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2012年10月30日発行 第73号 社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター

支援センターだより

皆さまへ

理事長 高橋 実

 皆さまお元気でお過ごしでしょうか。今年の夏は予想以上の暑さで記録更新の連続でした。体調を崩された方も大勢おられたのではないでしょうか。今度は、大型暴風雨で、あちこちで被害にあわれている方も多かったのではないでしょうか。心からお見舞い申し上げます。

25周年記念について

 過去3ヶ月(7、8、9月)で、「涼しい」と感じた日が何日あったのか忘れてしまいましたが、センター開設25周年記念事業を開きました7月21日(土)は、私たち男性は背広にネクタイでもまったく暑くなく、東京以外から来られた人たちは、あまりの気温の低さに驚いていたほど、恵まれた1日で「自然」に感謝した次第です。おいでくださった皆さまをはじめ、何かとご心配くださった皆さまに、幾重にもお礼を申し上げる次第です。

 開設25周年記念式典と祝賀会は、東京メトロ丸の内線南阿佐ヶ谷駅から徒歩で数分の青梅街道に面した、ホテルルートイン東京阿佐ヶ谷で行いました。そのホテルのいちばん広いホールが、96席でいっぱい。そのホテルの真裏にあたるところにかつてのセンターがあり、当時の郷愁にひたると共に、楽しかったこと、大変だったことなどを思い浮かべながら、当時の関係者を中心にお招きして、感謝の気持ちを伝えたかったということだったわけです。職員17人を含め、会場いっぱいのお客様を迎え、予想以上の盛会で私たちが舞い上がっていたのではないかと思うほど、感激に満ちた150分でした。

 私の主催者挨拶に引き続き、15団体と50人(後述)に感謝状をお送りしました。他の施設や団体の事は分かりませんが、センターの場合、前もって「感謝状をお送りしたい」などとお話しすると、「喜ばれていることはとても嬉しいのですが、感謝状等といったものを必ずお受けしなければならないのでしたら、私はボランティアを辞めさせていただきます」という方がほとんどですから、そのような事は申し上げずにご案内をして、席上、お名前をお呼びしてお受け取りいただきました。

 その後、失礼千万な事ですが3分以内で厚労省東京都杉並区日盲社協、それに聖明福祉協会、本間昭雄理事長ら5人のご来賓から、祝辞をいただきました。引き続き、日点委顧問、阿佐博氏の乾杯で祝賀パーティーに入りました。すべての方にテーブル1分スピーチで、センターや私との関わり等について、暖かいお言葉をいただき、重ねてお礼申し上げる次第です。

 私は、主催者挨拶で「1954年第4回全国盲大学生大会が大阪で開催されました。この年の秋に持病の喘息で亡くなった、日本ライトハウス創設者で日盲連、日盲社協等を作られた岩橋武夫先生が病を押して大会へ来られ、『君の事は岩手の大堂校長から聞いている。君らが将来の盲会を背負っていくんだ。頑張りたまえ』と固く握手していただき、感激した事は今も忘れられません。その言葉に少しでも報いられればと、81歳の誕生日を迎えた私は、老体に鞭打ってセンターの事業に取り組んでおりますので、いま少しお力添えをお願いしたいと思っています」と述べました。

 私など、20数年区民でありながら知らなかったのですが、杉並区は「半寿顕彰式典」を行っていて、副区長は「漢字で半分の『半』の字を分解すれば、『八十一』になるところから、81歳、また81歳の祝いを半寿といいます。高橋先生、誠におめでとうございます」と挨拶され、恐縮してしまいました。

 「立派な三療という職業を見捨てて、偉そうに大学などへ進み、苦しんだうえにUターンする物好き」「エリート集団をつくる文月会を批判」されたり、「支援総合」なんて出来もしない、でっかい名称を付けたセンターをつくってと言われたことなど、思えば結構批判ばかりされてきたような人生でもあるようです。
 よく父親に「てめえの頭の蠅も追えない奴が、人のことに口を出したり、手を出したりすると、後で皆に迷惑を掛ける」と叱られたりしたことを今になって身に染みています。それに、父親から言われた事は「三療がお前に一番適していると思っていたら、自分には不得手だ、と身勝手なことを言う。何が自分に出来るのか本人すら分からないのだから、家族がサゼッションできるはずがない。これから自分で適職を探して、一人前になれ。それに嫁さんも家族では見つけられない、自分で探せ。それまでの生活費はどんなに借金してでも仕送りをする。ただし、社会人になったら一切家族をあてにするな、と言われた事や、「身勝手な奴だ」と思う反面、父は私が初等部の3、4年の頃、今のクラブ活動のように、お琴や三味線も学校で習っていました。当時のお琴の先生は稽古の厳しい女先生で、私など何度、礼の仕方が悪い今日はやる気がないのだからやめなさいと言われたことか。その先生が何かの事情で、東京に帰られると言うときに、父を電報で呼び「この子を一人前の師匠にするまで預からせてください」と懇願していました。しかし父は、間髪を入れず「この子は立派な按摩さんになってもらうために、ここにお願いしているのだから」と断っていたのを、子どもながらに覚えています。その子がまさか「三療は苦手」だなんて予想だにしなかったのだと思います。父は私が高3の時に病死したのですが、兄弟から「実さんが親不孝したからだ」と言われたものです。その後は兄たち兄弟が大学を出るまで、言うがままの仕送りをしてくれましたが、辛かったような、ありがたかったような気持ちでした。

 25周年の7月21日朝、横浜におられる90歳の女性から「先生の新聞記事や街頭募金などで感動してから、25年も経ったのですね。私は健康づくりのために毎日マラソンをして帰ってきて100円を貯金して元気なうちは送り届けますので、先生頑張ってください」という電話や、今借りています大家さんも、毎年20万円ずつを届けてくださり「高橋さんが辞めたら、私も辞めるわ」と脅迫まがいのことを言われる方など、たくさんの人たちのご支援で「無謀と執念」でゴリ押ししてきています。そんな時、私の7人兄弟で姉ひとりが北海道の田舎で残っているのですが「実さん、どんなにいい事をしているのかは分からないけれど、いい加減に次子さんに心配を掛けないように、大阪の家に帰らなくちゃ」なんて、ご支援くださっている皆さまには、失礼千万なこともしょっちゅう言っています。家内を楽にというより、思考力も体力もなくなった私がここにいるということが、果たして皆さまにとっていいのかどうかも真剣に考えます。こんな小規模で貧乏施設を、引き受けてくれる人が現れることを期待しています。

 そもそもセンターは、1987年4月、青梅街道から1本入った道路に面した民家の2階を借りていました。8畳、6畳、4畳半の和室3つと、台所が8畳くらいでした。外階段は風雨に耐えられるよう、鉄で、それも狭く結構急で踊り場もありました。5月24日、荷物を入れない前にそこで開設の祝いをしました。お歴々ら40数人を招いて、3つの部屋に分かれて、台所で今は当法人の役員もしていただいている酒井久江さんをはじめ、故・勝川武氏の夫人ら女性軍が作ってくれた料理を運んでもらいながら、喜び合ったものです。翌朝、毎日新聞で「初の盲学生情報センターオープン」等といった記事と写真が出て、私の「3階を借りて……」というコメントも載っていて「これで一件落着」と思いきや、区役所から電話が来て、「新聞を見た区民から3階は違法建築だという通報があったが、間違いでしょうね」と注意されました。その後1階の、アパートの2軒も借りて内装して事務所らしくはしましたが、訪ねて来られる人の中には「初のセンターだと言われたので、どれほど立派なのかと探しましたら……」なんて言われたりもしました。先頃の祝賀会でも「あの急な階段で高かったので、てっきり3階だと思っていました」という人が何人かいました。もう時効でしょうが、後で分かったのですが、中2階がありましたので、結局それも拝借しました。

 丸の内線南阿佐ヶ谷駅から青梅街道を通ってセンターの入り口まで、点字ブロックも敷設してもらいましたが、先ごろ行った時には青梅街道の点字ブロックは取り外されておりましたが、「中通りに入ってからは、まだありました」とボランティアの人たちが言っておられました。その人たちが、今もセンターの中枢になっていただいているのですから、ありがたいものです。

 運動でなかなか実現できなかったことのひとつはテキストやプリントなど盲大生がすぐにでも必要な点訳でした。もちろん正確な点訳者は、日点図書館をはじめ地方の点字図書館に所属しておりました。その人たちは、点字板かタイプライターで図書館から不特定多数の人たちに読まれる文学書などを依頼されていたと思いますし、正確を重んじ、迅速さなどはよほどの事がない限り要求されなかったと思います。

 ですから私たちは「正確も大事だが、それよりも学生のニーズに答えて行くためには、迅速さと正確さを兼ね備え、外来語・理数・楽譜なども入り混じった点訳ができる、センター直属の点訳者の養成が急務だとして、センター開設前の86年末から専門点訳者実践養成講座を開講したわけです。幸いパソコン点訳の広がりもあって、和室でプリンターを背中に講座を受けていただいた時代も長かったわけです。

 86年7月、私が定年を迎える時も東京から重役が来られ、「事情の許す限りでいいから残るように」と身に余る慰留を受けましたが、私が54年以来、サイドワークとしても関わってきた、若い視覚障害者の支援活動の為の拠点づくりに力を注ぎたいとして、お断りしました。家内に三拝九拝して、その秋、青梅にある聖明福祉協会の本間先生ご夫妻らのご好意で提供していただいた社宅に引っ越しました。又、準備室も設けていただき、毎日日点内の事務所と関係者への理解を深めてもらう事と、資金調達回りで慌しい毎日を過ごしました。覚悟していたとはいえ、記者時代はどんな偉い人とでも対等で会えたのですが、今度は丁重に我慢に我慢をしながらお話して行かなければならなかったのには疲れました。そんな時、本間先生ご夫妻が「今夜も飲もうよ」とお声をかけてくださった事が、その後の私の行動にどれほど力になったことか、忘れられないことです。

 もうひとつ、点毎時代に点字図書の出版を始めていたのですが、当時朝日新聞論説委員で大熊由紀子さんの著書を点字化しました。担当者がどうして間違ったのか、「さちこ」と書いて出版し、後で大熊さんにお詫びの手紙を出しましたら、「大変なことね。点字って。私の名前くらいどうでもいいわ」というありがたい返事をもらいました。そんなことで上京した折、本社にお訪ねしましたら「今、講演料をもらったので寄付します。仕事上、私はあまりお付き合いできないから、後輩を紹介します」と女性記者を紹介していただきました。その方とも今もつながっています。「分かりきった事ですけれど、高橋さん、マスコミを有効に活用する事ね」と念を押してくださったのも大熊さんでした。そんなこともあって、86年12月21日、高田馬場駅前で募金活動の第一弾をやりました。間違いなく、大手新聞は取り上げてくださいました。ただ、寒風吹きすさぶという言葉がぴったしの日で、仲間たちが集まって、午後2時開始とそれぞれ募金箱を持って寒いなか立ちました。私はマイクを持った手が震え、寒くて口も開けないほど、それに生まれて初めて街灯で大きな声を出さなければならないという出来事。家内が「はい2時」と突くのですが、「御通行中の皆さん」の「御」が言えず、「何よ、言い出しっぺが」と家内は、皆に申し訳なさそうに私を叱っていたのが、やはり忘れられません。その後、新宿、阿佐ヶ谷、荻窪、渋谷、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸と地元の仲間の協力を得ながら募金活動を続け、大きな成果を収めることができました。

 センターが法人化の要件でもあった、耐火建築でなければという事で、今のKeiビルに引っ越してきた1996年4月以降にホテルはオープンしているのです。私たちが居る頃は、福島木材屋さんで広々とした所で、気持ちのいい木の香りが吹いてきていました。 当日はそれに先立って、近くの産業商工会館で第21回専門点訳者実践養成講座開校式、第10回チャレンジ賞・サフラン賞贈呈式、記念講演会が100人近い関係者をお迎えして行われました。

 また、私事になって恐縮ですが、その夜、近くにあった居酒屋に行ったのですが、その主人夫妻が「15年ぶりね」といって歓迎してくれました。お元気であれば、今も私の両腕になって助けてくれていたであろう浦口明徳さん等と通った店の1軒でもありました。彼のいないことが、私、いやセンター、この世界にとって大きな損失です。本間一夫・喜代子夫妻、松井新二郎・糸子夫妻、本間麻子、勝川武、竹内勝美、永井昌彦、金沢明二、富田伴七、直居鉄、大上康雄と、素晴らしい諸先輩がおられない事を、改めて感じながら杯を手にしていました。

感謝状贈呈団体と個人一覧(50音順・敬称略)

〈団体〉
一般財団法人 安全交通試験研究センター 理事長 三宅 三郎
ケージーエス株式会社 代表取締役社長 榑松 武男
合同印刷株式会社 代表取締役社長 長棟 和子
コール・トゥインクルスター(女性コーラスグループ)
財団法人JKA 会長 石黒 克己
株式会社ジェイ・ティー・アール 代表取締役社長 岡村 原正
一般社団法人昭和会館 理事長 三須 武典
ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 代表取締役社長 日色 保
社会福祉法人 聖明福祉協会 理事長 本間 昭雄
タナカ印刷株式会社 代表取締役社長 田中 孝久
社会福祉法人 名古屋ライトハウス愛盲報恩会 代表 近藤 正臣
社会福祉法人 日本点字図書館 理事長 田中 徹二
株式会社日本テレソフト 代表取締役 金子 秀明
一般財団法人 日本メイスン財団 理事長 アナンダ・J・ムールティ
公益財団法人 みずほ福祉助成財団 理事長 山本 惠朗

〈個人〉
阿佐 博、石田 英子、伊藤 稔、稲富 愛子、内山 静子、大崎 早苗
大友 雅子、大野 道子、小川 道子、尾郷 節子、小山 千鶴子
加藤 利子、勝川 正枝、川口 洋、北川 恵子、河野 なおみ、西條 操
坂 優利、柴 信明、清水 恵美子、志村 洋、下奥 敏子、菅原 忠彦
磧本 誠、宗宮 道子、高橋 久夫、高橋 英美、田中 仁、谷合 侑
角田 和繁、富田 いく子、平川 治子、平松 みつ子、広川 司江
藤津 幸江、古川 聖子、堀 湛浩、堀木 悠一、益子 美子、町田 英一
松川 なをみ、間々田 和彦、三田 美都子、宮川 道子、宮沢 明子
武藤 歌織、森永 雅子、山本 紀子、米倉 美智子、与野 福三

12月1日のコンサートに今からご予定を

  同封しましたように、12月1日恒例の「競い合い、助け合う コンサート――羽ばたけ視覚障害音楽家たち2012」を行います。会場の足の便としてはお世辞にも「便利」とは言えませんが、ご了承ください。25周年記念事業でこだわりました場所のように、この区民センターも1996年12月1日(日)「夢に向かってパート1――視覚障害音楽家によるコンサートと交流会」を開いたのが、この区立勤労福祉会館ホールと大集会室でした。

 1回目は個人が対象で、出演は今活躍中の澤田理絵、大石亜矢子、京都からお箏の岡田妙子さんらで、大学在学中か卒業間もない人たちでした。また、グループ編として翌97年1月26日(日)にパート2として開いております。そこでも、私の主催者挨拶で「よく芸術の世界には、ハンディキャップの壁はない。実力次第、健常者でも大変な世界なのだから視覚障害を前提に、社会の評価を受けようという事は、音楽に対する冒涜だ等という批判が寄せられます。
 しかし視覚障害故に、情報不足、演奏のチャンス、オーディション等を知らずに、せっかく持ち合わせている技術や才能を引き出されないままでいる演奏家が数多くいますし、現在音大に在学している人も15人います。これらの音楽家たちにチャンスの機会をまず私たちセンターが作り、段々に皆さまにも作っていただき、個々人に自信とやる気と、切磋琢磨すれば報われるかもしれない、という夢を与えていただきたいと思います」と、今と代わり映えのしないことを言っています。やはり、私の思いがおかしいのでしょうか。それ以来、形を変えながらもコンサートを続けております。

 東京のど真ん中でもある虎ノ門ホールで第1回のコンサートを開いたのですが、当日はバケツをひっくり返したような大雨で、私たち夫婦はロビーで不安と関係者に対する申し訳なさいっぱいで、入場者を迎えるため立っていました。なんと1000人以上入るというホールに800人以上の方が、チケットを買ってきてくださいました。この世界では、まったく無名の文月会(日本盲人福祉研究会)の主催です。
これすべて人頼みで、それも星伊久江先生あってのことでした。そのグループが、今も私たちのコンサートのチケット売りから賛助出演までしていてくださるのですから、ひとりしか残っていない姉から「実さん、いい加減にしなさいよ」と言われるのも無理からぬことです。それに今も札幌や滋賀県、東京の甥、姪に手伝ってもらっています。
コンサートというより、センターを支えてくださった方のおひとりに、星伊久江先生がおられたことを忘れることはできません。私が「若い視覚障害者を支援するための拠点づくりにお金が必要」と言う意味の事を、新聞に書いてもらいました。もちろん例の私が勘違いをした3階の和室にいた初年度の話です。「資金作りのお役に立てるのなら、理事長さんにお差し支えなければ、私が開いているコンサートでセンターのチャリティーコンサートと書かせていただいてもよろしいでしょうか」という電話です。よく飛んで火にいる夏の虫といわれますが、まさしく星先生はその最たるものです。それ以来、星先生にセンターのチケット売りから出演、挙げ句の果て法人の役員にまでなっていただき、おんぶに抱っこでした。その先生も2005年7月25日大腸癌で亡くなられてしまいました。その星先生のコーラス仲間であった小山千鶴子さんをご紹介いただき、センターの絵葉書グッズとしてなくてはならない顔になって、今も絵葉書を提供してくださるだけでなく、お知り合いの方にも「センターへの寄付」として広げてくださっています。もちろんセンターのイベントでは、仕事を休んで売り子さんとしても応援してくださっています。改めて、先生のご冥福をお祈りいたします。

視覚障害公務員の全国調査について

 戦後まもなくまでは、鍼灸按摩は、盲人に最も適した職業としてほとんどの仲間がこの道に進んでいました。そんな時に、「盲人=あんま」というのは、押し付けも甚だしいし、盲人にだって職業選択の自由があるといって、周辺の人たちを困らせました。田舎では目指すものも考えつかず、悶々の、今でいう不登校3年余を過ごしました。やっと、藁をもつかむ思いで岩手盲の大堂校長のところで「ジャーナリスト」という目標ができ、大学へ進みました。ところが卒業後、私を含めて就職浪人だらけ。「盲大学生よ、どこへ行く」「大学は出たけれど」と揶揄とも奮起ともつかぬことを言われました。私は幸いに亡くなられた日点創設者の本間一夫先生、現聖明福祉協会理事長本間昭雄先生らに「あなたは絶対に点毎の記者になれる。それまでの生活は支えよう」と身に余る応援をしていただいたおかげで、2年後、待望の毎日新聞点字毎日に入社できました。何事も私たち当事者が一致して、世の中に問題提起をするための行動を起こさなければいけないと思い、同士に呼びかけ文月会をつくりました。そして世論づくりのために、国会請願署名も行って、地方公務員教員採用、司法試験、国家公務員など、各種試験や資格試験に点字でチャレンジできる制度を運動で実現させました。

 しかし、ここ10年以上「個人情報保護」とかいった風潮に阻まれ、仲間がどれだけ公務員として採用され、働いているのか、その状況も分からずじまい。これでは、後輩たちの意欲や夢を広げる事はできないと苦慮していました。昨年末、助成申請が認められ、プロジェクトチームを立ち上げ、新年早々から全国の47都道府県、20政令指定都市、1766市区町村など合わせて1833箇所に「採用状況と配属先」等についてのアンケートを行い、1560余箇所から回答を得て、目下集計分析中です。年末には報告書を完成させなければならず、昔の文月会メンバーで頑張っています。

 できれば、「報告書」と「公務員事例集」なども助成を受けて結実させ、視覚障害者の雇用拡大に関係者が努力していただければと思っています。
 この種の調査は、1990年代までは文月会が結構やっていますが、その後は前述のような事情でしていなかっただけにご期待ください。

記念誌の発行について

 《センター開設25周年――ルーツは1949年の盲人大学の門戸解放(仮題)》をまとめるべく、目下追い込みに入っております。年末には私がグダグダ書いてきましたこと等も含めて、コンパクトにまとめていただけるはずです。いい加減な私ですが、本心は「おそまつな自分史」を書きたいのですが、時間が取れず不可能だと思います。

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2013年点図カレンダー

チャレンジ」施設長 高橋 和哉

 つい最近まで暑かったのですが、もうカレンダーの時期になりました。昨年は早々に仕上がったので、今年は慢心もあり遅れ気味です。注文状況は、おかげさまで、点字の世界と無縁のところからの大口の注文が増えてきました。点字啓発が目指している方向ですので、喜んでいます。
 今年の題材は植物です。カレンダーですし、多くの晴眼者にも購入していただいているものですので、見栄えが百科事典のような単調なものにならないように気をつけました。しかし、それでは触読者にとって理解が難しくなるので、点字の説明で補うよう努力しました。
 100円値上げさせていただきました。雑貨屋やネットでの販売では、今の価格では安すぎて対応が難しくなってきました。「安いから対応できない」と、断られることも多くなってきました。来年から質を上げつつ、専門家を交えて、販売価格や販売方法に関して検討していく必要があります。カレンダーはユニバーサルを目指していますが、マーケットも通常のシステムに合致させないと、いつまでたっても飛躍できないと思いました。
 今回の値上げには理由がありまして、ポストカードとしても使ってもらうように全てのカレンダーの裏面に印刷したり(印刷工程が倍になり、手間が増えた)、2箇所の止め具をプラスチックからサトウキビ原料のバイオプラに代えたため、止め具価格が10倍になったことがあげられます。廃棄するときはそのまま捨てることができます。

 2014年は鳥を題材に考えております。2014年のカレンダーもよろしくお願いします。

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サイトワールド2012 視覚障害者のスポーツとレジャー(心と体の健康のために)

小松 利明

 今年で7回目の開催を迎えますサイトワールドは、今年も11月1日(日本点字制定の日)、2日、3日(文化の日)の会期で会場も例年と同じくJR総武線・東京メトロ半蔵門線錦糸町駅前のすみだ産業会館サンライズホール(丸井錦糸町店8・9階)にて開催されます。
 出展者と来場者の双方向の交流により、行って、触って、納得するというサイトワールドは日常生活用品から最先端技術を駆使した視覚障害者の情報取得を支援する機器・製品の進化と普及、そしてこれらの品々に参加者の意見が反映されていることを直に確かめる場として、今年も興味深いイベントや展示が皆さまをお待ちしています。
 オリンピック・パラリンピックイヤーの今年は、選手たちの活躍に感動した方も多くいると思います。
 今年のサイトワールドでは、ロンドンパラリンピック出場者によるトーク、タンデムウォーク体験やスポーツ団体の紹介というスポーツを楽しむ機会となるイベントが目白押しです。この機会に体を動かす楽しさにふれてみてはいかがでしょうか。
 会場の当センターのブースでは、エンボス点字による地図や墨字啓発書を直にご覧いただけます。当センターの点図による表現力をお確かめください。恒例となっている「チャレンジ点図カレンダー」も販売いたします。2013年のカレンダーのテーマは「植物」。どんな植物がどのように点図化されているか、会場でぜひお手に取ってみてください。「チャリティ絵はがき」「道産子どん」、クリアファイルやしおりなどの点字・点図グッズといったお土産向けの商品もございます。ぜひお立ち寄りください。

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第21回専門点訳者実践養成講座の中間報

伊瀬 飛鳥

 7月21日(土)より開講いたしました本講座も、残すところ日本語上級講座のみとなりました。終了した講座につきまして、簡単ではございますがご報告させていただきます。(講師敬称略)

 日本語初級(講師:飯田三つ男)受講者は計4名で、アットホームな空気の中、初めての点字に触れていただけたことと思います。10月5日に全10回を終了いたしました。
 英語(講師:鈴木美帆)受講者も4名、毎回熱のこもったやりとりであっという間に10回が終わってしまった感があります。10月2日に全10回を終了いたしました。
 理数(講師:加藤利子)は専門的に学べる機会はそう多くはないということでご好評いただき、14名という、本講座にしては大人数で開講いたしました。ベテラン点訳者が集う場となり、有意義な意見交換がなされました。10月3日に全10回を終了いたしました。
 音楽基礎(講師:北村雅美)は1名の受講者となりましたが、まさにマンツーマンで、講師にとってもじっくりと腰を据えて指導を行えた良い機会となりました。10月11日に全10回を終了いたしました。
 現在継続中の日本語上級(講師:込山光廣)は、10月9日よりの開講となりました。今回(第21回)の講座ではもっとも人数の多い17名で開講しております。会場は新しく設けましたセンター内の会議室で行っておりますが、あっという間に手狭になった感があります。室内は大所帯でありながらも静かで、真摯な空気の中での講義が続いております。終了は12月11日となっております。

 最後に残念なご報告となりますが、邦楽(講師:澤村祐司、小畔京子)は開催中止となりました。実際の楽器を使用して指導を行う、希有な機会として各方面より注目をいただいている本コースですが、受講希望者のスケジュールや居住地からの距離等、様々な要因が重なり、残念ながら今回は中止とさせていただきました。講師・受講者共に意欲がありながら、その間を取り持つことが叶わず、力不足をご関係の皆様に深くお詫び申し上げます。

 次回、第22回の開催が決定しました折には、是非またこの素晴らしい機会を多くの方へお届けできるよう、最善を尽くす所存です。

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