が箏の道へ進みだしたのは小学校5年の冬であった。始めた当初は、箏の点字楽譜が出版されていることを知らず、カセットテープの模範音源やお稽古の録音を頼りに覚えていた。数ヶ月後になって、箏の点字楽譜があることを知り、当時の平井点字社より取り寄せ、それまでに習った曲を弾きながら、点字ではどう書くのかを、音符や記号の一つ一つを確認しながら、読み進め、解読した。
 最初は、箏の旋律と歌の旋律がほとんど同じだったため容易に覚えることができたが、次第に難易度が上がった。特に古典曲(地唄)の、歌の旋律を表すためには、スラーなどが多く用いられていたため、暗譜は困難を極めた。
 結局、「箏の楽譜を読むコツ」が分かるのに、10年近くを要したと思う。特に、楽譜とにらみ合っていた二年間の浪人生活で、色々な書き方の点字楽譜(後述)に出会ったことが、楽譜を大切に思う今の私を作った、大きな要因である。

5.墨字の楽譜は三種類

 話が少し反れてしまうが、ここで、墨字の楽譜について触れておきたい。ご存知の方も多いであろうが、箏の墨字楽譜には絃名譜と二種類の五線譜がある。
 絃名譜とは、数字(絃の番号)や記号が記されている楽譜のことである。流派によって、縦書きのものと横書きのものがあり、記号の書き方なども違っているが、基準音の高さを自由に変えて引くことができる。出せる歌声の音程に合わせて高さを変えることができる。
 絃名譜を忠実に表わそうとしたのが、一種類目の五線譜だ。例えば、箏のもっとも代表的な調子(音階)に「平調子」がある。この五・四・三を、「ミ・ド・シ」の高さで表すのである。このような書き方をした五線譜を、ここでは、「移調五線譜」と呼ぶことにする。
 二種類目の五線譜とは、実音で書かれた楽譜のことである。箏が色々な分野の楽器(洋楽器)と共演するようになってから普及が始まったと言える。ただ、移調五線譜と違って、基準音を自由に変えることができない。このような五線譜を、「実音五線譜」と呼ぶことにする。
 「絃名譜」、「移調五線譜」、「実音五線譜」。箏奏者同士の演奏の場合には「絃名譜」を用いることが圧倒的に多く、他楽器との共演の場合には、「実音五線譜」を用いていることが多い。

6.点字の楽譜は二種類

 では点字はどうだろう。当然五線譜の方法で書かれている。そして、墨字と同じように、移調形式と、実音形式の二種類がある。
 箏曲家、そして大作曲家として名高い宮城道雄は、明治27(1894)年に誕生し、昭和31(1956)年に没した。その62年の生涯の中で、実に400近い作品を残した。同時にその証として、たくさんの点字楽譜も残している。宮城道雄記念館(東京都新宿区)を訪ねてみると、彼の直筆譜に触れることができ、新しい発見に出会う。
 初期の作品(邦楽器のみの合奏等)では、移調形式で、晩年の作品(特に大規模な合奏等)では実音形式で書かれている。同時に、教えを受けられた方々が手写しした楽譜も、昭和20年以前のものには移調形式、それ以降のものには実音形式が、多く見受けられた。
 私はこの20年の間、平井点字社の楽譜と、箏曲家島津成悠氏がデータ入力された点字楽譜の二種類の恩恵に授かっている。平井氏の楽譜は移調形式、島津氏の楽譜は実音形式であった。また、和音や奏法記号などもそれぞれ違っており、読みやすい楽譜をこれから書いていくためには……と、思案することもできた。
 使う人にも寄るのかもしれないが、私は、実音形式を好んで使用している。それは、音あてクイズ等で、完全ではないものの、絶対音感が身についたからかもしれない。

7.点訳者養成講座との出合い

 冒頭で述べたように、2009年より、視覚障害者支援総合センター主催による「点訳者養成講座」、その邦楽分野を担当させて頂くこととなった。今までの私は、晴眼者との共演の際、点訳をお願いするときには、まず五線譜を探すところからであった。5.の項で述べたように、箏奏者同士の合奏曲の譜面は、まだまだ絃名譜ばかりで、五線譜を探し出すことは困難なのである。そのため、模範音源から、音を聴き取ったり、自分の演奏パートを友人などに弾いてもらい、録音したものから楽譜に起こす、いわゆる採譜をしているのだ。15分サイズの曲の採譜だけに時間を費やすとすると、最低でも二日くらいかかるだろう。
 この講座は、そういった時間的な悩み解消に大きく繋がるものだ。一番多く出回っている絃名譜を、直接点字にするための講座である。一般的な五線譜を点訳された経験のある方を対象とさせていただいているが、この3年間で、のべ20人の方とのご縁があった。皆さんは、まず、初めて見る楽譜に驚かれる。縦に並んだ箱の中に、数字や記号が並んでいると、五線譜のように見た目の山や谷がないため、音の高さの想像がつかないからだそうだ。この講座は、まず、そこから始まる。同時に、色々な教材を取り入れながら、皆さんの声に耳を傾けながら、私も勉強させて頂いている。

8.受講された皆さんからの、四つの声

 講座の中で、まず最初に立ちはだかる壁は、それぞれの絃に、どの音を当てはめて、どの調(音階)で書いたら良いのか、判断に困ってしまうということである。下に例を四つ、簡単に示してみる。

例1 ハ長調

絃  一  二  三  四  五  六  七  八  九  十  斗  為  巾 音  ド  レ  ミ  ファ ソ  ラ  シ  ド  レ  ミ  ファ ソ  ラ

例2 ハ長調(五音階)

絃  一  二  三  四  五  六  七  八  九  十  斗  為  巾 音  ド  レ  ミ  ソ  ラ  ド  レ  ミ  ソ  ラ  ド  レ  ミ

例3 平調子(壱越=Dが基準音)

絃  一  二  三  四  五  六  七  八  九  十  斗  為  巾 音  レ  ソ  ラ  シ♭ レ  ミ♭ ソ  ラ  シ♭ レ  ミ♭ ソ  ラ

例4 琉球音階(ト長調)

絃  一  二  三  四  五  六  七  八  九  十  斗  為  巾 音  レ  ソ  シ  ド  レ ファ♯ ソ  シ  ド  レ ファ♯ ソ  シ

 もちろん、箏を習っておられた方にとっては、例3は一番馴染み深いであろう。しかし、初めて絃名譜を手にした方は、楽譜の上部に「平調子」とか「楽調子」と書いてあっても、音のイメージが浮かびにくい。そして、なんといっても、原理が分かったとしても、慣れるまでに時間が必要なのである。
 音の当てはめの次は、数字と共にしばしば現れる「ヲ」や「オ」の記号である。「ヲ」は弱押し、「オ」は強押しで、それぞれ、絃を左手で押して半音、一音、上げるという意味になる。
 例えば、例2の八の絃に「ヲ」がついていた時、多くの方が「ミ♯」と書かれた。正解は「ファ」となる。また例4の五の絃に「オ」があった時は、「レ♯♯」と書かれる方がおられた。正解は「ミ」である。どちらも、押した音が「音階固有の音」であれば(臨時の♯や♭記号を付けなくても良いことが分かれば)、現に当てはめている以外の音階固有音を書くのである。
 次に出てくる声は、奏法を現す記号についてだ。すなわち、音符以外の記号の書き方が、度々統一がなされていても、箏の点字楽譜を読む人が少なくなってきたこともあり、多くに知れ渡っていないのかもしれない。
 また、レイアウトに関しての質問も多かった。「行の頭に小節番号を入れたほうが良いのかどうか」や、「何枡空けで、タイトルや拍子記号を書いたら良いのか」などだ。点訳グループによって、レイアウトの仕方が異なっているようだった。この点に関しては、私も自分で楽譜を書く際に、どこかいいかげんにしていた部分であり、教えて頂いた思いであった。ただ、いつも心がけていることは、「読みやすい楽譜を書きたい」ということ。一方で皆さんは、「墨字楽譜に、できるだけ忠実に表現するためには」と、常に思っておられた。
 このような声を今までに頂きながら、私も日々思案を続けている。

9.私が今感じていること

 五線譜のように、見た目の山や谷がなく、音がイメージしにくい絃名譜。数字に音を当てはめていくという作業は、思ったより時間がかかることが分かった今、いかにして、箏を「遠い楽器」に感じさせないようにするかを考えている。例えば、前の項の例に挙げた四つの調子。今までは、まず初めに例3を使って説明していたが、みなさんにとっては、例1の方が捕らえやすいのである。そこに、少しずつ「ヲ」や「オ」を加えていって、本来の箏の旋律の点訳に結びついていくように、ということを心がけていきたい。とにかく、まずは、「音を当てはめることに慣れて頂く」のに、じっくりと時間をかけていきたい。
 また、音符以外、奏法記号についても、自身でさらに理解を深めていきたい。右手と左手を同時に弾く時などに用いる記号(二声部分け等)や、歌の旋律を寄付する時に用いる歌詞の書き方など、墨字楽譜を「忠実に点訳」した「読みやすい」点字楽譜にするための書き方についても、考えていきたい。

10.点字楽譜の重要性とこれから

 私たち視覚障害者にとって、点字楽譜は、曲を覚えるための「道しるべ」として、大切なものである。箏(三絃等も含む)の世界について言えば、これまで、口伝えによる継承で成り立ってきたわけで、今に学ぶ私たちは、先達の奏でる音や歌声を、自分の芸に取り込んでいかなくてはならない。そして、折に触れて、忘れないように引き続けることが大切である。しかし、弾いていると、細かな音の節回しなどを失念してしまうこともある。楽譜はそこで役に立つのだ。墨字と違って、直ぐにペンで書き込んだりはできないが、「この節を指で探れば思い出す」ものであることが、私の理想である。リズムを思い浮かべながらでも、指を動かすようにと心がけている。
 そのために、少しでも読みやすい楽譜、指に感じ取りやすい楽譜に近づくには……、と考える。ただこれは、楽譜を使う私たちが、絶えず心がけていなければならない。近年、目覚しい発展を遂げたのがパソコン。データを作ってやりとりができるようになったことは非常に大きい。送って頂いたデータはそのままに、自分で読みやすいデータを新たに作ることもできる。点字楽譜を使い、箏を弾いている方がどれくらいおられるかは分からないが、箏を弾く方、点字楽譜を読む方が、一人でも増えていくことを、心の底から望んでいる。
 また、これは私の個人的な気持になってしまうかもしれないが、現在、少しずつながら、編曲・作曲を行っている。まず点字楽譜を書いて、それを五線譜に墨訳して頂く方法を取り、その五線譜を、同じ楽器の友人(晴眼者)に手渡ししている。また一方で「B'score」で五線譜を使う方法も学んでいる。しかし、多くの箏奏者は、まだまだ絃名譜を好んで使用しているのが現状である。そのため、近い将来、箏の点字楽譜を直接墨字の絃名譜にして下さるような方が、一人二人と出てきて下さること、そして、その役割が、パソコンのソフトにも引き継がれていくことも、重ねて望んでいる。
 長々とつづってしまったが、昔は点字楽譜が読めなかったこの私が、今感じて望んでいることはこのようなことである。多くの先人が残したものを大切に学び、読みやすい点字楽譜を考えながら、使いながら、音と共に伝えていけるような、そんな一人でありたいと思っている。色々な方に助けて頂くことが多いであろうが、感謝を忘れず、音と共に、楽譜と共に、一歩一歩、歩んでいきたいと、改めて強く思っている。

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「視覚障害者支援総合センターを支える会」報告

伊藤 真弓

 22年度に関しては、新規会員数や退会会員数の変動はさほどありませんでしたが、23年度を期に退会・休会される方が多くおられました。皆様いろいろなご事情でお辞めにならざるを得ないのは非常に残念に思っております。皆様のご支援の下、センターが社会貢献できますことを改めて感謝しますとともに、これからもご事情が許される限りお力添えいただけるようお願い申し上げます。
 センターの運営は皆様のご厚意で成り立っております。重ねて御礼申し上げ、今後ともご協力いただきますようお願い申し上げます。

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分かりやすい点字を目指して

飯田 三つ男

 私は当センター内における点訳講座(日本語初級)とともに、外部においても点訳講座を担当しています。ここでは、「自治体主催での点訳講座」と「専門学校での講座」の2講座について記したいと思います。

 外部における講座は、主催者の意向に沿うように指導方法を考えます。その講座の回数、参加者の点訳経験の有無・年齢層などをベースに指導方針を立てます。

 「自治体主催での点訳講座」では、主催者の以前の意向は「全員簡単な文章が書けるようになること」でした。2年間の講座で全72回、参加者のほとんどが点訳未経験、そして年齢層も高かったことを考慮し、講座を前半36回、後半36回の2つに分けて指導しました。前半の講座では国語の再理解(言葉を正しく読み取ること)を主に、点字表記法の基礎的な部分を身につけていただきました。
 後半の講座では、小学校の国語の教科書、生活情報誌などから題材を取り、それらを点訳する中で国語の再理解を深めつつ、表記法に基づき正しく点字を書くことを繰り返し繰り返し指導しました。

 私のような点字ユーザーが「分かりやすい」と感じる点字は、表記法に基づいて正しく書かれたものです。ユーザーにとって分かりやすい点字を書いていただけるよう、上記のようなことを指導しました。
 ここ数年は、主催者である自治体の意向が「パソコンを用いてある程度の文章が書けるようになること」に変更され、また、講座回数の削減(1年間の講座で全36回)、点訳経験者の増加、年齢層も低くなったこともあり、私の指導方法も現状を考慮して進化しました。
 前半(18回)の講座における指導方法はほとんど変化ありませんが、後半(18回)の講座では「パソコンを用いて英文や数式の入った文章の点訳の仕方」を指導しています。難解な文章になればなるほど「分かりやすい点字」が必要になります。それゆえに、「表記法に基づいて正しく点字を書くこと」をこれまで以上に繰り返し指導しています。

 「専門学校での講座」では、主催者の意向が「視覚障害者を理解し、そのコミュニケーション手段としての点字を学ぶこと」でした。この講座は『障害者論』という授業の1コマで、回数は2回、学生さんは全員介護福祉師や看護師を目指す方々でした。
 1回目の講座では、視覚障害者の学業や就労、日常生活について講義し、学生さん自身のお名前を点字で書いていただきました。2回目の講座では、点字で自己紹介文を書いていただきました。この点字文が単位認定試験の回答になりましたので、「表記法に基づいて正しく書くこと」を徹底し、その場で添削指導をしました。

 私は30年余りに渡って点訳指導を行ってきましたが、これからも「正しく点字を書くこと」を普及させて行きたいと思います。
 『点字のレッスン』『日本点字表記法』『点字表記辞典』を活用しつつ、「点字を正しく書こう」と思い実践されている方の身近なアドバイザーでありたいと思っています。

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利用者 Mさんのこと

チャレンジ施設長 高橋 和哉

 平成24年2月19日(日)、入院先の病院で亡くなりました。23歳でした。
 1週間前の2月15日(水)に通所していたので、20日(月)に訃報が届いた時は、悲しみより驚きでした。

 彼女は、板橋区にある国立桐ヶ丘特別支援学校(肢体不自由児が対象)在籍中に、チャレンジのことを知ったそうです。彼女は点字の経験はないものの興味があったこと、人の役に立てる可能性があることに魅力を感じていたそうです。このことは、高校3年時の担任である教諭から電話で教えていただきました。

 学校側もチャレンジ通所に少々無理があることは、わかっていました。しかし、本人の通所の意思が固いこと、さらに一度見学に来た時の印象が良かったこともあり、通所に向けて学校、家族、チャレンジで話し合いを重ね、建物の構造上無理のあるところは、彼女に目をつむって我慢してもらい、時間的な工夫をして通所を開始しました。

 通所開始とともに点字の勉強を始めました。半年ほどで、様々なものを点訳できるようになり、利用者が毎日のように注文をする仕出し弁当のメニューや様々な活字情報を点字に訳してくれました。よって視覚障害利用者にとっては、なくてはならない存在になりました。
 彼女の母校の文化祭にも参加でき、交流も進みました。そのおかげで、彼女の2年下の肢体不自由の後輩もチャレンジを選択し、通所を続けています。

 このように、短い期間ですが、彼女はチャレンジに様々なことをもたらしてくれました。
しかし、本人は、痛みとの闘いの毎日でした。背中のしこりの痛みは尋常でなく、通所開始して1年経過した時点で、入退院を繰り返しました。このしこりに神経が集中しているそうで、切除することは、より一層の障害が出ることとなり、痛みを受け入れる選択を貫きました。

 不謹慎な考えかもしれませんが、僕は、入所当時から、彼女の命は限りがあると感じていました。よって、組織として許されることは、何でもしてあげようと決めていました。
 平成22年度は、背中の痛みに加え、手の痛みがひどく、ほとんど通所できませんでした。普通なら、このような場合は、待ちの姿勢で積極的に関与しませんが、彼女に対しては、週1回のペースでこちらから自宅に出向きました。毎回1時間ほどの会話でした。僕の家庭訪問が軌道に乗ると、家族の方は迷惑だったと思いますが、次は、利用者の女性2人を連れて行き、家庭訪問を続けました。その甲斐があって、平成23年度は、回数は少ないものの、通所できるようになり、彼女の人生最後までお付き合いができました。ご冥福を祈ります。

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社会福祉法人視覚障害者支援総合センター 平成24年度事業計画
(平成24年4月1日〜平成25年3月31日)

 センターは来る7月開設25周年を迎えられるまでになりましたが、そのルーツは1949年の視覚障害者の大学門戸解放に始まります。諸先輩のひたむきな努力とGHQの勧告で、1949年大学の門戸は開放されました。しかし、点字で入試を実施したのは同志社大だけで、国公立も51年当時の東京教育大の1学科だけでした。学習環境も皆無で、卒業後の就職先も不安定そのものでした。そこで在学生は51年秋、日本盲大学生会を組織し、問題解決に立ち上がりました。私が入学した54年とその翌年はそれぞれ10数人が進学しましたが、点字入試は全国で1、2校でした。
 一方、卒業生も出始めましたが、就職先は点字図書館など福祉施設と1部盲学校の教師で、すぐ飽和状態になり、就職浪人が増えました。なかには再び盲学校の理療科に進む人や58年に卒業した私のようにチャンスを待つ者などで、「盲大生よ、どこへ行く」「大学は出たけれど」と揶揄されたりして、進学生は激減して、ゼロないしは1人といった年度もありました。日本盲大学生会は自然消滅しました。
 私は2年後の60年、待望の毎日新聞点字毎日の記者になりましたが、苦しい浪人時代に「開放されつつある大学の門戸を閉ざすようなことは避ける。三療以外の職域を広めるためにも、盲学校や生徒には進学に関心を持ってもらう。大学には点字による入試と学習条件の整備を訴えながらも積極的に支援する。卒業後の職域開拓などに取り組むために、卒業生、在学生、支援者らで全国組織をつくり、活動しなければ視覚障害者の未来はない」と考えました。
 入社後、そのことを先輩や仲間に訴え、61年7月、大阪で「文月会」(64年、日本盲人福祉研究会と命名)を立ち上げました。点字入試や学内試験に点訳者を派遣したり、門戸開放では大学に出かけたり、学習支援では対面朗読者を紹介しながら理解と支援の輪を広げる活動をしました。
 また、国民的運動と世論づくりが必須要件と考え、視覚障害者の共通する問題である大学の門戸拡大と雇用促進に絞り、日本一の組織力を持つ日盲連と、足腰の強い全視協に共闘を申し入れました。日盲連は思想を異にするとして断られましたが、全視協は了承してくれました。世論づくりでは、マスコミの活用と国会請願署名を繰り広げることだとして5回も行ないました。そのうちの1回は、この種の請願では例をみない衆参両院本会議で全会派一致で採択されました。
 採択されても法的効力はありませんが、要求項目が市民権を得たようなもので、行政・立法・司法などに対して、一定の圧力となった感は拭えませんでした。また、70年代に入り、当事者の意識の高まりと支援の輪が広がり、71年、大阪府市教委が特例として両手両眼二重障害者に高校世界史で点字受験を認め、受験生は上位の成績で合格したにも関わらず、府教委は時間講師や非常勤講師としてしか対応せず、挙句の果てに「もう1度合格したら」という非情な回答で、チャレンジャーは、73年、再挑戦して見事トップで合格して正職を勝ち取るという快挙で、以後、大阪府市教委は点字受験を継続しており、82年、点字で合格した教員を一般中の英語教師として採用するなど、先進県の役割を果たしたといえます。
 司法試験では、48年と65年に点字受験を申し入れたにも関わらず、法務省は断り、73年に点字受験を認めました。地方公務員では、東京都が福祉職Cという点字枠をつくった74年に、2人の合格者を出すなどして、その勢いは各種資格試験に波及して、やっと91年の国会で国家公務員試験にも点字導入が実現しました。
 70年代後半、流れを止めないためにも、東京に拠点を移し、職員を配置して法人化を目指さなければならないことが確認されました。日本点字図書館理事長の本間一夫会長から「とりあえず日点に事務所を置き、適任者が見つかるまで、私の秘書に事務をしてもらっては」という申し出があり、大阪の自宅から事務所を移して、その後、専従職員を配置して順調に進んでいました。しかし、日点が外部事務所の退去を決めたことから、会はこれを期に自前の拠点を取得することになりました。
 86年、聖明福祉協会の本間昭雄理事長から「拠点が決まるまで社宅と事務所を提供しよう」という申し出を受けて、私たち夫婦が上京し、毎日青梅から都内の関係団体や関係者を訪ね、理解と協力を求めながら、物件探しを続けました。マスコミの影響で物件の申し出は驚くほど出ましたが、"帯に短し襷に長し"の例えではありませんが、私の都内(市外局番03)にこだわったこともあって見つかりませんでした。そうこうしているうちにバブルに遭遇して、水泡に帰しました。
 87年、名古屋ライトハウス・岩山光男理事長の紹介で杉並区成田東の民家の2階を借り受け、7月1日やっと、当センターの前身「日本盲人福祉研究会盲学生情報センター」の看板をかかげてからの25年です。96年11月、法人取得のため、耐火建築の現ビルに移転して、昨年11月「法人認可15周年」を迎えた次第です。国の補助対象施設にはなれませんでしたが、善意ある皆さまのご理解とご支援で、一貫して若い人たちを中心にして、福祉と文化活動を継続してこられましたことをあらためて感謝申し上げ、事業計画を簡潔にご報告させていただきます。

  1. 記念事業として『センター25周年とそのルーツ文月会』(仮題)の出版。「記念会」は7月21日(土)夕。最初の10年間を過ごした民家の向かいにできたホテルで100人規模で行なう。
  2. 7月21日(土)午後。ホテル近くの産業商工会館で、第21回専門点訳者実践養成講座開校式および、第10回チャレンジ賞ならびにサフラン賞贈呈式と、エッセイストで第2回サフラン賞受賞者の三宮麻由子さんと、今春、1年間のアメリカ留学から帰国した片岡亮太さんの記念講演。第10回チャレンジ賞ならびにサフラン賞の贈呈式を予定している。
  3. 月刊「視覚障害」の発行。「月刊視覚障害――その研究と情報」を4月〜3月(No.287〜298)まで、点字、墨字、テープ(普通速と半減速)、メール、DAISY、CD-Rの6媒体で継続発行する。ただ、フロッピーは市場から消えたため、とりあえずCD-R版に変更したことと、カセットテープも機械の補修を含めて、本年度いっぱいだと思われる。
  4. コンサートの開催。JKAの助成事業で「視覚障害音楽家の社会参加促進事業」を開催してきたが、今年はコンサートをコンパクトにして、内容も一新して申請したことと、その助成内容の説明会が4月25日のため、ここでは具体的なスケジュールは報告できない。
  5. 全生協などの助成を受けて「視覚障害者の国家公務員、地方公務員、教員の採用状況とその配属先についての全国調査」を年内に行なう。この種の調査は個人情報保護などの関係で、10数年行なわれていないため、公務員の採用状況は全くわからない。関係者6人でプロジェクトをつくり、今後に役立つような調査と報告書を完成させたい。ただ、印刷費など300万円近く不足しているので関係方面に改めてお願いしたい。
  6. 『続・先達に学び業績を知る――視覚障害先覚者の足跡』の刊行。『月刊 視覚障害――その研究と情報』に連載中の「先達に学び業績を知る」が好評のため、51人をまとめ、郵便事業株式会社の助成を受けて出版した。その後も連載しており、助成先を探して年度内に「続編」として出版したい。
  7. 点字図書製作発行、学術専門書、参考書、各種試験問題集や、ぜひ読んでもらいたい本などで既存の施設では出版しないであろう活字本の即点字化に努力する。
  8. 点字教科書製作発行。学習指導要領の改訂で、小学校は23年度からでセンターは落札できなかったが、中学は24年度から国語と社会を落札してその後期分に取り組んでいる。25年度からの高校は、全国盲学校普通教育連絡協議会と既存の出版社との話し合いで教科書の製作施設が決まる。
  9. 盲大学生の支援
    (1)みずほ福祉助成財団と、メイスン財団の奨学生公募推薦運営、聖明・朝日盲大生奨学生の公募推薦
    (2)学術専門書、テキスト、プリントなどリクエストによる点字化ないしは朗読
  10. 広報などの受託。自治体などの公的機関が発行する公報や印刷物の点字化ないしは朗読。
  11. 支える会の充実、強化。センターを支える会会員はセンターの前身である文月会当時の会員も多く、年々高齢化が進み、年金生活者も増加している。自然退会者も増え、会員は650人前後で推移している。各種の事業を通して理解者の拡大に努力する。
  12. 各種団体への助成申請。センターに必要な助成や援助を友好団体などに訴え、協力をお願いしていく。

<チャレンジ>
「当たり前のことを当たり前にする」をモットーに、次のことをする。
・福祉サービス第三者評価の結果を重視し、以下の2点の課題に取り組む。
1)戦略的経営計画を職員の手で作り上げる。
2)新規職員に対する業務マニュアルの作成。
・常時20名が通所するように、増員を目指す。(現在は平均12名程度)
・校正利用者の確保。(現在校正利用者は4名)
・目が出始めた「まちづくり」事業を重点継続する。

以上

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