石川倉次とその時代
〜点字がつなぐ過去と未来〜

『石川倉次とその時代〜点字がつなぐ過去と未来〜』表紙

監修:高橋 実
2009年11月1日発行

●墨字 本体1,200円(税・送料別210円)
A5判 120ページ
●点字 全1巻 定価5,000円(価格差保障あり)
発行・発売元:視覚障害者支援総合センター

 “日本点字の父”石川倉次生誕150年を記念して視覚障害者支援総合センターが公募したエッセイの中から優秀作13編を収録し単行本化。
 日本点字委員会顧問の阿佐博先生が、石川倉次の生涯と業績を、日本点字誕生の背景とともに綴った「初期盲教育の周辺と石川倉次」を同時収録!
 点字の過去を知り、今をみつめ、未来へとつないでいくための必携の書。

お申し込みはセンターまでFAX、メール、もしくはお電話で。
TEL 03−5310−5051
FAX 03−5310−5053
mail@siencenter.or.jp

目次

記念エッセイ13作品(筆者・敬称略)

池田 瑛(いけだ あきら)/宇野 繁博(うの しげひろ)/江川 稔(えがわ みのる)/坂本 高広(さかもと たかひろ)/白石 優子(しらいし ゆうこ)/田辺 美起(たなべ みき)/長尾 榮一(ながお えいいち)/額賀 孝子(ぬかが たかこ)/福井 宏郷(ふくい ひろさと)/松倉 ひで(まつくら ひで/安田 洋子(やすだ ようこ/米倉 美智子(よねくら みちこ)/与野 福三(よの ふくぞう)

初期盲教育の周辺と石川倉次

 はじめに
 1.その幼少時代
 2.ルイ・ブライユとの共通点
 3.倉次の教員生活第一歩
 4.石川倉次日記
 5.教員を天職として
 6.かなのかい
 7.出会い
 8.楽善会訓盲唖院
 9.三顧の礼
 10.楽善会訓盲唖院の教育
 11.小西信八の探究
 12.石川の8点点字
 13.点字戦争
 14.こだわりすぎた8点点字
 15.結実した6点点字
 16.点字選定会議
 17.拗音の完成
 18.その後の石川倉次

「はじめに」より

 考えてみると、今はもう石川先生に直接お会いした人も少なくなってしまったことだろう。私は少なくとも3回以上お会いしている。
 第1回目は東京盲学校の中等部に入学したばかりの昭和12年のことであった。その頃母校では、11月1日の点字制定記念日の行事として、毎年点字の書き方競技会を行なっていた。石川先生はそれを見にこられたのか、他にご用があったのか分からないが、その日、澤田慶治先生とご一緒に私たちの教室に来られたのである。そして澤田先生から点字の翻案者であることが紹介された。個人的には何もお話ししたわけではなかったが、帰り際に私と握手をして、「しっかりやりなさい」と声をかけてくださった。手は固くて何か良く仕事をした人という感じであったが、声は優しかった。
 第2回目にお会いしたのは昭和17年の春の頃である。私は師範部に入学した年で、クラスメート5、6名で、先生のお宅を訪問したのであった。2時間ばかり、お相手をしてくださったと思う。そのときは先生が点字の翻案に苦心している頃のお話をしてくださったように記憶している。
 第3回目は昭和19年の冬のことで、私はその3月卒業して、岡山の盲学校に赴任することが決まっていた。東京盲学校師範部には「点字練習生」という制度があって、それに選ばれると教科書などの製版や印刷を託されて一定の報酬を受けられることになっていた。私はその「点字練習生」に選ばれていたので、点字の表記法について、特に興味と関心を持っていた。そんな関係もあって、最後にもう1度石川先生のお話を聞いておきたいと思って、1人でお宅をお訪ねしたのであった。先生のお宅は学校から当時の都電で2停留所ほど離れたところにあったのだ。そのときは6点全部を「メ」という文字にしようと考えたのがヒントになって、現在のシステムにたどり着いたのだということや、滝録松について長々とお話ししてくださった。
 私はそんな思い出や、先輩から聞いた話を思い出しながら書いてみようと思った。しかしそれとともに当時の盲教育の様子も少し記さなければ、点字の持つ意味や、石川先生と盲教育の関係なども理解しにくいだろうと考えた。そこで初期の盲教育周辺のことも不完全ながら追加することにした……


[出版物のご案内へ戻る][ホームページへ戻る]